備忘録02

八王子の病院に転院してからの旦那君は、倒れる前とほとんど変わらなく、びっくりしました。


救急救命センターでは、自分を50~60代だと思っていたり(実際は27才)、そのくせ娘の年齢を5~6才だと思っていたり、同室のおばあちゃんと口舌戦を繰り広げていたりしたので……。

また、毎回お見舞いに行くたびに「娘の血液型、教えたっけ?」と聞き、その回答で記憶ができているかを確認していました。

転院前の2~3日は、話している内容も性格も、普段とほとんど変わらなかったのですが、短期記憶にはまだ問題があったようで、こちらに入院中は、娘の血液型を教えたことを覚えていませんでした。

八王子に転院した翌日は、教えたことを覚えていたので、すごく嬉しかったです。



本人に、この期間のことをどれくらい覚えているかを聞いたところ、おばあさんとの口舌戦のみ、うっすらと覚えているようでした。あとは全然ダメだそうです。

本人の分析によると、あの独特の空気と心電図モニターの音が、たぶんすごくストレスだったのではないか、とのことです。



救急救命センターに搬送されたあと、病院から入院に必要なもの一覧を貰ったのですが、その中に大人用オムツがあり、否応なく私に『介護』の未来を想像させました。


生後間もない娘を抱えて、どうやって介護していこうか。

旦那君の介護費用や自分達の生活費、娘のこれから必要になる教育費。

お金は生命保険があるから、当面は何とかやっていけるだろう、自分も働いたとして、介護と育児と両立していけるだろうか。自宅介護の場合、今の家はアパートだから、住む所はどうすればいいかな。

もし、旦那君が一生この状態だとしたら、娘にどうやって『あなたのお父さんだよ』と伝えていこうか、娘はどんな風に感じるだろうか……などなど、ボケボケ状態の旦那君の相手をしながら、今後のことを考える自分に、なんて冷たい人間なんだろうと正直嫌になりました。



この時期、自分に言い聞かせていたのは、「嘆くのは後回し」「落ち込むだけ落ち込んだら、あとは上を向こう」「自分にお鉢が回ってきただけ」といった感じの言葉でした。

嘆いて状況が改善するならいくらでも嘆きますが、実際は停滞してしまうだけ。

だったら受け入れて、どうして行けばいいかを考えよう。落ち込んでもいいし泣いてもいい。でも最後はちゃんと、顔を上げよう。そう考えるようにしていました。


腹を決めてしまえば、あとは何をすればいいのかを考え、行動するだけでしたので、自分にはそれが合っていたのかもしれません。


あと、旦那君の経緯をブログに書き留め始めたりもしました。

書いていると、状況を冷静に判断できて良かったです。



八王子に移動してからは、精神的にとても楽になりました。

旦那君の状態が、いつも通りの感じに戻ったからです。普通に会話し、記憶し、笑いあえる。普通にコミュニケーションが取れることが、どれほど素晴らしいことなのかを改めて思い知りました。




ICD(植込み型除細動器)の植え込みに対して説明があった時、最初の方は、もしかしたらこのまま、植え込まないで退院できる可能性もあるのではないか、と思っていました。

ただ、ブルガダ症候群を調べれば調べるほど、心室細動への不安も大きくなりました。

再度の転院で、主治医から詳しい説明を受けた時に「一応、植込みをどうするかはお聞きしますが、病院としては、ICDを入れないと退院を許可できません」と言われ、受け入れるより仕方がなくなりました。


植え込みに対して一番動揺していなかったのは、私でも義両親でもなく、旦那君本人でした。

植え込まないと退院できないならそうしますと、悩むこともなく即決しました。

あの潔さは、本当に凄いなと思います。




旦那君の入院中、私と娘は実家と姉宅にお世話になっていました。

西新宿に入院している間は姉宅に、八王子の時は実家に。

2~3日に一回自宅に帰り、空気の入れ替えなどをしていましたが、自分及び旦那君の衣類の洗濯や、お見舞い中の娘の子守など、たくさんたくさん、助けてもらいました。

家族の助けがなかったら、乗り切ることができなかっただろうと思います。




検査の内容も、場合によっては危なくなることもあるため、同意書にサインが必要なこともありました。何のためにこの検査を行うのか、またどんな危険があるのか。

こういう書類にサインをしていると、あー、この人と結婚しているんだなぁって実感しました。

旦那君とは高校生の頃からのお付き合いで、結婚するまで7年間経っていました。結婚してから2年目での出来事なので、恋人と夫婦の違いは、こういう時はやはり大きなと感じました。

恋人だったら、同意書にサインなんて求められないし、万が一の時に、自分が決定権を持つこともできない。これは夫婦だからこそのことで、よく結婚式で言われる『病めるときも健やかなるときも』の意味を噛みしめました。

当たり前といえば当たり前なのですが、結婚とはそういうものであり、紙切れ一枚と言われるけれども、その重さと大切さがあるのだなと思います。



ICDを植え込むまでは、もしかしたらまた心室細動が起こるんじゃないかと、ふと不安になる日もありました。

でも、植え込むという事は、一生と付き合うことになる。

たぶん旦那君よりも自分の方が、ゆらゆら揺れてたなぁと思います。

植込みが終わって退院したあと、心室細動が起こったとしても、もう大丈夫なんだと思うと、随分と不安感がなくなりました。全部が全部消えるわけではないのですが、眠っている間に死んでしまうことはないのだと思うと、気持ちが随分と楽になりました。

それでも、しばらくの間は、旦那君が静かに眠っていると、大丈夫かな、息してるかなと、確かめていました。これはブルガダ症候群の旦那を持つ妻のあるある話のようです(苦笑)


ICDの電池寿命は5年位だと説明を受けました。退院後も2ヶ月に1回ほど、循環器内科とペースメーカー/ICD外来に定期検診に行っていました。

最初の数か月は娘も一緒に行っていましたが、冬の始まりの頃には実家に預けていました。人も多いですし、インフルエンザも心配でしたので……。



検診の時は、とにかく疑問に思ったことは何でも聞いていました。

日常生活で感じたことや、不安に思ったこと。気が付いたことはメモに取ったりして、検診の前に確認していました。


ちなみに、聞きたいけど聞きずらかったことの代表は、夜の夫婦生活についてでした。どれ位までは大丈夫ですか? と聞くべきかどうか迷っていたので、聞く前に先生が切り出してくれたので良かったです(笑)

夫婦生活は普通にのであれば、問題ないとのことでした。

心拍数が上がりすぎたり、ICDに物理的な負荷がかからないようにすれば大丈夫で、あんなプレイやこんなプレイはNGか……と、頭の中で考えてました。




他に、娘への遺伝のことも不安でしたので、それも早い段階で聞きました。

気になるようであれば遺伝子検査をする方法もあるとのことでしたが、基本的には定期的に心電図を撮り、異常がないか様子を見ていくかたちとのことでした。



一年目は、とにかくブルガダ症候群やICDとの付き合い方を探りながら、この生活に慣れていくことで、あっという間に過ぎたように感じます。

また娘の育児もあり、振り返れば慌ただしく過ぎた一年でした。

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