二十八 襲撃者

 オテロップ支店での話し合いを終え、仕込めるだけの仕込みを終えてから三人だけで宿屋を目指す。


 ゴーゼはあのまま支店に泊まり込むそうだ。宿泊出来るだけのものは完備されているそうなので、明日の朝迎えに行く事になっている。


 三人を尾行している連中は、うまいことこちらに来ていた。


「あのまま支店に張り付かれたらどうしようかと思ったよ」

「嬢ちゃんの事だから、対策は取ってあるんだろう?」

「一応ね。船で二人に使ったのと同じようなのを、支店丸ごと仕掛けておいたんだ」


 もちろん、迎撃用の術式も施してある。明日の朝、支店が開く前に行って解除しなくては。


 ティザーベルの言葉を聞いたレモ達は、若干顔を青ざめさせている。


「あれをか……」

「襲撃者には、いい薬だが……」


 レモもヤードも、実地でティザーベルの結界の威力を体験しているせいか、引っかかる襲撃者に同情気味だ。


 それにしても失礼な言い方である。


「別に、二人に害はなかったでしょ?」


 ティザーベルの言葉にも、そういう問題じゃないと言うばかりだ。じゃあ何が問題なのかと聞いても、はっきりとした答えは返ってこない。映像で見た限り、敵が昏倒していっただけで他にはなかったはずなのだが。


 釈然としない思いを抱えつつも、今夜の宿に到着した。


「……泊まりかい? 悪いけど、晩飯は出せないよ」

「構わねえよ」


 代表してレモが手続きをしている。といっても、オテロップにある一軒だけの宿屋は素泊まりが基本らしく、食事は別料金とゴーゼに聞いていた。


 受付の奥にある食堂は、時間が時間だからか既に閉まっている。


 ――それとも、食材が仕入れられなくて営業出来ないのかな。


 オテロップの現状は、それだけ厳しいという事か。今夜の夕食に関しては、オテロップ支店で出してもらった。ベンジントの手料理だと言っていたが、なかなかどうして、豪快ながらも奥深い味わいの魚料理だったのは驚きだ。


 そのまま部屋の鍵を渡されて、部屋は二階の奥だと告げられた。


「こっちは嬢ちゃんの部屋の鍵だ」

「ありがとう」


 レモが差し出してきた鍵を受け取る。この宿の費用も、後でゴーゼに請求が行くようになっている。


 別れ際、ヤードが言ってきた。


「何かあったら報せろ」

「そっちもね」


 そんな挨拶を交わして、それぞれ部屋に入る。索敵網を確認すると、尾行していた連中は宿の向かい側の建物の影にいるらしい。


 そろそろ夜の鐘が鳴る頃だというのに、ご苦労な事だ。そう思った途端、教会の鐘が辺りに鳴り響いた。


 室内の様子を確認すると、入って左側の壁際にベッド、入り口からまっすぐの壁に窓、その下に書き物机と椅子。明かりはなく、窓からの月明かりだけである。トイレは部屋の外で、宿には基本風呂場はない。


 まずはここからか、と思い魔法で小さな明かりを灯した。光量を絞ったので、間接照明のようなほの明るさだ。


 帝国内の街は、どんなに小さくとも必ず共同浴場がある。だから宿屋には風呂場がない事がほとんどなのだ。


 とはいえ、この街ではそれすら休業中らしく、誰もがお湯で体を拭く程度だとベンジントが言っていた。


「でも、お風呂は入りたいよね」


 まだ春先とはいえ汗もかいているし、何より埃っぽくて困る。ティザーベルは、室内に簡易浴槽を作る事にした。


 書き物机の手前、ベッドとその反対側の壁ぎりぎりまでを結界で覆う。前後左右に加え、上下にも張ったので、丁度四角い箱の中にいるような感じだ。物理結界なので、中にあるものは外には出られないし、外からも入る事は出来ない。


