四十一 幼馴染み

 下宿屋の前でヤードと別れると、ティザーベルは自室に行く前に居間を覗いた。ザミとシャキトゼリナが二人してうなだれている。あのまま、この時間までずっと説得を続けていたのだろうか。


「ただいま」

「おかえり」


 そっと居間に入って、イェーサに声を掛ける。彼女も理解していて、小声で返してきた。そのイェーサに、ティザーベルも声を落として尋ねる。


「あの二人は?」

「見たまんまさ。朝の時間からぶっ続けでね。夕方頃には二人して疲れてあの状態だよ」

「うわあ……」


 予想通りとはいえ、どちらの粘り強さも大したものだ。方向性は真逆だけど。


 イェーサととこそこそ話していたら、ザミ達が気付いたらしい。


「あ、おかえり……」

「おかえりなさい……」


 顔上げた途端、二人からはぐうという腹の虫が聞こえてきた。どうも、殆ど飲まず食わずで続けていたらしい。


「二人して何か食べに行っておいで」


 半分呆れたようにイェーサが言うが、どうも二人ともお腹が空きすぎて動けないようだ。ティザーベルは軽い溜息をついて、移動倉庫から帰ってくる時に買い込んだ料理の一部を取り出す。


「まずは食べなよ。お腹空いてると考えもまとまらないから」


 ティザーベルの言葉に、ザミとシャキトゼリナは半泣きで喜んだ。




 二人が無言で料理を口に運んでいる間、ティザーベルはイェーサ手ずから煎れてくれたお茶を楽しんでいる。炒ったナッツを入れているらしく、香ばしくてほんのり甘い。


 ある程度食べて人心地ついたのか、どちらからともなく満足そうな吐息が漏れた。それにしても、二人してよく食べたものだ。少し大目に出した料理は足りず、追加を出したのだ。


「ごちそうさまでした」

「おいしかった」

「良かったね」


 ティザーベル自身、おいしそうだから買ってきた。だからか、二人に評価されるのはちょっと嬉しい。店の場所もしっかり記憶しているので、またヨルカ浴場に行ったらぜひとも買い込んでおこう。


 料理は全て、テイクアウト用に帝都でおなじみの使い捨て容器に入ってた。現在、居間のテーブルの上はその容器で溢れかえっている。


 それらを眺めて、イェーサがぽつりと漏らした。


「それにしても、随分とよく食べたねえ」

「えへへ、お腹空いてたから」

「ティザーベル、後で代金は払う」

「あ、私も!」


 シャキトゼリナの言葉に、ザミも被せるように言う。多分、食べるのに夢中で代金その他は頭から消えていたのだろう。それについては追々にして、ティザーベルはヨルカ浴場での事を話した。


 再びザミがうなだれる横で、シャキトゼリナが呟く。


「そう……モファレナのみんなが……」

「彼女達は、あなた達二人を助けたいみたい」


 はっきりとは口にしないが、エルードとトワソン、ルーグ以外の誰もが、メルキドンはもう先がないと見ている。それはザミにも通じたようだ。


「でも……ちゃんと話し合えばトワソン達だって……」

「それは何度も言った。もうあの三人に私達の声は届かない」


 シャキトゼリナからの拒絶の言葉に、ザミはとんでもない事を言い出した。


「じゃ、じゃあ、ティザーベルに頼めないかなあ?」

「はあ?」


 何故そうなる。あまりの事に返す言葉をなくしていると、さすがにシャキトゼリナが怒ったようだ。


「ザミ! 彼女をこれ以上巻き込んじゃだめ!」

「で、でも! あれだけ執着している相手の言葉なら、エルードだって――」

「ティザーベルには迷惑にしかならない!」

「でも!」


 当人を放って置いて、二人はまた言い合っている。イェーサをちらりと見ると、彼女もうんざりした顔をしていた。


「朝からずっとこのやり取りだよ」

「なるほど」


 これはうざい。シャキトゼリナは付き合いが長いし、これからの事もあるから付き合っているのだろうが、正直ティザーベルにとってはどうでも良くなった。


 帝都に出てきて、初めての友達が出来るかな、と思っていたが、このままザミが言い続けるなら、彼女との付き合いもこれまでだ。


 これが最後と思い、ティザーベルは今まで口にしなかった事を言った。


「ザミ」

「な、何?」

「あんた、トワソンが好きなんだよね?」

「え? うええええ!?」


 ティザーベルの指摘に、ザミはわたわたとしている。隣のシャキトゼリナは相変わらず感情が読めないが、呆れた様子で呟いた。


「あれだけバレバレだったのに、気付かれていないと思ってたんだ……」

「え? シャ、シャキトにもバレてたの!?」

「うん。ずっと前から」

「うわあああああああ!」


 真っ赤になったザミは、顔を覆っている。ティザーベルが言いたいのはここからなのだが、聞こえているだろうか。


「二人で結婚の約束とかしてる?」

「え!? そ、そんなの……」

「告白もお付き合いもまだだから」


 ザミが真っ赤になって口ごもる隣で、シャキトゼリナが容赦のない一言を落とす。真っ赤なままザミは何やら告白だお付き合いだとぶつぶつ呟いていた。


「シャキトゼリナ、トワソンって、ザミの事を好きだと思う?」


 残酷な問いかけだが、多分側で見ている彼女が一番わかっているだろうと思ったのだ。トワソンの想いがザミに少しでもあるのなら、対応がまた変わる。


 だが、彼女からの返答はティザーベルの予想通りのものだった。


「……故郷にいた頃はそうだったと思うけど、帝都に出てきてからは、違うと思う」


 シャキトゼリナの言葉に、ザミは言葉もなく彼女を見つめる。その顔は青い。


 地方より、帝都の方が「遊べる」場所が多いのだから当然か。こういった話は主に女を故郷に置いて都に出稼ぎに出てきた男が、垢抜けた都の女にうつつをぬかして別れ話になる、というのが典型だ。ザミの場合は、一緒に出てきているので少し違うけれど。


