三十四 下宿屋
ゴーゼとの待ち合わせは、デロル商会帝都本店の前広場だ。
「ゴーゼさん」
「やあ、ティザーベルさん。遅くなりました」
「いえいえ、私も今来たばかりですし」
待ち合わせの常套句を口にして、ティザーベルは笑う。とはいえ、今来たばかりなのは本当だ。待ち合わせの時間に遅れそうだったので、ちょっと奥の手を使った事も内緒である。
「では、行きましょうか」
「はい」
これから帝都で暮らす下宿屋を、ゴーゼが紹介してくれるのだ。正直、孤児院出身で冒険者という肩書きを持つ身としては、安宿が見つかれば御の字と思っていた。そういった宿などはギルドでも紹介してくれるし。
下宿となると身元保証人が必要になるので、親なし定職とはいえない冒険者としてはかなり厳しい。
その点、ゴーゼは身元がしっかりしているし、何より帝国内でも知らぬ者はいないデロル商会の一員で、辺境とはいえ一支店を任されている人物だ。保証人としてこれ以上の存在はあるまい。
「ここから近いんですよ」
「へえ……」
ゴーゼの言葉に、頭の中に描いた帝都の地図を思い浮かべる。ギルド近くの広場からここへ来る最中、魔力の糸で帝都を大雑把に探索してあるのだ。外周とラザトークスから伸びる七号水路が入る箇所、そこからデロル商会本店への道、ギルドへの経路、ギルド近くの広場の位置はちゃんと把握出来た。
ギルドとデロル商会本店は割と近いので、下宿がこの側ならギルドへ通うのも楽だろう。
ゴーゼと世間話をしつつ歩く事約五分、ティザーベルは一軒の邸宅の前に立っていた。木製の柵の向こうには、手入れの行き届いた美しい前庭があり、邸宅の一階の窓にも多くの鉢植えが置かれていて、見事な花を咲かせていた。
「ここです」
「ここ!? ……あの、ゴーゼさん、ここ、お屋敷に見えるんですけど」
「ええ、そうでしょうね。でも下宿屋なんですよ」
にこにこと話すゴーゼに、邸宅を見上げるティザーベルは内心疑惑が晴れないままだ。門を開けて入っていくゴーゼに、遅れまいと付いていくしか出来ない。
ゴーゼは扉のノッカーを叩く。小気味よく響いた音の後、少ししてから扉が開いた。
「こんにちは、イェーサさん」
「いらっしゃい。待ってたよ」
出てきたのは白髪に皺だらけの老女だ。イェーサと呼ばれた女性は、細身でこの年齢にしては長身だ。ティザーベルよりも少し高いくらいだろう。イェーサはじろりとティザーベルを見ると、二人を中へ招き入れた。
通された部屋は、こぢんまりしているが整った部屋だ。華美ではないが洗練された調度品、さりげなく飾られた花、主張しすぎない風景画など、部屋の主のセンスを感じさせる。
促されてソファに腰を下ろすと、イェーサが口を開いた。
「それにしても、随分と久しぶりじゃないか」
「いやあ、辺境に行くとなかなか帝都に戻るのが大変で……」
「大方、面倒臭がったんだろう? お前さんらしいよ」
そういってからからと笑うイェーサに、ゴーゼは何も言い返せないようだ。ラザトークスではギルド支部長ですら頭が上がらないと噂があるデロス商会支店長も、目の前の老女には形無しらしい。
「それで? 下宿するっていうのは、そっちのお嬢ちゃんかい?」
ぼんやり二人を眺めていたら、急に話題がこちらに向いた。
「そうなんです。ラザトークスにいた頃からお世話になっている冒険者のお嬢さんでして。帝都での宿をまだ決めていないと聞きましたから、イェーサさんのところにお願いしようと思ったんですよ。ここなら安心ですし」
ゴーゼの話を聞きつつ、内心で「お世話になってるのはこっちだよなあ」とティザーベルは思う。依頼者と冒険者という間柄ではあるが、ラザトークスにいる頃から何かと親身になってくれた人だ。「余り者」として蔑まれる事が多かったティザーベルには、余計に染みる。
ゴーゼの話を聞いたイェーサは、腕を組みながら背もたれに体重を掛けた。
「冒険者ねえ……見た所、剣や槍を扱うようには見えないけど。弓が主な武器かい?」
イェーサの視線がこちらに向いているので、ティザーベルへの質問なのだろう。
「……いえ、魔法士です」
「へえ……魔法士の、冒険者ねえ……」
イェーサの声が一段低くなった気がした。故郷では気にも留めなかったが、帝都では魔法士の冒険者は相当珍しい部類であるのか、それとも何か忌避すべき存在なのか。
そんな事を考えていると、隣のゴーゼから援護射撃がきた。
「イェーサさん、ティザーベルさんは優秀な魔法士ですよ。冒険者をやっているのは、辺境の土地柄のようなもので――」
