経緯02:高圧酸素療法から再度の転院まで

【11日目】


高圧酸素療法のために、新宿から病院のある八王子へ、救急車で移動しました。

万が一に備えて医師が1名同乗し、心電図などを付けての移動となりました。

渋滞なども無く、1時間ちょっとで病院の方に着きました。


この日から一般病棟に移ったので、旦那君も随分、気持ち的に楽になったようでした。


あとで聞いたところ、救急救命センターでの記憶はほとんど無いそうで、覚えているのはこの日からだそうです。

転院の数日前からは、旦那君の様子は一見した所、普段通りに近い状態だったので、これには正直驚きました。


高圧酸素療法の説明などを聞き、この日は帰りました。


この日、旦那君とすっかりくつろいでいたら、教授と研修医十数名といった感じの回診があり、まるで『白い巨塔』のようでした。

週刊誌を読んでいたり(旦那君)、差し入れに持ってきたチーズケーキを食べていたり(私)していたので、ちょっと恥ずかしかったのを覚えております。



【12日目〜18日目】


高圧酸素療法を、計3回行いました。ワンクール5回で、効果が出ればもうワンクール行うとの事でした。

この辺りからは殆ど以前と変わらない様子で、記憶も出来るようになり、徐々に意識もすっきりしていったようでした。



それから、高校時代、専門学校時代の友人が、お見舞いに来てくれました。高校の友人が7名、専門学校の友人が8名の、総勢15名(笑)。

偶然同じ日に来てくれることになり、前半は高校、後半は専門の友人たちと久しぶりに歓談しました。


倒れてから、メールなどで旦那君の症状を知らせていたので、あまりの回復っぷりに驚いていました。

我が家と同じ時期に、奥様が出産した友人もいて、親ばか話に盛り上がっていました。



【19日目】


この日は、旦那君が入院してから初めてお見舞いをお休みしました。

疲れが溜まっていたのか、数日前から風邪を引いてしまい、今後のことも考えて、この日は休日にしました。

久しぶりに、娘と一日のんびり寝て過ごしました。


お見舞いに行っている間、娘は実家の母や、救援に来てくれる姉に面倒を見てもらっており、家に帰る頃には胸が張って痛かったです。

特に救急救命センターにいた間は、午前11時には家を出て、帰宅は午後9時近くだったので、途中でトイレなどで乳を搾ったりし、中々大変でした。




【20日目】


この日で高圧酸素療法が終了しました。

改善が見られ、これ以上の治療は必要なしとのことで、翌日、再度新宿の方に転院となりました。



【21日目】

本格的に心室細動の原因究明及び治療をはじめる為、最初に搬送された病院に転院しました。

今回は民間の医療車で、八王子~新宿間を移動しました。今回も行きと同様に、心電図モニターを付け、医師も同乗しての移動でした。

何事もなく、また渋滞にも巻き込まれず、順調に転院できました。


夕方から、今後のスケジュール等の説明を受けました。


主治医の説明で、「一番濃厚なのがブルガダ症候群、ただ、心筋症という可能性もある」と説明を受けました。

どちらの病気かによって、今後の治療方法が変わってくるので、病気を確定させるための検査を行っていくとのことでした。


説明を受けた検査の内容は次の通りです。


【ブルガダ症候群の判定のための検査】

・サンリズム負荷テスト

・レートポテンシャル

・ヘッドアップティルト

・心臓電気生理検査(EPS)


【心筋症の判定のための検査】

・心臓MRI検査

・冠動脈造影検査


これらの検査を、数日間かけて行うことになりました。

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