8年目~10年目:小学校入学・ICD作動再び・転院・そして転職へ。

娘、小学生になる。

その年の3月に、東日本大震災がありました。

ゆらゆらと、まるで海の上にいるかのように揺れる地面。

テレビで放送された、津波の映像。

白波が一直線に、陸地に向かって押し寄せる映像は、今でも忘れられません。


地震から約1週間後に卒園式があり、私と旦那君、そしてお互いの両親の総勢6名で出席しました。桜が咲いていて、ランドセルを背負わせて写真を撮りました。

娘と同じ小学校に進学する子は、学区の関係で、娘を含めてふたりだけでした。

仲の良かった友達とも別れてしまうし、小学校で友達できるかな、大丈夫かなと期待と不安でいっぱいでした。


そして、あっという間に入学式を迎えました。

つい1ヶ月前まで園児だった子ども達が、心もち少し大人びた感じで、椅子に並んで座っている。ただそれだけのことでしたが、とても感慨深いものがありました。

クラスが発表され、教室に移動すると、とても懐かしい気持ちになりました。

そうだった、小学校ってこんな感じだったよなぁと、机や椅子、黒板を見て自分も小学生に戻ったような気分になりました。




妊娠したとき、自分はちゃんと子どもを愛せるかどうか、とても不安で仕方がありませんでした。私はまだ精神的に幼いし、育児ノイローゼになってしまうのではないか、子どもに辛く当たってしまうのではないかと、心配でした。

出産し、産後1週間くらいは、母乳をうまく飲ませられない、赤ちゃんが寝たと思ったらすぐに起きて睡眠時間が取れない、あやしても泣き止まない etc......と、産後ノイローゼに近い状態になりました。

考えてみれば、娘も生まれたてですが私も母親になりたてで、完璧にできなくて当たり前のことなんですよね。でも、なんで自分はちゃんとできないんだろうと、ふと泣いてしまう事もありました。

それでも、少しずつ少しずつ、母親らしいことが出来るようになり、そうすると「あ、私ちょっと今『お母さん』してるじゃん!」と自信がついてきて、そうすると娘もあまり泣かなくなって、ご機嫌なことが多くなって。


娘の成長と共に、自分も少しずつ親らしくなり、あ、そうか、私は娘を育ててると同時に、娘が私を育ててくれているんだということに気が付きました。

また、自分が娘と同じ年の時に、何を考えていたのかを思い出したりして、まるで過去に戻ったみたいだなと感じたり……。

そう考えると、娘は私に色んなものを与えてくれているのだと思います。


私が過ごした時と、娘がこれから過ごす時間は、環境も世界情勢もまったく違う。

でも、どんなに時代が変わっても、同じものもある。



私達が娘にしてあげられることは、多くはありません。

でも、親にしかできないこともあるし、親がしなければいけないことは、娘がこれから生きていくうえで、とても大切で大事なことだと思います。


子どもはいつか、親から自立する。

親から自立できるように、その礎を築くこと。

親を必要としなくても生きていけるようにすること。


小学校に進学した娘を見て、そんな思いを抱きました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る