二十 女子会

 セロアが何度も確かめ算をしているのを見て、ティザーベルはそんなに貸したっけ? と首を傾げる。


「預託金の残高以上は貸していないはずなんだけど……」


 何せ仲介がギルドだ。少なくとも、どちらかが確実に損をするような契約はさせないはずだった。


 ティザーベルの言葉に、セロアは生返事を返しながらも計算の手を緩めない。


「そうみたいねー……はい、総額が出ました。締めて三百万飛んで六千八十メローなーりー」


 告げられた金額に、さすがにティザーベルも少し頬が引きつる。日本円に換算したら、三百万円強だ。


「……結構いってたね」

「そうねー。それだけあんた達が頑張って働いた証拠でもあるんじゃない? まあ、ユッヒの預託金口座にはちゃんとお金があるんだから、心配ないない」


 セロアは、ちょっと待っててと言い残して裏の方へと続く扉の向こう側へ消えていった。あの奥には金庫があるそうで、大きな現金はああしてギルドの金庫から出してくるのだそうだ。


 しばらく待っていると、セロアは重そうな革袋を抱えて戻ってくる。ティザーベルが慌てて問いただした。


「ちょっと、一体何枚の硬貨が入ってんのよ、その袋の中」

「いやあ、ちょうど今大きなお金切らしててさー」


 そう言って重そうな音を立てて袋をカウンターに置いた。緩んだ袋の口から見えたのは、小銀貨の山だ。


「あんたねえ、せめて銀貨を使いなさいよ、銀貨を。これ、小銀貨の山じゃない」

「だから、大きなお金を切らしてるって言ったじゃない。大丈夫! 小銀貨でもお金はお金。価値は変わらないから!」

「重さが変わるわ!」


 この国の通貨は総て硬貨で、下は小銅貨から始まり銅貨、大銅貨、小銀貨、銀貨、大銀貨、小金貨、金貨、大金貨と上がっていく。小銅貨から銅貨に上がる時だけ百枚だが、それ以降は十枚単位で上がっていくのだ。


 小銀貨の額面は一万メローだから、単純計算で三百枚入っている事になる。現金が手元にあるのは嬉しいが、さすがにティザーベルの顔が曇った。


「か弱い乙女に、こんな重い物持たせないでよね」

「大丈夫よ、私だって持てたんだから。というか、冒険者やってるような女が、か弱い乙女だと?」

「か弱いでしょ? 剣一つ振るえやしないんだから」

「当たり前じゃん、あんた魔法職だもん」


 ああ言えばこう言うとはこの事か。言い負かされた気がするティザーベルは、無言でセロアを睨み付けたが、相手はどこ吹く風だ。


 ティザーベルは軽い溜息を吐いて、カウンターの上の革袋を肩掛け鞄に入れた。見た目以上に物が入るこの鞄は、ティザーベル自作の魔法道具だ。いわゆるアイテムボックスというやつで、生き物以外なら何でもいくらでも入れられる上に時間経過もない。約二年前に入れた焼き菓子が、ついこの間も普通に食べられたのだから便利なものだ。


 これでギルドでの用事は終わった。本当なら明日もユッヒと依頼を受ける為に準備をするところだけれど、もう彼とのパーティーも解消だから必要ない。


「しばらくはソロだなあ……」


 ついそんなことを呟くと、目の前のカウンター越しにセロアが声を掛けてきた。


「ねえ、今夜暇? 暇だよね? 久しぶりにご飯食べに行かない?」


 確かに暇だが、断定的な物言いに何となく腹が立つ。とはいえ、セロアとの食事が久しぶりなのは本当だ。


「そうだね……色々言いたい事もあるから、行こっか」

「よし! あ、店はこっちで予約しておくから。夕方の鐘までに、ここの前で集合ね」

「了解」


 それだけ言うと、ティザーベルはギルド支部を後にした。




 どの街にも、教会があって時間を知らせる鐘を鳴らす。おおよそ朝の六時と九時、昼の十二時と三時、それと夕方の六時と夜の九時の六回だ。街の主要な場所には時計塔もあるが、大概の人が鐘の音を中心に活動している。


 時計は地球と同じ。暦も同じで、今は春真っ盛りの四月末だ。こういうところに、転生者の残り香のようなものを感じる。自分という存在がいるのだから、以前にも同じように地球世界から転生してきた人間がいないとも限らない。


