三十五 帝都の初仕事

 帝都での最初の朝は、いい目覚めだった。


「環境が変わって眠れないなんて事もなかったしねー」


 もっとも、そんな時には自分自身に眠りの術式をかけるだけだ。着替えて顔を洗ってから、階下に下りる。居間を覗くと、大家のイェーサが一人でお茶を飲んでいた。


「おはようございます」

「ああ、おはよう」


 朝の挨拶をしたら、イェーサは微笑んで返答してくれる。こんなところも、故郷で住んでいた部屋の大家とは大違いだ。


「夕べはよく眠れたかい?」

「ええ、ぐっすり。ところで、朝食を食べるのにいい店ってあります?」

「それなら、この通りをまっすぐ行った突き当たりに手頃な店が集まってるよ」

「ありがとうございます、行ってきます」

「気を付けて行ってきな」


 たかが挨拶、されど挨拶。朝から何だかいい気分だ。ティザーベルは教えられた通りに邸の前の通りを奥へ進んで行った。邸の前の通りはそれなりに広いが、少し横に逸れると途端に路地が伸びている。こういったところを進むのも面白そうだ。迷ったら魔力の糸を使って大通りに出ればいいのだし、食事の後にでも試してみよう。




 朝食の後に路地を探索し、昼近くになってようやくギルドに向かった。朝一番にいい依頼はなくなるだろうけれど、仕事は明日からでも問題ない。


 ――というより、ユッヒに貸していた金が戻ってきたから、しばらくは仕事しなくても生活出来るのよね……


 とはいえ、怠け癖がつくのも困るし、勘が鈍るのも困る。今日は残り物の依頼でも見て、明日から本格始動する事にしよう。


 ギルドの帝都本部は、そこそこ人がいた。やはり辺境の支部とは違うらしい。依頼が張り出されている掲示板を覗く。さすがにここにはセロアのような知り合いはいないので、受付で直接依頼を探してもらう事は出来ない。


 ――セロア、早く来ないかなー。


 掲示板に残っているのは、冒険者にとって「おいしくない仕事」ばかりだ。内容がきつかったり面倒なのに依頼料が低い仕事を、冒険者達はそう呼んでいる。


 屋根やら壁やらの修理の手伝いから始まって、珍しいところだと子守というものもある。何故子守が冒険者に依頼されるのかといえば、依頼主を見ればわかる。騎士爵家の人間だ。おそらく、子守する相手はお家の後継ぎ様かなにかで、甘やかされて手が付けられない乱暴者なのだろう。


 依頼料はそこそこだけど、目端の利く人間なら貴族からの依頼は極力避けるものだ。ああいった連中は冒険者を同じ人間とは思わないので、無理難題を平気でふっかけてくる。そのくせケチが多いので、依頼料をまともに払わない貴族も少なくないのだとか。


 全て伝聞ではあるが、実際に酷い目にあった当人に聞いたので、まず間違いはなかろう。そういえば、あの巡回衛兵隊の隊長も貴族だった。横暴な貴族の被害に、知らぬうちに遭ってたという訳か。


 同じ事件で、とても貴族とは思えない人物とも出会った。オテロップで別れたきりだが、もう帝都に戻っているのだろう。


 あの街も、元に戻るには少し時間がかかるかもしれない。でも、デロル商会が頑張ってオテロップ支店をバックアップするだろうから、きっと遠くないうちに復興するはずだ。


 通り過ぎてきた街に思いをはせつつ、ティザーベルは簡単に終わらせられそうな依頼を一つ選んだ。下水道の害獣駆除という依頼だ。


「これ、受けます」


 依頼票をカウンターに持っていくと、受付が内容を見て顔を顰めた。何かあるのだろうか。


 受付てくれたまだ若い女性は、依頼票を指しながら言った。


「これ、内容はちゃんと確かめましたか?」

「ええ。何もおかしなところはなかったけど……」

「塩漬け依頼なんです、これ。もう三ヶ月も放置状態だったんですよ」

「ああ……」


 それはそうだろう。地下道なんて狭くて汚くて臭いと相場が決まっている。そんな場所に入って害獣……この場合は大抵ネズミだが、それを駆除しなくてはならない。臭い、汚い、面倒とくれば、駆け出し冒険者でも嫌がるだろう。


「依頼を一度受けて達成出来なかったら、違約金が発生するだけでなく等級にも影響しますよ?」

「知ってますよ? 完遂すればいいんでしょう?」


 親切心から言ってくれているのかもしれないが、何だかこの受付の女性とは気が合いそうにない。この依頼も、必要があるからこそギルドに出されたんだろうに。せっかく受けると言っている人間のやる気を挫くなど、受付がやっていい事ではない。現に、カウンターの向こうにいるギルド職員達の眉間に皺が寄り始めている。背後が見えない目の前の受付は気付いていないのだろうけど。


「受付処理、急いでください。今日中に終わらせたいから」

「はあ!? あなた、帝都の地下道がどれだけ広いか知ってるの!?」


 ティザーベルの言葉に、とうとう受付は声を張り上げた。その途端、彼女の背後から三十路くらいの男性が割って入ってくる。


「こちらの依頼ですね。処理はしておきますので大丈夫です。完遂条件は確認してありますね?」

「ええ。害獣の死骸を持ってくるんですよね。どこに持ってくればいいんですか? このカウンター?」


 ティザーベルの最後の一言に、最初に受け付けていた女性が軽い悲鳴を上げた。その様子に、後から来た男性職員が軽く笑う。


「いえ、それらは裏手の魔物引き取り所の方へ持っていってください。そちらで処理しますので」

「わかりました。ありがとうございます」

「いえ、お気を付けて」


 挨拶をしてギルドを出る。多分、この後あの受付は注意を受けるだろう。次からは彼女のカウンターには行かないようにしよう。




 帝都の地下道に下りるには、いくつかある入り口からになる。といっても、ティザーベルの場合は自分が下りていく事はない。


 既に見つけてある地下道への入り口から、魔力の糸を伸ばす。今回は地下道の掃除ではなく害獣駆除なので、魔力の糸を使って全滅させる予定だ。


 探索に加えて見つけた害獣を片っ端から電撃で感電死させていく。下水に電気が流れても、殺してはいけない生物がいる訳ではないから構わない。


 処分した害獣は、魔物素材用に作っておいた拡張鞄に放り込んでいく。普段使っている移動倉庫に入れないのは、やはり服や日用品を入れている場所に魔物の死骸を入れたくなかったからだ。


