三十八 モファレナ

 今日も帝都はいい天気らしい。それとは別に、ティザーベルが暮らす下宿屋には暗雲が垂れ込めていた。


「……おはよう」

「ああ、おはようさん」


 居間に行くと、いつも通りイェーサが挨拶を返してくれる。居間には彼女以外にザミもいたが、彼女らしくなくどんよりとした表情だ。ティザーベルが部屋に入ってきた事にも気付かないらしい。


「ザミ、おはよう。……大丈夫?」

「ああ、おはよう……大丈夫……」


 明らかに嘘だ。今にも泣き出しそうな顔で、自分の膝を見つめる彼女に、昨日のシャキトゼリナの言葉を思い出す。


 彼女は、エルードが身の丈に合わない依頼を受けて自滅すると言ったのだ。それはつまり、依頼中に死ぬか、冒険者を続けられない程の大怪我を負うかという事だった。


『エルードは、明らかに焦っている。それは、ルーグ達にも伝染している。ヤード達を見た後だから、特に』


 シャキトゼリナによれば、帝都に出てきた頃から二人を意識しているのは丸わかりだったそうだ。特にエルードは同じ剣を使うからか、ヤードへの敵対心が強いのだという。そして同じくらい、憧れてもいるのでヤードには強い態度に出られないそうだ。


 そういえば、ギルドでの一幕の時も、ヤードが前に出たら途端におとなしくなっていた。


 ヤードとレモの実力が高いというのは、ティザーベルにもよくわかる。


 ――オテロップの時も、連携が楽だったもんね。


 臨時で組んだとは思えない程だった。バックアップするにしても、相手の実力如何でこちらの負担が大分変わる。故郷にいた頃にギルド支部長に頼まれて、別の街を拠点にしている冒険者と臨時で組んだ事は何度かあった。


 その時も等級の高い相手は連携が楽だったが、低い相手の場合はこちらの負担が大きかったものだ。


 それにしても、ザミの落ち込みようは見ていられない。夕べのシャキトゼリナの言葉が相当応えたのだろう。でも、あれは彼女なりの気遣いだったんだと思う。それはザミも気付いているから、今もこれだけ悩んでいるのだ。


 さすがに、今の彼女に掛ける言葉はティザーベルにはない。そっと魔力の糸で下宿屋の外を探ってみると、この時間からエルードらしき気配がある。


「マジかー……」


 思わずぼやいてしまってから、しまったと思ってイェーサを見るが、彼女には聞こえていなかったらしい。優雅にお茶を飲んでいる。ザミはこちらの声どころか存在そのものを認識していないので構わない。


 さて、どうしたものか。外に出られなければ、賄(まかな)いが出ないこの下宿屋ではひもじい思いをする。いっそ、移動倉庫にある食材で自炊でもするべきか。大した食材はないのだけれど。


 物は試しと、ティザーベルはイェーサに聞いてみた。


「イェーサ、台所を借りるのって、いくら?」

「一回十万メロー」

「高!」

「当たり前だよ。使えばそれなり設備が傷むんだからね」


 イェーサの言い分はわかるが、それにしても一回十万は高い。千メローくらいなら何とかなるかと思っていたのに。これでは自炊するという道も断たれた。


 いっそ、一度外に出てエルードをまいて、あちこちの店で料理を大量に仕入れておこうか。ティザーベルの移動倉庫なら傷む心配もない。


 ――あ、それなら大量に食材を仕入れて、一回で作れるだけ作って移動倉庫に入れるという手も……


「おはよう」

「うわあ! あ、ああ。シャキトゼリナか……おはよう」


 考え事をしている時に、背後から声を掛けられたティザーベルは心底驚いた。振り返った先にいるのは、シャキトゼリナだ。昨日の今日で、ザミに決心させる為に来たのだろうか。