 そんならちもない事を考えつつ、借りている部屋を後にしてティザーベルはギルド支部へと向かう。


 夕方の鐘が鳴る前に支部に到着した。


「お、時間に正確だね」


 背後から声を掛けてきたのは、待ち合わせ相手のセロアである。


「時計もないのに、正確も何もないでしょうよ」


 ギルドの周辺には、時計塔はない。もう少し進んだ広場にあるのだ。ティザーベルの言葉に、セロアは腕を頭の後ろで組む。


「だね。あー、早く時計が小型化してくれないかなー」

「腕時計?」

「懐中時計でも良し。じゃあ、行こっか」


 二人して連れ立って歩き出す大通りには、人の数が多かった。家路を急ぐ者、街の外から戻ってこれからギルド支部へ向かう冒険者、荷物を積んだ馬車を引く馬と、その傍らにいる人。


 この時期、日が大分長くなっているのでこの時間でもまだ少し明るい。これから夏になれば、夜の鐘が鳴る頃でもこのくらいの明るさが続くのだ。


「で? どこの店にしたの?」

「うん、話したい事もあるから、オンヴァンの店にしたよ」

「へえ……」


 セロアの出した店の名に、ティザーベルが少しだけ驚く。オンヴァンの店は元冒険者でギルド職員だった人物が開いた店で、完全予約制、総て個室という変わった店だ。


 変わった部分は他にもあり、全個室に盗聴防止の術式が使われている。おかげで人に聞かれたくない話をする場所として、知る人ぞ知る店だった。


「前から予約してたの?」

「ううん、あの後予約しに行ったの」

「よく空いてたね?」

「そこはそれ、コネって奴?」


 オンヴァンの店は普通に料理や酒もおいしいので、店としても繁盛していて簡単に予約が取れない。そこをねじ込めたのは、現役ギルド職員という肩書きがあればこそ、らしい。店主も元職員だから、融通が利くのだろう。


 オンヴァンの店は、外観は大きめの一軒家といった佇まいだが、中に入ると意外な広さに驚かされる。細い廊下を案内されながら奥へと進み、今日の部屋へと通された。二人だからか、こぢんまりとした、でも窮屈さを感じさせない部屋である。


「感じのいい部屋だね」

「でしょー? これで畳と和風庭園でもあったら、ちょっとした料亭っぽいよね」


 セロアの言にも頷ける。とはいえ、ここは地球でも日本でもない、全く別の世界だ。その割には妙な所で共通項を見つけては、セロアと二人で首を傾げたものだが。


 とりあえず席につき、手元に来たグラスを掲げてお互いに労いの言葉を口にする。


「お仕事お疲れ様」

「婚約解消、お疲れ様」


 にっこりと笑ったセロアからの言葉に、ティザーベルは苦い表情を隠さない。


「……やっぱり、知っていたか」

「まあねー。というか、今まで気付かなかったあんたの方が信じられないよ」


 セロアによれば、ユッヒの二股は四ヶ月前からだそうだ。勘のいい職員が見かけて、あっという間に噂が広まったのだという。


 中には、いつティザーベルが気付くか、その後どうなるかを賭けている連中もいるとか。


「何それ……」

「いつもの事よ。この間なんて『支部長の夫婦喧嘩がいつ終わるか』なんて賭けがあったくらいだもん」


 笑いながら言われても、慰めにもなりはしない。とりあえず、賭けに参加していたのは職員のみならず、冒険者達もだという事は聞いておいた。後で地味な報復でもしてやろうと思う。


「そういえば、あんたの借金精算した後のユッヒの口座残高知ってる? なんと三十メローよ」


 知らなかった情報に、ティザーベルは思わず溜息を吐きたくなった。残高ぎりぎりまで借り続けたユッヒの危うさを心配するべきか、そんなに貸していた事を嘆けばいいのか。どう考えても後者だ。


 だが、口にしたのは別の事だった。


「あめ玉も買えやしないね。最安値でも四十メローだもの。というか、そんな事ここで言っていいの?」

「大丈夫、個人情報保護法なんてここにはないから。ついでにいうと、口座残高を余所で喋ってはいけないって規定もないのよ。ざるよねえ」

「主も悪よのう、越後屋」

「いえいえ、お代官様には敵いませんて」


 いつもの通りの悪ふざけを口にして、二人して同時に吹き出した。ひとしきり笑った後、滲んだ涙を指先で拭いながら、ティザーベルは一言口にする。


「とりあえず、預託金制度は使わないが吉というのはわかったわ」

「あー、まあねえ。でもほら、冒険者って安宿暮らしが大半だから、手持ちの金額が大きくなると、防犯上問題が出てくるのよ。誰もがあんたみたいに拡張鞄を持てる訳じゃないしさ」