 次に細長いバスタブを結界で作る。色を付けられればそれっぽくなるのだろうが、あいにくそこまで手を加える気はない。お湯が漏れなければいいのだ。


 その中に水を満たし、小さな火を投じて温度を上げていく。一つ、二つと放り込んでいき、三つ目で適温になった。


 一度電子レンジを真似てみようと実験をした事があるが、制御が甘くてそこら一体を火の海にしかけたので、それ以来封印している。


 窓にはカーテンなどないから、孤児院時代から愛用している大きめの布の衝立を移動倉庫から取り出し、目隠し代わりに立てかけた。これで準備万端だ。


 服を脱いで肩までつかると、体中の疲れが流れ出ていくようだった。


「あー……生き返るー……」


 転生者であるティザーベルが言うとシャレにならない言葉だが、まさしくそんな心地である。やはり風呂はいい。


 途中でお湯に浄化の術式を施した。こうしておくと、お湯に浸かるだけで体が綺麗になるのだ。洗い場が用意出来なかったので、次善の策である。


 ひとしきり入浴を楽しんだ後、全てを魔法で消し去っておく。


「こういう時程、魔法って便利だなあって思うのよねえ」


 仕事の時にも思うが、ティザーベルは日々の生活の中でこそ、魔法のありがたみを実感する事が多い。何せ便利な世界での生活を知っている為、帝国の生活水準ですら低いと感じるのだ。


 話に聞くだけだが、大陸の東にある小国の生活はこの国とは比べものにならない程大変だという。それを聞いて、絶対東には行くまいと心に誓ったものだ。


 着替え終わったちょうどその時、まるで見計らったかのように敵が動いた。ずっと広げっぱなしだった索敵網には、最初の尾行者を含めて三十人近い人間が引っかかっている。視覚化した索敵網には、見事に敵を示す赤い点がひしめいていた。


「とりあえず……」


 ティザーベルは部屋を出ると、隣にいる二人の所へ向かう。


「こんばんはー」


 扉には鍵がかかっていたが、物理的な鍵などティザーベルにとって用を為さない。扉を難なく開けて入ってきた彼女に、二人とも驚いた様子を見せている。


「……鍵はかけておいたはずなんだが」


 夜も深まったというのに、寝る仕度を一切していないヤードの言葉に、けろっとした答えた。


「この程度の簡単な鍵なら、いくらでも解除出来るよ」

「そうか」

「いや、そうかじゃねえだろ。嬢ちゃんも、そういう問題じゃねえってわかってるんだろうが」


 レモががっくりと肩を落とすのに、ティザーベルは続けた。


「わかってるよ。鍵開けてまで入るなって言うんでしょ? でも非常事態だから」


 彼女のこの一言に、二人とも臨戦態勢に入った。彼等も、外の気配には気付いていたのだろう。だから旅装も武装も解いていないのだ。


「何人いるか、わかるかい?」

「ざっと三十人程度かな。どうする? 二人だけでやっつける?」


 彼等なら、一人頭十五人の敵を倒すなど朝飯前だろう。だが、二人ともが首を横に振った。


「いや、悪いが船の時と同じ術をかけてくれ」


 ヤードの言葉に、レモも頷いて同意している。


「いいけど……いっそ、あの三十人まとめて眠らせようか?」

「一応、こちらを襲ったという証拠がほしい」

「了解」


 ついでに宿の主人にも結界を張っておこうかと索敵網で探ったのだが、彼は宿のどこにもいない。おそらく、敵に脅されたか買収でもされたのだろう。


 でも、これで二人には思いきり暴れてもらえる。ティザーベルはにんまりと笑った。



 ◆◆◆◆



 月明かりがやけに綺麗な夜だ。こんな夜に、罪もない相手を襲わなくてはならないとは。そう思いつつ、天を仰ぐ。


 命令に背けば軍法会議で極刑をくらうと脅されては、従わざるを得ない。自分だけではない、この場にいる仲間は全員そうだった。悪いのは我々ではなく、あんな極悪人を隊長に決めた中央なのだ。


 暗闇に潜む彼等は皆、黒ずくめの装備に顔も布で隠している。後ろ暗い事をする用意だった。


 この場をまとめる役を押しつけられた彼が、無言のまま手で仲間に合図を送る。敵に対峙した際に使うよう訓練した合図を、まさか罪のない庶民相手に使う事になるとは、彼も思わなかった。


 彼等は、巡回衛兵隊の正規軍人だ。全員平民出身ではあるが、きちんと入隊試験を受けて合格し、厳しい訓練を勝ち抜いていた、言わば優秀な人材である。


 それもこれも、民衆を護りたかったからだ。地方の貧しい村などは、ギルドに依頼を出す事も出来ずに魔物の脅威にさらされる事が多い。彼が子供の頃も、そうだった。住んでいた村のすぐ近くで、魔物が見つかったのだ。


