二十二 酔っ払い共
それはそうと、と言い置いて、セロアが尋ねてくる。
「いつ帝都に向かうの?」
「うーん……特に仕度もないから、出来る限り早くこの街を出ようかな。あんたは?」
「こっちはギルドの引き継ぎやらなんやらがあるから、ちょっとかかりそう。でも、あんたは確かに早めに出た方が良さそう。ユッヒに勘付かれる前に、ね」
変なところで鼻が利くユッヒだ、ティザーベルがラザトークスを出るともう頼れなくなるとわかっているから、引き留めてくるかもしれない。
その割には、別れたら一緒に仕事をしなくなる程度の事にも頭が回らないのだから、始末に困る。これまで依存しあっていた事が悪影響を与えているのだろうか。
――いんや、あいつの元々持って生まれた気質だわ。
大体、お互い十七とはいえ帝国的には成人済みなのだ。そんな相手の人格形成にまで責任を持たなくてはならない謂われはない。
今自分が考えるべきは、帝都に向かう手段と時期だ。行くと決めたら、早く帝都を見たくなった。もう明日の朝にでもラザトークスを出てしまいたいが、その前に帝都方面へ行く仕事が受けられないだろうか。
目の前にギルドの受付がいるのだし、聞かない手はない。ティザーベルは、飲みすぎなのか若干頬が赤いセロアに尋ねた。
「直近で、帝都方面へ行く依頼って、ない?」
「んー? 詳しい事はギルドにいかないとわかんないけど……確か、デロルのゴーゼさんから護衛依頼が出ていたんじゃないかなあ? 何か、結構拘束時間が長い依頼だったけど、帝都方面だったはずー」
デロル商会というのは、帝都ナザーブイに本店を置く大店で、ここラザトークスにも支店を出している。ゴーゼはその支店長だ。
以前近場の街へ出張しに行く時に、護衛の依頼を何度か受けた事がある。冒険者にも礼節を忘れない、出来た人だ。
「ゴーゼさんの依頼かあ……他に受ける人がいなかったら、私が受けたいな」
「まだ表に出してないから、明日の朝一にギルドに来なよ。用意して待ってる」
「OK」
ギルドでは、受付が冒険者に直接依頼を薦める事がある。基本は冒険者自らが掲示板に貼りだしてある仕事一覧から選ぶのだが、ギルドとして失敗したくない依頼の場合、信用度の高い冒険者を選んで直接話をもっていくのだ。
信用度は等級のみならず、その冒険者がどのような人物かも含まれる。腕はよくとも人として信用出来ない相手には、ギルドとしても大きな仕事は任せたくないらしい。
それにしても、随分ととんとん拍子に話がまとまったものだ。ティザーベルは溜息を吐く。
「決まる時って、あっさり決まるもんだね。まさかこんな簡単にこの街を出て、帝都に行く事になるとは思わなかった」
「世の中なんて、そんなもんよ」
したり顔のセロアに苦笑を漏らしつつ、本当にそんなものなのだろうとティザーベルも思う。これまで停滞していたものが、一挙に動き出したような感じだ。
いざ離れるとなると、少しは思い残す事もあるかと振り返ってみても、この街には本当に何もないんだなと思わされただけだった。
偏見と差別に満ちた視線は、それでも仕事を確実にこなしていく事によって、ほんのわずかながら変わった。
そうやって、少しずつでも自分の居場所を確保していくのだろうと思っていたが、そうではなかったらしい。
「ま、これも人生よね」
そう断じて口にしたティザーベルに、セロアも同意する。
「そうそう。人生何が起こるかわかったもんじゃない」
「そうねえ。いつの間にか死んで異世界に転生していたりするしねえ」
「本当よねえ」
お互いを見て、また笑った。同じ生きるのなら、くよくよしているよりも笑って生きた方がいい。帝都で何が待ち構えているかは知らないが、この先もセロアと一緒ならこんな風に笑っていけるだろう。
「そういや話は変わるけどさあ」
まだ赤い顔をしたままのセロアが、何やらにやにやしつつ言ってきた。
「今、帝都からいい男が来ているの、知ってる?」
「いい男? ううん、知らない」
大体、帝都から来ているという事は、商人か冒険者だろう。いい男と言うからには見目がいいのだろうが、だとするなら商人か。冒険者の男なぞ、力があればいいと思っている脳筋ばかりで、身だしなみに気を遣う者など皆無だ。
だが、セロアが言うには冒険者なのだという。
「やっぱりさあ、同じ冒険者でも帝都辺りにいるのはここらの芋共とは違うって事なのよ」
「こらこら、私らだって、帝都の人から見たら十分芋娘なんだから」
「でも! 私達は身だしなみには気を遣ってるわよ! しょうがないじゃない! この街じゃあ店で扱ってるアイテムが少なすぎて、おしゃれしようにも限界があるんだからさあ!」