 トワソンは実直な性格だと聞いているが、割とそういう真面目タイプの方が悪い遊びにはまりやすい。そう考えると、あのパーティーの男子の結束の固さは「遊び仲間」という面もあるのではないか。


 青ざめたまま震えるザミに、ティザーベルは追い打ちを掛けた。


「トワソンは、最近ザミと一緒に過ごす時間、作ってくれてる?」


 ザミは無言のまま首を横に振った。そうだろうな、と思いつつ続ける。


「このままトワソンの為だけにパーティーに残ったら、後悔するのはザミだよ?」

「そ、そんなこと――」

「トワソンが他の女の子と結婚する、って言い出しても平気でいられる?」


 自分で言った言葉に、少しだけ胸が痛む。今更未練など欠片もないけれど、少しの悲しみとそれを上回る怒りはまだ消えない。


 思ってもみなかった事を言われたらしく、ザミは驚いた顔でティザーベルを見ていた。それからすぐ、くしゃくしゃに顔を歪ませる。その場面を想像したのかもしれない。


「ザミ……」

「そ……そんなこと、ない! トワソンは、そんな事!!」


 シャキトゼリナの手を振り払い、ザミは立ち上がるやいなや玄関に向けて走り出した。


「確かめてくる!!」

「ザミ!!」


 シャキトゼリナの声も、もう届かない。居間には、何ともいえない空気がだけが漂っている。


 その空気を払ったのは、イェーサだ。


「ま、帝都は治安がいいから大丈夫だろうよ。曲がりなりにも冒険者だしね、あの子」

「……ザミは逃げ足が速いから、多分平気」

「逃げ足って」


 シャキトゼリナの言葉に、ティザーベルは思わず笑ってしまう。確かに、一人で危ない目にあったら逃げるのが一番だけど。


 シャキトゼリナは真面目な表情で続けた。


「本当。ザミは魔法士になれる程じゃないけど、魔力を持ってる。それを身体強化や感覚強化に使えるから」

「へえ」


 そうなると、先程の「逃げ足の速さ」も意味合いが違ってくる。魔力を使った身体強化は、文字通り肉体の限界を超えて強化する事で、走る速さで言えば時速五十キロ近くで走る者もいる。


 シャキトゼリナによれば、ザミはワピーという馬に似た魔物が全力疾走しているにもかかわらず、逃げ切った事があるという。


「え……あれ、確かそこらの訓練された馬より速いんじゃ……」


 ラザトークスの大森林にもワピーは出た事があるから、その速さはティザーベルも知っている。木々の合間を縫って走ってくるのも相当な速さだった。あれから逃げ切るとは。確か、平地でのトップスピードは馬の二倍と言われている。


「あの時は岩場だったから、最後は岩の上に跳んで助かった」

「それにしても、あのワピーからねえ……それなら、確かに危なくなっても逃げられるか」


 袋小路などに追い込まれたとしても、建物の屋根に飛び乗る事も出来るそうなので、心配はいらないだろう。むしろ、あの勢いでトワソンに会いに行った場合、精神面の方が心配だ。




 結局、ザミはそれから小一時間程で帰ってきた。顔をぐしゃぐしゃに泣きくずして。


「うわああああああああああああん」


 シャキトゼリナが賢明に聞き出したところ、ちょうど三人で出かけるところを捕まえたらしい。そのまま何を思ったのか、ザミは二人で故郷に帰ろうと提案したのだそうだ。


「そ、そしたら、ト、トワ、ソン、が」

「トワソンが、何?」

「は、鼻、で笑って、『いい気になるな』って」

「あ?」


 思わず漏れ出た声は、シャキトゼリナと被っていた。


「俺と、お前、は、ただの幼馴染みだ、って……」


 シャキトゼリナの背中に、幻影の炎が見えてきそうだ。それに気付かないザミは、そのまま続ける。


「そ、それでも、何とか思い直してほしくって、三人の後をつけたら、三人で、ユローア通りに……」


 ザミの最後の一言に、シャキトゼリナの背後の炎がどす黒く変色したように見えた。


 ティザーベルは、小声でイェーサに尋ねる。


「ユローア通りって?」

「帝都の花街だよ。ったく、野郎共ってのは」


 つまり、三人仲良く娼婦を買いに行った訳だ。もしかしたら、ザミが後をつけている事も承知で。


 自分のように二股掛けられるのも厳しいけど、これも違う意味で厳しい。下手に煽らない方が良かったのだろうか。


 ――いんや、どのみち、メルキドンは崩壊するし。このまま居続けてもいい事ないよな。


 勝手な言いぐさかもしれないが、これでザミが思い切ってくれるといい。幸い、側には付き合いの長い友達がいるのだ。ザミの事はシャキトゼリナに任せた方がいいだろう。


 まだ泣いているザミをちらりと見て、ティザーベルは自室へと戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る