7 兵法第一帖 第一段 雨宮草子、仁王立ちす 2


「そのくらいでいいだろう」

 二人が動き出したのはかれこれ三〇分後だ。状況説明や実況見分その他で、二人と、居合わせた若い女子職員はしばらく時間をとられた。

 めったにない事件なので三人そろって表彰されるという。いえ私は居合わせただけですと遠慮した女子職員に、青山は、こいつも居合わせただけだと草子を目で示し、結局三人のお手柄ということになった。


 痴漢男は警備員の手に渡ったが、草子の顔とわき腹に足跡を残していった。

 草子は何度か顔を洗い、上着も何もかも脱いで洗った。洋服のほうはどうにかなったが、顔には男が強く踏んだ跡が、可笑しくも痛々しく残っている。

 若い女子職員は、同情して草子の洗いやお化粧を手伝ってくれたが、途中ぷっと吹き出すのをこらえていた。

 青山は慣れているのか、笑わない。


「お前なんでここのトイレ使った。部署は本庁舎のほうだろう」

「呼ばれていて」

 青山崇史はおやっと草子を見た。

「同じ呼び出しか?」

「分かんない。確か、山野部長……って」

 青山の顔に、何かが現れたのは一瞬だった。

「じゃあ遅刻してるぞ。二人とも」

「二人? 一緒?」

「一緒なんて困るだけだが、そうらしい」

 

 二人が入ったのは、同じ階の端の部屋だった。中では山野守人が待っていた。

「遅れてすみません……」

「あ、大丈夫。知ってます。同じ階で起きた大騒動ですから」

 山野守人はそう言って、にこりと笑った。邪気のない笑いに見えるが、そうではないと知っているのはここでは青山だけだ。


「担当直入に」

山野はにこにこしながらも話題は早い。

「君たち二人とも、今度こちらの部署に配属になった。今回いくつかの移動があるのは知っているよね?」

 はあ、と草子は間抜けで曖昧な返事をし、青山は黙っていた。

「普段なら人事の時期ではないが、ちょうどニー対による時機外れの採用もあることだし、新しい法律もできてそれに対応する部署が必要になったことだし。それで移動です」

「私、ニートじゃないですよ」


 さらに間抜けな草子のセリフに、山野は動じずにまたニコリと笑う。

「もちろん知ってます。新しい法律というのは別の法律のことです」

「同州大都市制希望並立準備法のことだよ。草子」

 青山が草子に言った。

「話が早くていいですね。君は」

 そうきたか、とすでに青山は話が飲み込めていた。

「で、二人はそのメンバーになりました。お二人の前の部署にはすでに連絡が行っています」


「悪いが草子、コーヒーを淹れてくれないかな。さっきの騒動でちょと休みたいし」

 急に青山が、草子にふった。

「なんで私が淹れるのよ。女性だからって」

 仁王立ちの姿勢で腕を組んで、草子は青山を見下ろした。

 青山にこんな態度をとれるのは。草子しかいない。青山の優秀さと、車椅子という特殊な立場が、人にそれをさせないのだ。

 だが草子は平気だ。青山も平気だ。

「車いすの俺では給湯室で動きが難しい。何より君の淹れるコーヒーは美味い」


「ああ、すまなかった。もう三時だし。お茶しながら話しましょうか。では私が準備を……」

 まさか上司にコーヒーを入れさせるわけにもいかない。それに青山の草子へのほめ言葉はつねに上手だ。草子は気を取り直して給湯室に向かった。

「で?」

 草子が部屋から出ると、青山は聞いた。

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