「表。エルードは追っ払っておいた」

「へ? ……あ、本当だ。どうやったの?」

「簡単。ギルドで本部長が呼んでるって言った」

「……それ、本当?」

「嘘」


 しれっと答えるシャキトゼリナに、ティザーベルは呆気にとられた。以外としたたかな子だ。もっとも、女で冒険者になろうなんて子は、これくらいでないとやっていけないのだろう。ある意味、ティザーベルもそういう部分はある。


 でも、自分の為に彼女に嘘を吐かせたのは少し気になった。


「それ、バレたら後でうるさくない?」

「平気。エルードはしつこいけど、今はあなたに夢中だから」

「……」


 シャキトゼリナの言葉が恋愛絡みではないとわかっていても、何だか嫌な感じだ。あのしつこさは、パーティーの勧誘であっても扱いに困る。


 顔をしかめさせたティザーベルには構わず、シャキトゼリナはザミに向かい合う。


「ザミ、決心はついた?」

「……まだ」

「今なら、すぐ入れるパーティーがある。相談したら、いつでもおいでって言ってくれた。これだけの好機、そうそうない」


 シャキトゼリナのいうパーティーとは、これまた珍しい女性だけのパーティーなのだそうだ。大盾使いと剣士二人のパーティーで、斥候と遠距離が欲しいのだとか。


 接近戦型のパーティーだなと思っていたら、以前にも斥候と弓士がいたのだそうだ。その二人は、結婚を機にやめていったという。冒険者にも、寿退職があるとは。


 でも、冒険者の不文律の一つに、余所のパーティーメンバーに勧誘をしてはいけないというものがあるのだが。今回の場合は、いいのだろうか。


「ねえ、余所のパーティーからの勧誘って、受けても平気なの?」

「今回は平気。勧誘を受けたのではなく、こちらから入れてくれと頭を下げた形だから」


 余所のメンバーを勧誘するのはダメだけど、メンバー当人が余所のパーティーに入れてくれと頼むのはOKなのだそうだ。ある意味、不文律の穴をついたような話である。もっとも、不文律であって明文化されていないルールだからいくらでも言い逃れは出来るけれど。


 それでも、不文律を破る冒険者は他の冒険者からそっぽを向かれる。そうなると大事な情報を回してもらえなくなるし、仕事にも支障が出るので誰もやらないのだ。


 シャキトゼリナは眉間に皺を寄せて続ける。


「向こうは待ってくれてるけど、それもいつまでもって訳にはいかない」


 彼女の言葉に、ザミは何も言わずに俯いている。まだ幼馴染みの恋人を思いきれないらしい。


 確かに、付き合いが長いと情が移ってすっぱり切れない事は多い。自分もそうだったではないか。ユッヒに関しても、セロアからは散々口を酸っぱくして離れた方がいいと言われたのに、結局あのざまだ。


 そこまで考えて、ティザーベルは頭を振る。昔の事をいつまでもあれこれ考えるものではない。せっかくシャキトゼリナが厄介なやつを追い払ってくれたのだから、外に出て用事を済ませた方がいいだろう。


「ちょっと、出てくるね」

「行っておいで」

「気を付けて」


 イェーサとシャキトゼリナに見送られて、ティザーベルは下宿屋を出た。




 やはり外はいい。下宿屋が嫌いな訳ではないが、引きこもるのは性に合わないのだ。


 とりあえず、朝食をとった後は、食材もしくは料理を仕入れなくては。次に外に出られるのはいつか、わからないのだ。


「共同浴場も行っておこう……」


 共同浴場は一日中開いてるから、いつ行っても入れる。なんだかんだで昨日は入浴しそこねたから、朝風呂もいいかもしれない。


 帝都にはいくつか共同浴場があって、それぞれ特色があるという。イェーサお薦めは、女性に特化したサービスが行き届いているというヨルカ浴場だ。いつもは下宿屋に一番近い浴場に行っているので、今日はヨルカ浴場まで足を伸ばしてみるのもいい。