「お前さんは黙ってな、ゴーゼ。あたしゃこっちのお嬢ちゃんと話しているんだから。女の話に首を突っ込む男は嫌われると、何度も教えただろう?」
せっかくのゴーゼの援護だったが、イェーサの一睨みで終わってしまったようだ。
もしや、これは下宿の話は消えたか、と思った途端、イェーサがにやりと笑った。
「まあそう焦りなさんな。別に、あんたが冒険者だからって下宿お断りなんて言いやしないよ」
「え? あれ? 私、口に出してました?」
まるでこちらの心を読んだかのようなイェーサの言葉に、ついティザーベルはそう言ってしまう。しまったと思っても、もう遅い。慌てて口を押さえたが、イェーサには大笑いされてしまった。
「あっはっはっは。あんたは、自分で思っているよりも感情が顔に出やすいって自覚した方がいいねえ」
どうやら、表情に全て出ていたらしい。色々な意味で穴があったら入りたい気分だ。
イェーサはひとしきり笑った後、ティザーベルに向き直る。
「ま、いいだろう。あんたはあたしがここで預かるよ」
「え? 本当に?」
「ああ」
驚くティザーベルに、イェーサは優しい笑みを浮かべて言った。
「あんたの他にも、冒険者をやってる子がいるし、魔法士の子もいる。ここは女子専用の下宿屋だから、気が向いたら他の部屋の子とも話してみるといい」
先程までの空気は何だったのか。そうは思うが、ここで下宿先を逃す訳にもいかない。何より、ゴーゼがせっかく紹介してくれたのだ。
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
差し出されたイェーサの手を、ティザーベルはしっかりと握り返した。
その後、イェーサにここで暮らす上での注意事項を聞いた。
「玄関は共通で一人一つずつ鍵を渡している。後、自室にも鍵がかかるから、二種類渡すよ。なくしたら実費で弁償してもらうから、気を付けな。それと、ここは女性限定の下宿屋だから、男を連れ込むのは禁止。あんたの部屋は三階の角だ。ある程度の家具はあるけど、気に入らなきゃ自分で手配するんだね。寝具は個別で用意しておくれ。後で隣の部屋の住人に挨拶しておくといい。あんたと同じ冒険者稼業の子だ。一階で使っていいのは居間だけだよ。後、別料金をもらうけど台所と応接室も貸し出してる。家賃は十日ごとの前払い制で三万メロー」
そう言いながら案内された部屋は、随分と広い部屋だ。ベッドと書き物机に椅子、クローゼットが一つ。それ以外にもあれこれ置けそうな程スペースがある。大きな窓から外を見ると、前庭と通りが見えた。
正直、家賃はラザトークスにいた頃の二倍以上だが、帝都でこの広さで家具付きの部屋を一月換算で約九万は正直安いと思う。
――ラザトークスじゃあ、これの四分の一の広さであの値段だったもんねえ……
その他にも細かい決まり事を教えてもらった。この邸に台所はあっても、現在は殆ど使っていないのでまかないはないそうだ。
「あんたの故郷はどうだったかしらないけど、帝都じゃあ自宅で料理するのは御貴族様くらいだよ」
庶民は台所のない家に住む事が多いので、全て外食になるのだ。これはラザトークスでも同じだったので、特に問題はない。そういえば、以前仕事で出向いた村では中央に共同の炊事場があって、各家庭が材料を持ち寄って食事を作るという。
そんな帝都で、何故この下宿屋には台所があるのかといえば、元は貴族の屋敷だったらしい。
「没落して手放したところを、あたしが買い取ったんだよ。それで少し手を入れて、下宿屋にしたって訳さ」
にやりと笑いながら言うイェーサを見て、まさか彼女が件の貴族を没落させたのではあるまいな、と思ってしまった。それも顔に出ていたらしく、イェーサに真顔で否定される。
「あたしにそんな力、ある訳ないだろ」
「ですよねー」
「あったら、こんなところで下宿屋なんてやってないで、帝国丸ごと乗っ取ってるさ」
スケールのでかい話だ。同行していたゴーゼと顔を見合わせて、つい笑いあってしまった。
部屋には今日から入れるというので、日用品などを買いに行く事にした。ゴーゼが付き合ってくれたおかげで、デロル商会で質のいい品をお安く買えたのは助かる。
隣の住人は今日は戻らないそうなので、戻ったら引っ越しの挨拶をしよう。何はともあれ、とうとう帝都に出てきたのだ。これから何があるかわからないけれど、故郷にいた頃より気楽に生活出来るといい。そう思いつつ、買ったばかりの寝具に身を包んで眠りについた。
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