 顔見知りの大人が何人か犠牲になった。子供や女性、老人は村の外には出ないように、出来れば家からもなるべく出ないように言われて、子供心に重苦しい空気に押しつぶされそうな時間を過ごしていたものだ。


 だが、そんな日々も巡回衛兵隊のおかげで終わった。彼等が件の魔物を退治してくれたのだ。


 村は沸き返った。誰も彼もが衛兵隊に礼を述べたものだ。だが、彼等は誇らしげな表情をしながら、「これが我々の仕事です」と言うだけだった。


 彼にとって、あの衛兵隊はまさしく英雄だったのだ。自分も、いつかは彼等のようになって、どこかの名もない人達を助けるのだと心に誓ったのに。


 現実は、ひどく残酷だった。軍内部は腐敗し、貴族共による汚職が横行する。人事も、この街にいる隊の隊長を見ればわかる通りだ。


 自分が憧れた英雄達は、もうどこにもいなかった。いるのは、武力で平民を押さえつける貴族とその手下だけだ。


 一体、いつからこんな事になってしまったのだろう。


「……今更か」


 つい、口から言葉が漏れ出てしまった。貴族共の専横を許している皇帝だ、こんな僻地での事など気にも掛けまい。そうして中央から離れれば離れる程、こうした腐敗は広がっていくのだ。


 希望など、どこにもない。彼はそう腹をくくると、自分が死なない為に貴族の命令に従うのだった。




 宿の亭主は既に避難済みだ。彼も抵抗を続けていた一人だったが、さすがに妻子を人質に取られては言いなりにならざるを得ない。今回の件で隊長は味を占めただろうから、次からは抵抗する家は襲撃するのではなく、人質を取るようにするだろう。


 人質としてとった人間をその後解放するかどうかは知らないが。


 ――いかんな……考えが悪いほうへと向かっている……


 悪い事が起こると考えると、本当にそうなると言ったのは誰だったか。彼は天を仰いで気を引き締めた。標的がいるのは、宿屋の二階。彼等の他には、客はいない。多少宿をこわしたところで、隊長は何も言わないだろう。


 亭主は賠償を訴えてくるかもしれないが、そんなに強くは言うまい。誰だって、自分や家族の命は大事なのだ。


 兵士は、仲間と共に宿屋へと侵入を果たす。暗がりの中、夜目が利く奴が先導して進んで行く。


 二階へ行くと、部屋は六つあった。連中が泊まっているのは、手前の二つだと聞いている。目当ての娘は、奥側の部屋だとも。


 娘を人質に取り、男二人を拘束する。人質になり得なかったら、やむを得ないので全員斬り殺す事になるだろう。どのみち、彼等に待っているのは死だ。


 そっと扉に近づき、亭主から預かった鍵で扉を開ける。鍵穴に鍵を差し込み回すが、一向に解錠されない。


 ――鍵が違う?


 だが、隣の部屋に侵入しようとしている連中は、たやすく扉を開けていた。どういう事なのだろう。


 彼がもう一度解錠を試みようとしたその時、隣の部屋から叫び声が上がった。仲間が標的を仕留めたのかと思ったら、部屋の中から我先にと飛び出してきたのは、黒ずくめの仲間の方だった。


 あまりの事に呆けていると、目の前に豪奢な髪色の若者が立つ。


「安眠妨害はいただけないな」


 それだけいうと、若者はこちらに手を伸ばしてくる。彼の意識は、そこで途切れた。



 ◆◆◆◆



 宿の廊下からの物音がなくなり、索敵網で襲撃者が全員一階の食堂に集められた時点で、ティザーベルは部屋に張って置いた結界を消し、自身も一階へと下りていった。


「片付いた?」


 そう声をかけた先は、食堂の入り口付近で襲撃者を見下ろしているヤードとレモだ。二人は呆れた様子で振り返る。


「あの術は楽だがえげつないな」

「その術を使うって決めたの、二人だよねえ?」


 ヤードとティザーベルの間で薄ら寒い攻防が繰り広げられようとしている間、レモはのんびりと襲撃者達が顔につけていた布を剥ぎ取っていた。その仲の一人に、見覚えのある顔がある。


