二十一 楽しい夜はふけて

「帝都にって……私が?」


 ティザーベルの言葉に、セロアが頷く。


「あんたは冒険者だし、どうせユッヒとのパーティーも解消でしょ? だったらこの街を出て行くのに支障はないじゃん。私もさ、もう親はいないから気軽に帝都に行くって決めたのよ」


 そう言って苦く笑うセロアの両親は、三年近く前に火事で亡くなっていた。友人の家に泊まりで遊びに行っていたセロアだけが助かったのだ。


 その後、彼女は父親の友人だったギルド支部長の勧めでギルドに職員として入り、今に至っている。


 ――確かに、支障はないなあ。それに、ついさっき世界を見て回りたいって思ったばっかりだし。


 これまでも、ラザトークスを出て別の街に行ってみようと思った事はあったが、それが実現しなかったのはユッヒが嫌がったからだ。彼は何故か、ラザトークスから出るのを嫌っていた。そんなにいい思い出があるとも思えないのに。


 考え込むティザーベルの耳に、セロアの心配そうな声が響く。


「それにね、このままこの街にいるのは、あんたの為にもならないと思うのよ」

「どういう事?」

「ユッヒよ。あいつ、あんたの事振っても、いざとなったら絶対あんたに集ってくるから」


 憤慨するセロアに、ティザーベルは返す言葉もない。確かに、甘えた考えのユッヒでは、セロアの危惧した通りになるだろう。


 今思えば、自分もユッヒもお互いに依存していたのだ。その中でティザーベルはユッヒの面倒を見るのに慣れ、ユッヒはティザーベルに甘える事に慣れた。


 二股の件でティザーベルは目を覚ましたけれど、ユッヒの目が覚めるとは思えない。自分に甘い彼の事だから、他の女と結婚してもティザーベルに頼り続けるだろう。


 考え込むティザーベルには構わず、セロアは続けた。


「面倒くさがりのあいつの事だから、口座残高なんてそうそう確認にこないけど、確認したら絶対あんたに食って掛かるだろうし、その後は泣き落としでまた借金申込みにくるよ」


 セロアの言葉に、その場面がリアルに脳裏に浮かぶ。確かにやりかねない。というか、絶対にやる。


「……もう申し込まれても、担保がないから貸さないけどね」

「それでも、あんたが嫌な思いするのは絶対だから。だったらその前に、帝都に出ちゃった方がいいと思うんだ。ユッヒじゃ帝都まで追っかけて来れないし。それにこの街って狭いでしょ? 田舎特有の便利さもあるけど、いやらしさもあるからさ」


 セロアの言は正しい。狭いコミュニティには便利さもあるが、それ以上に煩わしさも多いものだ。あっという間に噂が出回るのもそうだし、孤児や冒険者に対する見えない壁も煩わしいものの一つだ。


 だが、国中から人が集まる帝都ならどうだろう。行った事がないから詳細はわからないが、おそらくはこの街とは違って他人との距離が開いているのではないだろうか。ここは距離が近すぎる。


 そういう意味でも、確かに自分は帝都の方が生きやすいのかもしれない。


「そうね、行こうかな」

「よし、決まりね! やったー、これで帝都でもあんたと遊べるー」


 諸手を挙げて喜ぶセロアを見て、ティザーベルは苦笑を浮かべながら言った。


「おい。その為に誘ったんじゃないでしょうね?」

「んー? 三分の二くらいはそうかな?」


 そう言ってけらけら笑う彼女に釣られて、ティザーベルも笑い出す。確かに、このやり取りがこれからも出来るのは嬉しい。


 ティザーベルはグラスを掲げて言った。


「じゃあ、もう一回乾杯。帝都での新しい生活に」

「帝都での薔薇色の日々に」


 セロアの中では、帝都での生活は既に薔薇色に染まっているらしい。気の早いことだと思うが、希望を持つのは自由だ。それに、暗い未来を思い描くより、明るい将来像目指して突き進む方が自分達には合っている。




「そういえばさあ、前々から聞きたかったんだけど」


 テーブルに並んだ料理に舌鼓を打ちながら、唐突にセロアが尋ねてきた。少し酔いが回ってきたのか、頬が赤い。


「何?」

「何でユッヒと付き合っていた訳? すんごい疑問なんだけど」


 改めて聞かれるとは思わなかった事を聞かれ、ティザーベルはきょとんとしてしまった。


 返答がない事にも気付かず、セロアは続けて聞いてくる。


「ユッヒってさあ、顔が良い訳でも性格がいい訳でもないじゃん。どこが良くて付き合った訳?」

「んー。付き合いましょうそうしましょうって言って始まった訳じゃないからなあ、どっか、なあなあな感じでここまで来た感じ……かな?」

「何それ」


 セロアは不満そうだが、これ以上言い様がない。ユッヒとは、言い方は悪いかもしれないが、お互い傷をなめ合うような関係だったのだ。


 多分、ユッヒにとっては他に相手がいなかったから、という部分が大きいと思う。余り者を相手にする女性は、この街にはいないからだ。


 だからこそ、自分達はお互いに依存していたのだと思う。そう考えれば、腹は立つけれどユッヒが自分以外に目を向けたのはいい事なのだ。決して許しはしないし許容もしないが。


「……ちょうどいい機会なのかもね」

「何が?」

「帝都行きの事。私とユッヒはこれ以上一緒にいない方がいいんだよ。二股は許さんけど、こういうきっかけでもなければ、いつまでもずるずる関係が続いていたんじゃないかな? だから、ここで切れて良かったんだ」


