三十二 お兄さんいい人ー
デロル商会総本店を出たティザーベルは、軽い溜息を吐いた。結局、ゴーゼとザハーはあれから小一時間も商談をしていたのだ。
「いやあ、お見苦しいところをお見せしました、ティザーベルさん。お疲れになったでしょう」
目の前でもの凄いスピードであれこれ決まっていくので、見ていて爽快感はあるものの、やはり慣れていないせいか気疲れしている。
「いや、まあ……ゴーゼさんはあんまり疲れているようには見えませんね」
「ははは。ザハー兄さんには慣れていますからね。ただ、他の人は兄さんに会ったりあの部屋に入った後に、酷く疲れた様子を見せるものですから……」
ティザーベルは内心とても納得する。大商会の長を努める人物は、やはり並ではないオーラのようなものがあって、それにあてられた感じだ。部屋も同様なのではないだろうか。
改めて、目の前のゴーゼはとんでもなく凄い存在なのだなと思わされる。
――ラザトークスでは、人のいい支店長というイメージしかなかったけどねえ。さすがやり手の商人だわ。
特に最後のザハーとのやり取りなどから、そう思わざるを得ない。並み居る奉公人の中から支店長にまで上り詰めるには、それなりのものがあるのだ。
ティザーベルは、一つ気になっていた事を聞いてみた。
「かえって部外者の私があの場にいて良かったのかと思いましたよ」
「まあ、本当に聞かせて困る内容は口にしていませんから。安心してください」
やはり商人、夢中で話しているように見えても、その場で言っていい事悪い事はちゃんと把握しているらしい。頭の回転の速い人でないと出来ない職業だと、つくづく思う。少なくとも自分には出来ない事だ。
ティザーベルが遠い目をしていると、ゴーゼがにこやかに告げてきた。
「さて、ではこれにて依頼は終了です。ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございます」
ゴーゼにそう返したティザーベルは、移動倉庫から依頼票を取り出して彼に渡した。その場でゴーゼが魔法印になっている指輪で押印して戻してくれる。これをギルドの窓口に持っていけば、依頼料が支払われるのだ。
ギルドに依頼する際には、魔法印かサインのどちらかを登録する仕組みになっており、依頼完了の時点で登録した方法で依頼票に押印ないしサインを入れる。依頼票の方でそれが登録されたものかどうかを判断するので、ギルドの支部に依存しないシステムになっていた。
遙か昔には、これらを悪用した詐欺紛いの依頼主や冒険者がいたそうだが、一度でも不正をすると依頼主はギルドでの依頼発注不可、冒険者はギルド追放になるので、割に合わないとやる人間は消えたという。
それはともかく今回の依頼は報酬もいいので、受け取るのが楽しみだ。何せここは帝都、故郷のラザトークスよりも生活に金がかかる。
まずは報酬の受け取りと、滞在場所確保の為にギルドに向かおうと思ったティザーベルに、ゴーゼが声を掛けてきた。
「時にティザーベルさん、失礼ですが、帝都での滞在先はお決まりですか?」
「いいえ、まだです。ギルドで長期滞在用の宿か、下宿でも世話してもらおうかと思っています」
冒険者に衣食住の斡旋をするのも、ギルドの仕事になる。頼めば予算内で宿を探したり下宿や集合住宅を探してくれる事もあるとセロアは言っていた。実際、ラザトークスで住んでいた部屋も、ギルドの口利きで借りたものだ。
ティザーベルの返答を聞いたゴーゼは、意外な事を提案してきた。
「実は、下宿先に一つあてがあるのですが、いかがですか?」
「あて?」
「ええ。私の知人がやっている下宿屋なんですが、冒険者の方も多く利用している下宿屋なんです。確か、女性専用の下宿屋もやっていますから、入り用でしたら紹介しますよ?」
何という嬉しい提案なのだろう。ゴーゼの紹介なら確かだ。しかも女性専用なら、何かと安心ではないか。
