三十九 変化

 ヨルカ浴場からの帰り道、ティザーベルは浮かない顔をしていた。通りは昼の日差しで明るいというのに、彼女の周囲だけ何やら薄暗い。


「なんであんな事頼むかなあ……」


 浴場でのモファレナ達との一件を思い出し、ティザーベルは深いため息を吐いた。

 モファレナの面々も、メルキドンの崩壊を予感しているらしい。そしてネックは、やはりザミの恋心だそうだ。


 彼女達がシャキトゼリナに聞いた話だと、ザミのお相手はトワソンという大柄な男子だそうだ。気は優しくて力持ち、を地で行く男子だそうで、小さい頃はよくいじめられていたザミを身を挺して護ってくれたのだとか。それが恋心に変わるのに、そう時間はかからなかったという。


 今でもトワソンとやらがそのままの優しさを持っていればいいのだけれど、どうもシャキトゼリナの目にはそう見えないらしい。帝都に出て変わったエルードの影響を一番受けているのは、彼だという。それも、悪い意味で。


 シャキトゼリナは、トワソン達をエルードから引きはがすのは無理だと感じているそうだ。そういえば、朝もそんな事を言っていた。


 モファレナは、帝都で冒険者パーティーを組んでから五年になるという。パーティーで五年は長い方だし、等級的にも五級と中堅所だ。そんな彼女達は、冒険者の男に引きずられて不幸になったり破滅する女性達を多く見てきたらしい。


 このままでは、ザミとシャキトゼリナも同じ事になりかねないと、彼女達は危惧している。救えるのに手を差し伸べずに後悔したくない。それがモファレナの総意だ。もちろん、ザミの斥候、シャキトゼリナの弓の腕も買っている。


 だから、使える手は何でも使う。その手の中に、ティザーベルも入っているというのは気に入らない。勝手に入れるのはどうなのか。


 ――でもなあ……このまま関わらないでいたら、それはそれで後悔しそうな気がするし。


 ザミも理性では理解しているけど、感情が追いついていないようだ。そして、ザミが頷かなければシャキトゼリナもパーティーを抜けない。あの二人はお互いを見捨てられないから。


 それはわかっているけれど、付き合いの浅い自分が説得したところで、ザミが頷くのだろうか。現に、付き合いの長いシャキトゼリナの言葉にすら、頷いていないではないか。


 ティザーベルは考え込みながらも、通りすがりにおいしそうな臭いに惹かれてあちらこちらで料理を買い込んでいる。そろそろ一月くらいなら引きこもっていても問題なさそうなくらいの量になった。


 そのまま唸りつつ下宿屋に戻ると、門の前で見知った顔が立っている。一瞬身構えたが、エルードではない。ヤードとレモだ。


「どうしたの? 二人とも」


 駆けよって聞いてみると、ヤードからは素っ気ない一言が返ってきた。


「ちょっとな」


 レモの方を見ると、彼は頭をかいている。照れているようだ。


「いや、嬢ちゃんの事が心配だったからだよ。あの後、あいつ来たか?」

「来た。というか、正直困ってる」


 ティザーベルの弱音に、ヤードとレモが顔を見合わせている。本当に、自分は巻き込まれただけなのに、どうしてこんなに困らなくてはならないのか。何だか理不尽だ。


 いつになく弱っているのがわかったのか、レモが優しい言葉をくれた。


「ここじゃなんだから、話せるところに行こうや」




 二人に連れてこられたのは、路地裏にある狭い店だ。店主とは顔なじみなのか、小声で短いやり取りをした後、奥の階段を上っていく。人一人通るのがやっとの狭い階段だ。


 上りきった踊り場にはドアが一つ。先行していたレモが開けると、日の光がたっぷり差し込む小部屋だった。


 促されて室内の椅子に腰を下ろす。大きめのテーブルが中央に据えられて、椅子は六脚。聞けば、知り合い専用で貸し出しているのだそうだ。


「で? やっぱりエルードの事か?」


 座った途端、レモから質問がきた。現在ティザーベルが泣き言を言いそうな案件など、パーティーメルキドンからの執拗な勧誘くらいしかない。パーティーというよりは、エルード個人と言った方がいいのかもしれないが。