その言葉には一理あるとティザーベルも頷く。基本、辺境では食べる物だけでなく着る物も自分達で賄う事が多い。仕立屋はあるが料金が高いので晴れ着を作る程度、商会でも扱っているのは糸や布といった素材のみ、しかも柄などなく染めてあればましな方といった具合だ。
普段着に関してはそういった素材を買い求め、自分達で仕立てるのがこの辺りの常識である。裁縫が苦手なら、得意な知り合いに布や糸を渡して仕立ててもらうのだ。
ティザーベルの場合、裁縫が苦手なので全て魔法で仕立てている。布と糸さえあれば、針がいらないので楽なのだ。
帝都では、いわゆる既製品が多く出回っているのだという。色や柄も豊富で、いくらでも選べるのだとか。そうした情報はギルドに入ってくるらしく、セロアが羨ましがっていた。
この手の話題に関しては、話し始めるとセロアは長い。これまでの経験から知っているので、ティザーベルは話題を逸らす事にした。
「わかったわかった。それで? そのいい男とやらは、いつ帝都からこの街に来たのよ?」
「うーんと、三日前くらいだったかなあ」
「ああ、じゃあ見ていないのも当然だわ。私、四日前から東の大森林に入って素材狩りをしていたから。帰ってきたの、今日の昼よ」
戻ってきたその場で、ユッヒから例の発言を聞いたのだ。思えば、彼から結婚すると聞いてからまだ一日も経っていない。随分長い時間が流れたように感じたのは、それだけ今日という日が濃かったからか。
「あー。じゃあ、今頃ユッヒは例の子と一緒なのかもねー」
「そうねー」
「突っ込んだ事聞くけどさ、ユッヒとはヤったの?」
油断していたところに、セロアからの下世話な質問が飛んできた為、危うく飲んでいた酒を吹き出すところだった。
「なんちゅう事聞くか、この女も」
嫌な顔をしても、セロアは引かない。やはり相当酒が回っているようだ。
「えー? だって、やっぱり気になるじゃない? 結婚するつもりだったんだから、やっぱりヤってた?」
「なかった」
「マジでー?」
「マジで。向こうは望んでたけど、拒否しちゃった」
別に拒んだ事に理由はない。結婚まで清い体で、なんて事を考えていた訳でもなく、ただ何となくだった。
それをぽつりと漏らしたところ、セロアは何やらうんうんと頷いている。
「結局それがいい方向にいったんじゃない? ちょっとお預けくらったくらいで、他の女に目が行く男なんて信用ならん」
「まあ、今考えればねえ。そんで疲れて帰ってきたら、いきなり『俺、結婚するんだ、ナナミって子と』よ」
「気にしない気にしない! あんなポンコツ野郎の事なんて、いっそ森の向こうに捨てちまえー」
「そうね、いっそ本当に捨ててくれば良かった。毎回毎回狙ったようにポカしやがって。今回の狩りだって、危うく素材をパーにする所だったんだから」
「本人をパーにすれば良かったのにー」
「頭の中身はパーだけどな」
「うははははは」
どうやら、セロアだけでなくティザーベルもしっかり酔っているらしい。セロアが笑いが止まらない状態になったので、そろそろ眠気がくる頃だろう。
ティザーベルの方は思考はまだかろうじてまともだが、理性のブレーキがはずれかかっている。おかげで普段は口にしないユッヒへの罵詈雑言が漏れ出ていた。
剣士としての彼は、あまり腕がいいとは言えない。自分が街を出て行った後、どうなる事やら。他のパーティーに入れてもらえれば生き残る道はあるけれど、ソロではまずやっていけないだろう。
多分だけど、ユッヒの中では彼が他の女性と結婚しても、ティザーベルと冒険者の仕事を続けていけると根拠もなく信じてるんだと思う。冷静に考えれば、そんな事ある訳ないのに。
「まあ、男なんだから、どうとでも生きていくでしょうよ」
この世界は、男性の方が何かと生きやすい。冒険者だって、九割以上が男性で構成されている。その分ギルド職員は女性の比率が高いが、辺境で生きていくには男性の方が有利なのは確かだ。
孤児で余り者で冒険者をやっている女。それだけで、ティザーベルは普通の家の娘より一段も二段も低く見られる存在だ。このまま行けば、多分結婚も出来ないだろう。あるとすれば、年の離れた相手の後添いくらいだ。
それはもういい。寂しい人生になりそうだけど、その分他で埋め合わせが出来るだろう。この街では難しいかもしれないが、これから向かう帝都なら、女が一人で生きていても、さほど厳しい状況にはならないようだ。全て伝え聞いただけなのが心もとないけれど。
「ま、なるようになるさ」
これまでもそうだったのだから、この先もそれでいい。とりあえず、今考えるべき事は目の前で寝落ちしているセロアをどうやって部屋まで送っていくか、だろう。
幸せそうな寝顔を見せる友を眺めながら、ティザーベルはグラスに残った酒を飲み干した。
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