にこにことしているゴーゼに、ティザーベルは心からの笑みを浮かべた。
「ぜひ、よろしくお願いします」
その後、一旦別れてゴーゼは挨拶回りへ、ティザーベルは依頼達成報告の為にギルドに向かった。
ラザトークスではギルドの建物も木造だったが、ナザーブイはここも石作りだ。しかもラザトークス支部よりでかい。集まる冒険者の数もあちらよりは多いだろうから、当然なのだろうけど。
そして扉は何と自動ドアだ。目の前を通る冒険者が、何のアクションもしていないのに扉が開いたので間違いない。魔力を感じるから、魔法道具なのだろう。
――こんなところに魔法道具……お金かけてるなあ。
魔法道具は、小さいものでも高価な事が多い。半面、生活に必要な道具類は安価に出回っていた。ティザーベル自身は使った事はないが、魔法道具のコンロや湯沸かし器、暖房器具などがあるという。
違う意味で圧倒される思いだ。単純に便利さや建物の大きさ、人の多さでいえば、当たり前だが日本の方が上だった。だが、ここにあるあれこれにはやはり感心させられる。
それと同時に、こうした部分に同じ転生者、もしくは転移者の残り香を感じずにはいられない。
そんな事を思いつつ、ギルドの前で数秒立ち止まって見上げていたら、後ろから声を掛けられた。
「お嬢ちゃん、ギルドに何か用事かい?」
その呼び方に、つい後ろを振り返ったが、そこにいたのはレモではなかった。当たり前か、彼とは声が違う。
ティザーベルより頭一つ以上背の高いがっしり体形の男性は、無精ひげだらけの顔に人好きのする笑顔を浮かべていた。ギルド内部でないからか、いわゆるテンプレの絡みではないらしい。
こちらを見下ろす男の笑顔に、ついこちらも愛想笑いを浮かべてしまった。
「ええと、用事です」
「そうか、ならこんな所に突っ立ってないで、入った入った。何、取って食われたりはしねえよ。安心しな」
「はあ」
男はそう言うと、ティザーベルの背を押すようにしてギルドの建物へと向かう。その彼女の前で、木製の扉が両脇に開いた。
やはり自動ドアだ。ガラス製ではないからか、何だか妙な感じがするが。
「驚いたかい? こいつは魔法道具協会から提供されている自動扉ってやつだ。大抵、ここに初めてきた奴は驚くもんなんだぜ」
「そうなんですか……」
前世で当たり前に使ってました、とはさすがに言えない。それにしても、滑らかに開閉する扉は、どういった仕掛けで動いているのか。人を感知する仕組みはどうなっているのか、興味は尽きない。
つい自動ドアを見ていると、珍しいものから目が離せないと思われたようで、先程の男が呆れたような声を出した。
「ほら、自動扉ばかり見てないで。あれは逃げも隠れもしねえよ。お嬢ちゃんの用事は何だい?」
「ああ、依頼達成の報告です」
ティザーベルの返答を聞いた男は、きょとんとした顔をしている。そんなに意外な事だったのだろうか。確かに、女の冒険者は数が少ないし、いても大抵弓か短剣を使う物理攻撃職だ。
そうした女性達は、好んで男装をする。とはいえ、自分達で動きやすいように手を入れるそうで、男物をそのまま着る訳ではないというが。
ティザーベルは、どこからどう見ても普通の街娘の格好だ。確かに帝都辺りの衣装とは大分違うが、それでも冒険者をやっているようには見えないだろう。
――そういや、ザハーさんも驚いていたっけ……
それより前に、ヤサグラン侯爵とその配下達も大分驚いていた。あれには、ティザーベルが魔法士であるにも関わらず、冒険者をやっているという方が強かったようだけれど。
目の前の大柄な男も、ようやく再起動したらしく、聞いてきた。
「え……あ? お、お嬢ちゃんが、冒険者?」
「そうですよ。依頼達成報告は、どこですればいいかご存知ですか?」
「あ、ああ……こっちだ」
まだ、微妙に再起動しきれていないようだが、親切にもカウンターまで案内してくれるらしい。