 でも、今困っているのはそこではない。


「それが発端かなあ……。実はさあ」


 そう言い置いてから、ティザーベルはこれまでの事を話した。ザミ達の事、モファレナの事、メルキドンの近い未来。


 黙って聞いていた二人だが、メルキドンが崩壊するかもしれないという段になって、何やらお互いに視線を合わせていた。彼等も、考えは同じようだ。多分、誰が見ても危うい状態なのだと思う。気付いていないのは、エルード含むメルキドンの男子達だけだ。


 ティザーベルは、うんざりしながら言った。


「私は巻き込まれただけだから、出来れば遠くから見てるくらいでいたいのね。でも、ザミ達が幼馴染みっていうしがらみだけでパーティーから抜けられないなら、ちょっとは手を貸した方がいいのかなあって。でも、私に出来る事なんてほとんどないし」

「まあ……パーティー内の人間関係はなあ……」


 ティザーベルと一緒に、レモまで頭を抱えている。その実感のこもった言葉からは、彼も似たような経験をした事があると感じられた。過去に、パーティー内のトラブルにでもあったのだろうか。


 それまで静かに話を聞いていたヤードが、ぽつりともらした。


「幼馴染みって、そんなに特別か?」


 思わず、ティザーベルはレモと顔を見合わせる。こんな時だけアイコンタクト出来るのはどうなのか。でも、どう考えても「お前が答えろ」とこのおじさんは言っている。


「……そういうのは、人によるとしか」

「じゃあ、お前は?」

「『お前』だあ?」


 いきなり怒りを見せたティザーベルに、ヤードが引いた。彼女はこう呼ばれるのが好きではない。故郷のラザトークスで、「お前」と呼んできた奴らはことごとくティザーベルを馬鹿にしてきたからだ。


 レモに何か耳打ちされたヤードは、咳払いをして言い直す。


「……ティザーベルにとっては、特別なのか?」

「うーん、どうだろう?」


 ころっと態度が変わった彼女に、ヤードとレモが何やら小声でやり取りしているが、聞こえないので放っておく。


 ティザーベルにとって幼馴染みというと、どうしても最初に出てくるのがユッヒなのだ。あれを特別とするのは、何となく何かに負けた気がする。


 あのまま、二股を知らずに過ごしていたらどうなっていただろう。ありもしないユッヒとの結婚を夢見て、暮らしていただろうか。


 ――違うな。


 二股事件がなければ、ユッヒと結婚していたかと今聞かれたら、「ない」とはっきり答えられる。あれは、あの辺境の街にいたからこそ見た幻想のようなものだったのだ。


 だったら、ザミもエルード達に幻想を見ているのかもしれない。帝都に来て大分薄れてはいるんだろうけど、まだその残骸に縋りたいのではないだろうか。


 ザミが本当に恐れているのは、変化そのものだ。メルキドンを抜けるという事は、その変化の最たるものだと思えば、彼女の決心が鈍っているのも理解出来る。


「……ああ、そうか」


 理由に思い当たれば、答えは割と簡単ではないか。変化は怖くないと教えてやればいい。メルキドンが次の依頼を探している間に、一度お試しでモファレナに参加させてみてはどうか。彼女達とやっていけそうだと判断すれば、メルキドンから抜ける気にもなるだろう。


 ザミに必要なのは、きっかけだ。だったら、ティザーベルがそのきっかけを作ればいい。別にそこまでの義理はないが、隣部屋のよしみというやつだ。


 そうと決まれば話は早い。下宿屋に戻らなくては。


「二人とも、話を聞いてくれてありがとう」

「おう。何か吹っ切れたって感じだな」

「うん」


 人に話すと頭の中が整理されるというが、まさしくその通りだった。


 ――話すって、大事なんだなあ。


 これはいよいよセロアの帝都到着が待たれる。引き継ぎがあるから遅れると言っていたが、どのくらいの時期に帝都に来るのだろう。


 そんな事を考えながら、ティザーベルは別れの挨拶をして部屋を後にしようとした。


「じゃあ、またね」

「待て。こちらの話が終わっていない」

「へ?」


 引き留めたのはヤードだが、レモが何も言わないという事は、彼も関わる話という事か。ならば、仕事関連だろう。


 振り返るティザーベルに、ヤードは意外な一言を言った。


「俺達と、パーティーを組む気はないか?」

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