 ティザーベルは、襲撃者の一人に近寄った。


「この人、詰め所で見た顔じゃない?」


 彼女の言葉に、レモが改めて襲撃者の顔をのぞき込む。


「どれ……ああいたな。ってえ事は、こいつらは巡回衛兵隊員か。まだごろつきを雇っている方が良心的だったってもんだ」

「だねえ」


 これでこの街にいた隊員全員が処罰対象となるだろう。おそらく、あの問題児隊長はごろつきを雇う金を惜しんで部下にやらせたのだ。あちらこちらの商店から物品や金を巻き上げているというのに、このケチ臭さ。


「あの問題児の実家って、実は大した事ないんじゃないの?」


 ついそんな言葉も出てくるというものだ。実家の財力がしょぼいから、犯罪を犯しても金が欲しいのではないか。


 ティザーベルのこぼした言葉に、レモは苦笑している。


「まあ、その辺りもあの旦那の奥の手とやらが教えてくれるんじゃねえの?」

「だといいけど」


 これで実際凄い家でした、と言われたら逆に気が萎えそうだ。中央にはこんな馬鹿な事をしでかすような貴族ばかりかと思うと、これから帝都に出る身としては希望がなくなる。


 そんな事をぼやいていると、ヤードが口元に指を立てた。ぴたりと無言になったティザーベルとレモも、彼が何故そうしたか次第に理解する。


 馬の蹄の音だ。しかも、かなり数が多い。三人は顔を見合わせた。ティザーベルが、顔の前に指を立てる。


「一、奥の手が来た。二、実はあの隊長が外に用意していたならず者の仲間が来た。三、他の地域を回っていた巡回衛兵隊が街の異変を察して応援に駆けつけた」


 三つの可能性を挙げると、レモが聞いてきた。


「三の場合、応援は俺等か? それとも……」

「あの隊長の方だとしても、もう驚かないわ」


 もしそうだとしたら、この国の軍はかなりやばいという事になる。一介の冒険者風情が考える事ではないが、元民主主義の国民としては、中央政府がこの事をどこまで把握しているのかが気になるところだ。


 今度はヤードが聞いてきた。


「一の可能性はどれくらいある?」

「正直一割もないんじゃないかなあ。結構離れたところにいたから」


 デロル商会オテロップ支店でゴーゼが提示した奥の手、それは彼が帝都にいたころから懇意にしている軍人に協力を仰ぐというものだ。


 その人物はオテロップのすぐ近くにある地域の領主で、幸いにもこの時期は毎年地元に戻っているのだとか。


 ゴーゼはすぐその人物にオテロップの現状と、衛兵隊長の名前、そしてこれからティザーベル達が襲撃されるであろう事、それを返り討ちにする予定である事を私信に書き記した。


 私信とは紙の魔法道具で、予め指定しておいた人間にしか読む事も書く事も出来ない代物だ。


 これは緊急時の連絡用にと、件の人物からラザトークス支店に赴任する際に渡されたものだという。そんな大事なものを、こんな状況で使うとは。特にベンジントは恐縮して、ゴーゼの提案を一度は断った程だ。


 それをゴーゼとレモが言いくるめ、ティザーベルがゴーゼに聞いた方角へ魔法で飛ばした。私信が相手までの道しるべになるので、ティザーベル自身が届け先を知らなくても問題はない。


 私信そのものに魔力が含まれているので単体でも相手の元まで届くのだが、追加で魔力を加えるとそのスピードが上がると聞けばやらない手はなかった。


 余談だが、その際に手紙を折り鶴にしている。その事でゴーゼ達に驚かれたし、どこで覚えたのか聞かれたが、流れの冒険者に教わったと嘘をついておいた。


 魔法で飛ばす際に魔力の糸を付けておいたので、おおよその距離がわかるのだ。街道を馬で飛ばしたとしても、明日の朝の鐘がなるまでに間に合うかどうかといったところだろう。


 では、あの多数の蹄の音は何なのか。再び、三人は顔を見合わせた。


「……どうする?」

「こいつらここに置いたままってのも、まずかろうしなあ」

「一応、証人っちゃ証人だもんねえ」


 問題がないなら、今すぐこの街から逃げ出してしまいたいが、お互い依頼主がいる以上それは出来ない。


 万事休す。ティザーベルは思わず天井を仰のいた。

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