過去 出会い編

十九 縁の切れ目が金の切れ目

 これは、ティザーベルがヤードとレモに出会うお話。




 夕闇迫る大通りを、ティザーベルは足音も荒く大股で歩いていた。街ゆく人が何事かと彼女を見やっているが、本人は全く気付いていない。


 今彼女を占めているのは、怒りの感情だ。原因は、つい先程聞いた恋人ユッヒからの言葉である。


『ベル、俺、結婚するんだ』


 ベルというのはティザーベルの愛称だ。ユッヒとは同じ孤児院で育った幼馴染みで、今では一緒に冒険者稼業をやっている。


 十五で成人して院から独立する際、将来は結婚しようと子供のままごとのような口約束だけはしていた。でも、こうして改めて言ってもらえると、やはり嬉しいものだ。


 そう、思っていた矢先、ユッヒからの信じられない一言が来た。


『西から来た、ナナミって子と』

『は?』


 反射的にそう返してしまったティザーベルに、罪はないと思う。だが、余程そのナナミという女性に入れ込んでいるのか、ユッヒは気付かずに再び彼女の名前を口にして、いかにナナミが素晴らしい女性かをじっくり語って聞かせようとした。


 当然、頭の部分で「用事を思い出した」と言って遮り、今現在大通りを怒りにまかせて歩いているという訳だ。


 そういえば、最近自分の扱いが軽いと感じる時があった。あれはそのナナミとやらいう子と、二股掛けられていたからか。そう思うと怒りのボルテージがどんどんと上がっていく。ちなみに、捨てられたと嘆く感情はどこにも見当たらなかった。


 足音荒く歩く程度では、当然ながら怒りを発散させきる事など出来はしない。なので、古来から有用とされているストレス発散の一種類をやってみた。


「くたばりやがれ! 二股クソ野郎!!」


 空に向かって大声で怒鳴ったティザーベルを、周囲の人は哀れみの目で見ていた。




 ラザトークスは大陸の四分の三を占める大国、パズパシャ帝国でも辺境にある街だ。どのくらい辺境かというと、国の一番東端というくらいに辺境だった。


 それはつまり、田舎の街だという事でもある。狭いコミュニティでは住人は総て顔見知りで、個人情報どころか誰がいつどこで何をしていたかまで噂が飛ぶ。


 先程のティザーベルの奇行も、すぐに噂話として街中を駆け巡るのだろう。といっても、本人にその自覚はない。


「頼もー!」


 威勢のいい声を出して入ったのは、冒険者組合、通称ギルドのラザトークス支部だ。ここの戸はギルドが動いている時間帯は常に開け放たれている。誰でも出入り自由だが、やはりいるのは冒険者が多い。


 ラザトークスのすぐ東には、遙か彼方にそびえるマナハッド山脈の麓まで続く、前人未踏の広大な大森林が広がっていた。


 この大森林には植物資源や鉱物資源、魔物の種類が豊富な為、採取出来る魔物素材も多種多様である。それらを狙って一攫千金を企む冒険者の数もやはり多かった。ラザトークスに住んでいる人間のうち、二人に一人は冒険者だというジョークすらある。


 冒険者というのは、要するに定職にありつけなかった「あぶれ者」達だ。彼等をそのまま放置しておくと、ごろつきや盗賊になる為、治安維持対策の一つとして冒険者組合がある。ちなみに、他の職業でも組合はあるが、「ギルド」と呼ばれるのは冒険者組合のみだそうだ。


 ギルドは冒険者達を束ねて仕事を割り振り、騙されやすい駆け出しの面倒を見、足下を見る商人達から保護する為に一括して素材を買い上げ、冒険に必要な武器防具などを作る職人への紹介をし、周辺住民とのいざこざがおきないよう、基本荒くれ者ばかりの彼等に最低限のマナーを叩き込む。


 国は荒くれ者を一応でも統括出来るという利点が、冒険者側は危険が多いとはいえ仕事をして収入を得る事で生活出来るという利点がある。


 街としても、犯罪者予備軍が減る上に、用途の広い魔物素材を確保してくれるのだからありがたがられるそうだ。


 そのギルド支部の中は、中途半端な時間だからか閑散としている。そのせいでティザーベルの声はよく響いていた。


 それに応じる顔なじみの職員が、カウンターに出てくる。


「まだそれ使ってるの? いい加減やめなよ。また他の子達に可哀想な目で見られるよ?」

「大丈夫! 最近はあんた以外の受付も何事もなかったように対応してくれるから!」

「それ、大丈夫って言っていいの?」

「いいんじゃない?」


 現在カウンターでティザーベルと気安いやり取りをしているのは、ギルド職員のセロアだ。ティザーベルとは同い年で、仲がいい。


 とはいえ、最初から仲が良かった訳ではない。普通の家庭に育ったセロアと、孤児院に成人するまで残ったティザーベルとでは微妙に住む世界が違う。それが交わったのは、元日本人の転生者という共通項からだ。