 ヨルカ浴場は帝都の南にある。下宿屋からだと、帝都内の水路を使った方が早いが、ティザーベルはのんびり散歩気分で歩く事にした。


 帝都の南は一度しか歩いていないが、前回歩いた時に浴場の場所は確認してあるので迷う事はない。それにしても、人通りの多い通りには何かしらの店が並んでいる。多彩な品揃えに目が惹きつけられた。


 ヨルカ浴場は他の共同浴場同様大きな建物だ。でも、他の浴場と違い外観からして女性好みに作られている。曲線を多用した細かい装飾が多く、またあちらこちらに鉢植えが置かれていて、季節の花が咲き誇っていた。これだけ花で飾る浴場も珍しい。


 中に入ると、入り口の両脇には大きな花瓶と美しくいけられた花々。重厚感よりも華麗さを前面に出した設えに、確かにこれは女性が喜びそうだと思った。


 お湯の方もあれこれ趣向が凝らされていて、一番人気は花が浮かべられた花風呂だそうだ。他にも肌にいい薬草を入れた薬草風呂なども人気らしい。


 共同浴場は基本無料だ。有料のサービスが存在するし、中での飲食は全て有料になるが、入るだけならタダである。


 ティザーベルは早速服を脱いで、中央にある大浴場に向かった。ここの湯温は熱すぎず温すぎない。ここより温度が高かったり低かったりするお湯もある。誰が入るのか知らないが、冷水浴もあるそうだ。大浴場は日替わりで内容が変わるらしく、今日は冷えに利く薬草の風呂だという。


 浴場内で使われている石けんは、最近人気の花の香りがするものだ。細かいところで女性好みを貫いている。


 大きな湯船につかって手足を伸ばしていると、肩を叩かれた。はて、知り合いでもいたかと顔を向けると、見た事のない相手だ。


「……何か?」

「あんた、ついこの間帝都にきた魔法士だろう? 冒険者やってるっていう」


 そう言ってきたのは、一見男と見間違えそうな大柄な女性だ。肩幅も広く筋肉もしっかり乗っている。胸筋と間違えそうだが、胸があるので女性だろう。なにより、ここは女湯だ。


「そうだけど……あなたは?」

「ああ、あたいはモファレナってパーティーのトロシアナってんだ。よろしくな!」


 そう言うと、トロシアナはティザーベルの背中をばんと叩く。かなり痛かった。


「ちょっとトロシアナ。あんたの力で叩いたら、その子折れちゃうわよ」

「何言ってやがる。魔法士といえど冒険者ならこのくらい――」

「無理だから。私でも無理だから。自分の馬鹿力、自覚しなさいっていつも言ってるでしょ?」


 もう二人、女性が近寄ってきた。確か、女性だけのパーティーの名前は古い神話の戦女神の名から取ってモファレナといったはず。ということは、この三人はシャキトゼリナが相談を持ちかけたという女性だけのパーティーか。


 そのモファレナが、ここにいるとは。これは、偶然だろうか。それとも――


「ああ、警戒しなくていいよ。私達がここにいるのはただの偶然」

「ほら、トロシアナが変な事するから」

「あたいのせいかよ!」


 トロシアナの言い分に、他の二人は深く頷いている。それを見ていじけたトロシアナは、大柄な体を縮こまらせている。何となく、このパーティーの関係性が見えてきた。


「改めて、私はムーテジャエル。こっちがペーゼ。私達三人でパーティーを組んでいるの」

「単刀直入に聞くけど、シャキトゼリナから聞いてる?」


 ペーゼと紹介された方からの質問に、ティザーベルは黙って頷く。パーティー勧誘の件だ。


「こんな事、初対面のあなたに頼む事じゃないかもしれないけど、あなたからもザミを説得してもらえないかな?」


 真剣な表情で言ってくるペーゼとムーテジャエルに、ティザーベルは何も答えられなかった。

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