 実は、ギルドの預託金制度はそこから始まったという。宿の防犯などたかが知れているし、酷い宿になると主人と従業員がぐるになって宿泊客が留守中に部屋を荒らすそうだ。


 宿での盗難防止には、拡張鞄を買って総ての荷物を持ち歩くか、現金だけでもギルドに預託しておくしかない。


 セロアは行儀悪くテーブルに肘を突いて溜息を吐いた。


「とはいえ、預託金も使い勝手がいい制度とも言えないしなー」

「ああ、預けた支部でないと下ろせないんだっけ?」

「そう! だから支部間での情報共有が必要なのよ!」


 気炎を吐くセロアに、ティザーベルは苦笑を漏らす。これも、ティザーベルが預託金制度を使わない理由の一つなのだ。


 ラザトークス支部で預けたら、ラザトークス支部でなくては下ろせない。というのも、預託金を預けた人物、その金額、口座残高などの情報が預けた支部にしかないからだ。通帳制度を取り入れるという話も持ち上がったらしいが、偽造防止の技術が追いつかず頓挫した事があるらしい。


 なので、セロアは前から支部間での情報共有システムがあると便利なのに、とぼやいていたのだ。今回も、そのぼやきの延長線という事か。ティザーベルは目の前で拳を握るセロアに呆れて、つい軽口を叩く。


「いっそ、それを上層部に提案してみたら?」

「もうやった。おかげで、帝都に異動が決まったの」

「え?」


 言葉が続かなかった。セロアの様子から、冗談でも何でもなく、本当の事だと知れる。


 どれだけそうしていたか、何か言わなくてはとようやく思い至り、ありきたりな言葉を口にした。


「……そっか、おめでとう」

「ありがとう」


 ようやくそれだけ絞り出すと、セロアは穏やかな表情で返してくる。それきり、また室内に沈黙が下りた。


 不意に、セロアがグラスの縁を指で弾く。


「正直さ、びっくりしているのと同時に、やっていけるのかなって不安も大きいのよ。私、この世界に生まれてから、この街を出た事ないから」


 それはティザーベルも同様だから、セロアの気持ちはわかる。それ以上に、一人でこの街に残ってやっていけるのかと、ティザーベルの方が不安で心細い思いだ。


 この国では、人は生まれた街や村から一歩も出ずに生涯を終えるのが普通だ。街から街へと移動するのなぞ、商人か冒険者くらいである。


 その冒険者も、拠点を決めるとそこから動かない人間が多い。意外と、世界を飛び回る人間はこちらにはいないようだ。


 少ししんみりした空気が漂ったが、さすがはセロア、次の瞬間には明るい笑顔で言い切った。


「でもさ、せっかく違う世界に生まれ変わったんだから、いろんな街を見て回りたいじゃない? ただのギルド職員の私には国中回るなんて無理だけど、帝都に行けるチャンスは滅多にないと思うんだ!」

「……そだね」


 先程までの雰囲気との落差に、唖然としつつも同意する。ティザーベルも同じ思いを持っているからだ。


 なりたくてなった訳ではないが、せっかく冒険者になったのだからここ以外の街へも行ってみたい。ヤクザな商売の数少ない利点は、国中移動していても誰からも責められないところだ。


 それにしても、このままこの街で気心の知れた人達と一緒にずっと過ごすのだと、心のどこかで思っていた。でも、現実はユッヒは別の女性と結婚し、セロアは街からいなくなる。


「寂しくなるね」

「本当にそう思う?」


 ぽつりと漏らした一言に、セロアが食いついてきた。何故そんな事を聞いてくるのかわからず、ティザーベルは冗談を交えず本音で返す。


「本当に決まってるじゃん。過去の事も含めて、あんた程話の通じる相手なんてそういないし」


 ティザーベルに友達はほとんどいない。仕事上の付き合い程度の相手はいるが、特別な関わりを持つ相手といえば、ユッヒとセロアくらいなのだ。


 孤児院出身で、しかも成人まで残る者の事を「余り者」と呼ぶ。もちろん蔑称だ。


 大概の子供は、成人前に養子や働き手としてどこかの家庭にもらわれていくのだが、成人まで孤児院にいたという事は、誰にも欲しがられなかったという事で、余り者というらしい。


 こうなると人付き合いにも響くが、何よりも就職に大打撃だ。余り者の行き先は冒険者組合しかなく、ティザーベルやユッヒもご多分に漏れず成人して院を独立してすぐに冒険者になっている。


 ギルド職員はさすがに普通に接してくれるが、あくまで職員と冒険者という枠組みからは外れない。個人的な付き合いがあるのはセロアくらいだ。


 そのセロアがこの街からいなくなるのだから、寂しいに決まっている。そう言ったティザーベルに、セロアは真面目な表情で言った。


「じゃあ、あんたも出てこない? 帝都にさ」


 ティザーベルは、驚きに目を見開いた。

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