 お互いが転生者だと知った時は大変驚いた。よもや自分以外に前世の記憶を持った転生者が、しかも前世が日本人で同じ年代にいたとは。


 ラザトークスは辺境にしては魔物素材のおかげで大きな街ではあるが、それでも人口でいえば日本の地方都市にも満たない数だ。だというのに、二人も転生者がいたのだから、驚かない方がおかしいだろう。


 ちなみに、お互いがカミングアウトするきっかけとなったのは、とある場面でセロアが言った「マジでー?」という一言である。


 そんなセロアは、カウンターの中からティザーベルを見上げてきた。


「で? こんな半端な時間に来るなんて珍しいわね。また何かトラブル?」

「またって何だまたって。まあ、何もなかったとは言わないけど……」


 付き合っていると思っていた相手が、別の相手と付き合っていてこの度結婚する事になったそうだ、というのはトラブルと言っていいのだろうか。


 対人関係ではそうなのだろうけど、それとギルドとは関係ない。


 ――いや、関係あるのか? もうユッヒとは一緒に仕事しないし。


 パーティーからの脱退や解散の場合、一応ギルドに届け出る規則がある。自己申告ではあるけれど、これでギルドは誰がどのパーティーに所属しているかを把握するのだ。


 これまでユッヒとパーティーを組んで一緒に仕事をしていたが、今回の件でパーティーは解散だ。二人だけなので面倒がないのだけが救いか。


 解散の届けも大事だが、今は先にやることがある。その為に、ここに来たのだから。


「これ、全部一括精算して」


 ティザーベルは、肩掛けバッグの中からいくつかの用紙を取り出した。全て同じ文面で、違うのは記載されている金額だけである。


 これは、ティザーベルがユッヒに貸した金の借用書だった。


「あら、とうとう精算する気になったのね。……にしても、随分貸したわね?」

「そう? もう途中から総額考えるのやめてたわ」


 金額こそまちまちだが、借用書は三十枚以上ある。この借用書、ギルドが仲介している為に、きちんと魔法処理が施されていて偽造は出来ないようになっていた。


 それらを眺めつつ、ティザーベルは心の底から呟く。


「本当、あの時ギルドに相談しておいて良かったわー」


 ユッヒからの最初の借金申込みの際、困ったティザーベルはセロアを介してギルド支部長に相談を持ちかけたのだ。


 その結果、ギルドが仲介する事になり、この借用書を作ってもらえたのだから、感謝しきりである。


 安堵の表情を浮かべるティザーベルに、セロアは苦笑しながら返した。


「仲介もうちの立派な制度だからね。知らない人の方が多いけど。冒険者なんて、脳筋ばっかなんだもん。いっくら説明しても、みーんな覚えてないんだから」


 そう言いつつも、セロアは手早く手元の借用書を確認していく。彼女は同年代の受付の中でも、仕事の出来る女なのだ。


 そんなセロアは借用書から目を離さず、口だけ動かした。


「にしても、結構貸したわねー。ユッヒの金遣いの荒さって、もう治らないんじゃない?」

「かもね。でももう、関係ないからいいや」

「ふうん?」


 セロアが何か言いたげな様子だったが、ティザーベルから口にするのも腹立たしいので黙っておいた。耳の早い彼女の事だ、ユッヒに新しい女がいる事は、とっくに知っているのかもしれない。


 新人冒険者が最初にはまる罠に、金銭感覚の歪みがある。成人したからといっても十五かそこらの年齢でこれまで手にした事のないような金を持つと、無駄遣いや贅沢をするようになるという。


 特に孤児院出身や貧困家庭出身の者が陥りやすく、ユッヒもしっかりとはまった訳だ。それまでの反動が出るらしい。


 必要のない装備に金を掛け、友達と称する連中に酒を振る舞い、稼いだ端から湯水のように金を使い切ってしまう毎日では、いくら稼ごうともすぐに金が底を突く。


 とうとう生活すら出来なくなった時点で、ティザーベルに泣きついて借金を申し出てきた訳だが、そんな人間に金を貸したところで返ってくる保証がない。だからギルドの薦めであれこれ手を打ったのだ。


 まず、ユッヒにはギルドの預託金制度を使わせた。これは冒険者なら手数料なしで金を預けられる制度で、利息は付かないものの支部が開いていればいつでも現金の出し入れが出来る。


 ユッヒの場合、支払われる依頼料のうち、半額を強制的に預託させるように契約させたのだ。


 次に、この預託金を担保に借用書を書かせた。貸す上限はギルドで把握してもらって、担保を超えないように毎回調整してもらっている。なので、借用書はティザーベルとギルドで一通ずつ持っているのだ。


 そして、借用書には、一つ重要な事が記載されていた。貸し主であるティザーベルが望めば、借り主であるユッヒの了承を得ずとも担保である預託金からいつでも返済を強制する事が出来るというものである。


 今回はその一文に従って、強制執行をしにきたという訳だ。自分を振った男に、いつまでも金を貸している程お人好しではない。


 ちろりとこちらを見上げてきたセロアに、ティザーベルはにっこりとわざとらしい笑みを浮かべた。


「それはともかく、強制執行よろしく」

「オケ」


 短く返したセロアは、借用書に向かって計算を始めた。

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