 こちらの拡張鞄は時間停止がない分、中に入れたものの数を自動でカウントしてくれる機能がついている。とはいえ、種類で分けてはくれないので、本当に入れた「物」の数を自動で数えるだけだ。


 そのカウント数は順調に上がっている。


「こんなにいたんだ……」


 そろそろ三桁に届きそうな数だ。それでも魔力の糸の探索には、まだ害獣の気配を感じる。確かに帝都の下水道は広い。これだけ広ければ、ネズミも繁殖し放題だろう。




 特に変異種などもなく、無事害獣を駆除し終わった。開始してから三時間は経過している。使った拡張鞄も、既に六個だ。もう少し多かったら、拡張鞄が足りないところだった。


 魔力の糸で下水道入り口から拡張鞄を取り出す。心なしか汚れている気がするので、後で洗っておこう。魔力を使って洗濯すると、どんな洗剤を使うよりも汚れを落とす事が出来るのだ。


 ギルドに戻ると、まずは裏手の魔物引き取り所の方へ行く。


「すいませーん」

「はいよー」


 引き取り所のカウンターで声を掛けると、筋骨隆々の四十路男性が出てきた。


「害獣駆除してきました」

「ああ、あれか。で? モノはどこに?」

「これです」


 話が通っているようなので、ティザーベルはカウンターの上に巾着程度の大きさの拡張鞄を六個置く。男性は一瞬嫌そうな顔をしたが、すぐにこれが何なのか気付いたらしい。


「おいおいおい、拡張鞄をこれだけ持ってんのかよ……」

「全部自作ですけどね」

「魔法士らしいな。それなのに冒険者ねえ……」


 四十路男にじろじろ見られて、ティザーベルの機嫌が降下する。帝都は他人への興味が薄い場所じゃなかったのだろうか。これでは故郷のラザトークスと変わらない。


 ティザーベルの不機嫌が伝わったのか、四十路男は慌てて手を前で振った。


「ああ、悪い悪い。冒険者に詮索は無用だったな。んじゃあ、こっちの樽に害獣を出してくれるか?」

「了解」


 指定された樽は、かなり大きなものだ。どうも、害獣は一匹ずつ数を数えるのではなく、樽ごとの計算になるらしい。


 樽の上で拡張鞄を開いて逆さまにする。その口から、勢いよく害獣の死骸が樽の中に入っていった。四十路男だけでなく、他にいた冒険者らしき連中も目を丸くしているのがわかる。


 大体樽一つで拡張鞄半分程度のようだ。ティザーベルは追加の樽を用意してもらい、計十二個の樽をネズミで一杯にした。


「魔法士ってなあ、すげえな……」


 手元の書類に何か書き込みつつ、四十路男がぽつりと漏らす。それには答えずに、ティザーベルは黙って書類を受け取りその場を後にした。


 ギルド内部は人で溢れている。朝一で依頼を受けた連中が、完遂して戻ってきたのだろう。カウンターから職員が出てきて列整理をしている。


「はい、並んで並んでー。はいそこ! 横から入り込まない! 誤魔化そうったって無駄ですよ! ちゃんと後ろに並んで! 並べって言ってんだろ!!」


 最初は丁寧な言葉を使っていた職員が、あまりにも言う事を聞かない冒険者達にキレて怒鳴りつけている。それでも言う事を聞かないと、一定期間依頼を受けられないペナルティが科せられる。ラザトークスではあまりいなかったが、帝都ではペナルティ経験者は多そうだ。


 ティザーベルもおとなしく列に並ぶ。これだけの人数がいるなら、フォーク並びをさせた方がいいだろうに。そう思うけれど、ここで提案する気もないので黙っていた。


 大分待たされてから、やっとカウンターに辿りつく。


「あ」


 お互いに声を出してしまったのは、受付に座っているのが昼間の男性だったからだ。


「これ、完遂しました」

「あ、はい。……本当に終わらせたんですね」


 そう呟きながらも、男性は手早く依頼票を処理していく。途中途中で小声で呟くのが聞こえてくるが、やはり害獣の数と、完遂までの時間の短さに関するものだった。


「っと、はい。これでこちらの依頼は終了です。依頼料は預託金口座に入れますか?」

「いえ、現金で」

「わかりました。この時間の現金受取は別窓口になりますので、こちらを持ってあちらの窓口に並んでください」

「はーい」


 何とも面倒な事だが、ティザーベルの後ろにも既に人が並んでいる。現金で依頼料をもらう人間の方が少ないだろうから、数を捌く為には仕方ない事なのだろう。


 案内された窓口で無事依頼料を受け取る。現在の所持金額から見れば微々たるものだが、依頼完遂の実績が溜まれば等級が上がる。そうすれば、ギルド内での信用度が上がるので、カウンターで割のいい仕事を斡旋してもらえるのだ。


 セロアが帝都に来るまでに、頑張って信用度を上げておこうではないか。短期目標の出来たティザーベルは、浮かれた様子でギルドを後にした。

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