 依存しあう関係など、健全ではない。もしかしたら、自分が側を離れればユッヒもしっかりするかもしれないし。まあ、これから先は結婚相手がどうにかすればいい問題だから、ティザーベルが心配する必要はないのだけれど。


 そこまで考えて、ようやく思い出した事がある。一つ、引っかかっている事があったのだ。


 ティザーベルは、セロアに確認してみた。


「ねえ、セロアはユッヒの相手って、知ってる?」

「遠目ではあるけど、一応見た事はあるよ」

「どんな感じの人だった?」


 真面目な様子のティザーベルに、セロアからは訝しげな目が向けられる。それはそうだろう、別れた相手の新しい恋人の事を気にするなど、相手に対する思いを引きずっているが故と思われても不思議はない。


 セロアも、それを心配したようだ。


「ねえ、まさかと思うけど、まだユッヒに未練があるとか言わないよね?」

「違うよ。見た目を知りたかったの」


 ティザーベルは一瞬だけ躊躇したが、全て話せと言わんばかりのセロアの様子に、話す事にした。別に隠しておく程の事ではないし、何より耳の早いセロアの事だ、どこかから相手の名前を聞く事もあるだろう。


「あのね、ユッヒの相手の子、ナナミって名前なんだって」


 予想通り、セロアは驚愕の表情だ。この国では耳慣れない響きだが、日本でならよく聞く名前なのだから。


 セロアはショックからすぐに立ち直り、勢い込んで聞いてきた。


「ちょ、ちょっとそれって、ユッヒの相手は日本人って事? でも待って、あの外見はそうは見えなかったんだけど……」

「うん、それがあったから、どんな外見なのか聞きたかったんだ」


 遠目とは言えセロアが見て違和感を感じなかったのなら、おそらく相手はこの国では珍しくない顔立ちだったのだろう。


 この国の人は、どちらかといえば顔立ちは濃いめだ。目鼻立ちははっきりとしているし彫りも深い。地球世界のどの人種と近いかまではわからないが、確実に日本人とはかけ離れた外見だ。


 もし、この国に日本人が紛れ込んでいたら、一目で異人種だとわかるだろう。だが、ティザーベルもセロアも、この街に異人種がいるとは聞いた事がない。


 それはつまり、「ナナミ」と名乗る女性がこの国の人間と大差ない外見をしている証拠だ。


 セロアがこちらに身を乗り出してきたので、合わせてティザーベルもテーブルに身を乗り出す。


「……どういう事?」

「さあ? 少なくとも、この国では『ナナミ』って名前は一般的じゃないよね」

「偶然の一致……なんて、あるの?」

「わかんないよ」


 もしかしたら、この街以外の地方でナナミという響きの名前を娘につけた人間がいるのかもしれない。


 席に戻ったセロアは、まだ思案顔だ。それには何も言わず、ティザーベルは空になったセロアのグラスにそっと酒を注ぐ。


 こちらのグラスにも注ぎ終わった頃、セロアがぽつりと漏らした。


「どこかで聞いた名前を名乗ってる、って事はない?」

「名前を偽ってるって事? 何の為に?」

「わかんない。でも、偽名を使ってるんだったら、まともじゃないよね」


 セロアの言葉に、ティザーベルも考え込む。彼女が言う事もわかる。偽名を使う人間は、大半が犯罪者だ。


 手配書などで本名が出回ってしまった時に、名乗る名前を変えて別人を装う。写真や指紋、DNA鑑定などがないこの世界ならではの手口だ。


「犯罪者っぽく見えた?」

「わかんないよ、遠目でちらっと見ただけだもん。でも、確実に日本人って顔じゃなかった。ハーフ……でもなさそうなんだよなあ。あ、どちらかというと、北の地方の顔立ちじゃないかなあ」


 セロアの言う北の地方とは、ラザトークスからさらに北にいった海沿いの地方の事だ。ラザトークスの辺りにいる人より、色白で鼻と頬骨が高い特徴があると言われている。


「北かあ……あれ? でも、ユッヒは彼女が西から来たって言っていたんだけど」

「西? 東の端のこの街だと、他の街は全部西って事になるけど……でもあの色の白さで西出身?」


 お互いに腕を組んで唸った。帝国は国土が広いせいか、一口に「帝国人」といっても顔立ちや文化などが地方によってかなり異なる。帝国の西地方の人達は肌が浅黒く髪の色も濃いめだ。


 一体、どういう事なのだろう。どうでもいい事と言えばそうなのだが、なまじ彼女の名前が日本人っぽい為に見過ごす事が出来ないでいる。


 セロアとは、密かに誓い合っている事があるのだ。自分達以外にも日本人の転生者、もしくは転移者に出会って相手が困っていたら、自分達に出来る限りの手助けをしよう、というものだった。


 この世界で育ったとはいえ前世の記憶を持っていた為か、細かい所での齟齬に悩まされた事がある。一応順応出来るようにはなったが、そうではない人もいるかもしれない。


 何ができるという訳でもないが、些細な手助けくらいは出来るのではないか。心の中だけの「日本人会」のつもりなのだ。


 ここで考えたところで、ナナミに関する疑問が解消される訳ではない。特に困っているようにも思えないから、今回は関わらなくていいのではないか。そう結論づける二人だった。

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