それにしても、大きな建物だけあって内部も広い。しかも、カウンターがいくつかに仕切られていて、それぞれ依頼受注、達成報告、買い取り、依頼申込みと全て別のようだ。
――偶然だけど、この人が声を掛けてくれて助かったわ……でないと、多分迷ってた。
こういう場所にこそ、コンシェルジュが必要なのだろうけど、ギルドにとって冒険者は客ではない。依頼主は客だが、ギルドはそこまでサービス精神が旺盛ではないし、そうでなくとも客が途絶えないので改善もされないのだ。
案内されたカウンターで、無事依頼達成報告を終える。
「報酬は預託金口座でお支払いしますか?」
カウンターの職員にそう聞かれたので、ティザーベルはいつものように答えた。
「いえ、現金でお願いします」
「え? ……大丈夫ですか?」
最後の一言は、声を潜めて聞いてくる。何の事を言っているのかよくわからないが、とりあえず大丈夫と答えて現金を出してもらった。
それを肩掛け鞄のふりをした移動倉庫にしまうと、背後で待っていたらしい先程の大柄な男が心配そうにこちらを見ている。
「どうかしましたか?」
「いや、お嬢ちゃん、あんまり金を持ち歩くのは感心しねえな」
はて、帝都とはそんなに治安の悪い場所なのだろうか。皇帝陛下のお膝元だというのに。
首を傾げるティザーベルに、大柄な男はそっと囁いた。
「あんまり大きな声じゃ言えないけどな、大金持ってる奴を狙って襲う連中もいるんだよ」
「……誰も、捕まえないんですか?」
「ちっと訳ありでね」
大方、バックに有力者……この場合は貴族でもついているんだろう。面倒な事だ。もっとも、襲ってきてもこちらには傷一つつける事は出来ないだろうが。
それでも、念の為と思い男に確認してみる。
「一つ質問なんですけど」
「何だい?」
相手が怪訝な表情をしているのは、こちらがあまり怖がっていないからか。
「襲ってくる連中の中に、魔法士はいますか?」
「さあ、さすがにそれはわからんが……でも、襲われた連中の話じゃ、人数は多いけど魔法を使ったってのは聞いた事がないなあ。第一、魔法士なんて冒険者にはならんだろ」
目の前にいますよ、と言いたくなったがやめておいた。ただでさえ、カウンターで現金を受け取る場面を周囲に見られている。これ以上目立つ事もないだろう。
何より、これからゴーゼに部屋を紹介してもらうのだ。いらないごたごたは避けるべきである。帝都で住む部屋は、どんな所になるのだろう。今から期待に胸が膨らむ思いだ。
そういえば、とティザーベルは周囲を見回してみる。やはり、あの二人はいないようだ。多分、彼等の依頼主も、今頃裏で上司に視察の結果を報告している頃ではないだろうか。
そんな事を考えていると、お腹がくうと鳴った。そろそろ昼食時か。ゴーゼとの待ち合わせは、昼過ぎの鐘、午後三時辺りだ。前の街を出発したのが早かったので、朝食を食べてから既に六時間は経っている。
ティザーベルは、ついでだから目の前の気のいい大柄な男に、この辺りで食事をするならどこがいいか聞いてみた。
「飯か? そうだなあ。安く済ませたいなら、ここを出て右に真っ直ぐ行くと広場があるから、そこの屋台がお薦めだ。色々あるし」
「なるほど。ありがとうございました」
「おう、何か困った事があったら、いつでも相談にのるぜ。俺はシギル。武器は見ての通り剣だ。あんたは?」
「ティザーベルです。今日帝都についたばっかりの魔法士です」
「魔法士だって!? お嬢ちゃんがか!? 魔法士で冒険者をやってるなんて……」
シギルの声がギルド内に響いた途端、先程までの喧噪が嘘のように周囲がしんと静まりかえった。
彼は自分の発言がヤバかったと自覚したのか、「ちょっと付き合え」と言ってティザーベルの腕を掴んでギルドを飛び出して行く。
どうしてこうなった、と内心で思いつつ、ティザーベルは引っ張られるままに帝都の通りを走り抜けていった。
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