第4話 〈キャンディ〉の秘密

 三十分後――

「レモンティーでございます」

 メイドロイド──メイドさん型のロボットが三人分のティーカップをテーブルに置き、熱い紅茶をそそいだ。真菜香は「あっ、どうも」と恐縮する。

 ここは全長二百三十五メートルの空飛ぶ潜水艦〈メロンジュース〉のブリッジ。船内は巨大な工場のようになっていて、たくさんの戦闘機や戦車が並んでいる。その間で小さなロボットたちがはたらいているようすが、このベランダのような場所から見下ろせる。ロボットたちは勝手に兵器を修理したり整備したりしているらしい。

 グンジャラ共和国の海底戦車もあった。ここに運ばれてきて、修理されているのだ。

「どう? たいしたもんでしょ?」

「ここって、たいていの機械は修理できちゃうんだよ!」

 知絵と夕姫がじまんそうに言った。透明なプラスチックのテーブルをはさんで、真菜香と向かい合って座っていた。

 姉妹はおそろいのコスチュームを着ていた。首から腰までをおおう袖なしの上着。黒いレザーのような素材でできていて、とても薄く、体にフィットしている。腕も脚も大きく露出している。黒いブーツと黒い手袋。ちがうのは、夕姫は活動的なショートパンツだけど、知絵はミニスカートだということ。スカートはすごく短くて、もう少しでパンツが見えそうだ。

 全体にすごく悪役っぽいデザインだ。

 真菜香はちらちらと恐ろしそうに二人を見ながら、カップに砂糖を入れた。でも、なかなか口をつけようとはしない。

「毒でも入ってると思ってる?」

 知絵に言われて、真菜香はあわてて「い、いえ、そんな」と手を振った。知絵はくすくす笑った。

「まあ、いきなりこんなところに連れてこられたら、不安になるのは当然ね。でも安心して、殺したりなんかしないから。だいたい、口ふうじするだけなら、わざわざここまで連れてこなくても、海に放りこめばよかったんだし」

 恐ろしいことをさらりと言うのが知絵の性格だ。

「あ、あの……」

「何?」

 真菜香は思いきってたずねた。「ここは何? あなたたち、いったい何やってるの?」

「ここは潜水艦の中。コードネームは〈メロンジュース〉。わたしたち〈キャンディ〉の秘密基地」

「〈キャンディ〉?」

「世界の平和を守る秘密組織だよ」夕姫が胸をはる。「まあ、組織って言っても、ボクとお姉ちゃん、二人だけなんだけどね」

「どうしてこんなもの持ってるの? こどものくせに」

「あーと」知絵は笑いながら、ばつが悪そうに目をふせた。「あまり知らない方がいいんじゃないかな。その方がおたがいに幸せだから」

「……法律にふれるようなことやってるのね」

「だから、そこは追及しないで。ほら、あまり騒がれると、ほんとに口ふうじしなくちゃいけなくなるから」

 冗談だか本気だかわからない知絵の口調に、真菜香はぞっとなった。

「あの人たちはどうするの? カニみたいな戦車に乗ってた人たちは……」

「潜水艦の人たちもそうだけど、つごうの悪い記憶は消させてもらう。それから証拠品──盗んだゲーム機といっしょに海岸に放り出す。あとは警察と日本政府にまかせるわ」

「記憶を消すって……」

「そういう機械があるのよ。ちょっと苦しい思いをするのが欠点だけど。まあ、あの人たちは悪いことをやってたんだから、こらしめる意味で、ちょっとぐらい悪夢を見せてあげてもいいと思うんだけど」

「日本はグンジャラ共和国に抗議するかなあ」と夕姫。

「どうかなあ。日本の政治家って弱腰だから。悪いことをやってる国に対しても、ぺこぺこ頭を下げちゃうのよね」

「情けないなあ、おとなのくせに」

「まあ、この事件がおおっぴらになったら、グンジャラ共和国は世界から非難を浴びるだろうけど。でも、それぐらいでつぶれるような国じゃないしね」

「あの国って、ほかにも悪いことしてるんでしょ?」

「ええ。独裁者の下で、国民はずいぶん苦しんでるみたい。いずれわたしたちが手を下さなきゃいけないかもね。ただ、あそこは軍事力もけっこうあるからなあ……」

「そう言えば、今回もまた、潜水艦が手に入ったじゃん」

「そうね。これで潜水艦は三隻目」

「ボクたちの戦力ってだんだん強力になってきてない? P光線もあるしさ。お姉ちゃんなら軍隊の通信網をハッキングしてマヒさせるなんてかんたんでしょ? アメリカやロシアや中国ならともかく、グンジャラ共和国くらいなら勝てるんじゃない?」

「そりゃ勝つだけならできるわよ」

 知絵は紅茶をひと口すすった。

「……でもねえ、やたらと戦争を起こすのはいやなのよ。血が流れるから。悪いのは大統領と、その命令にしたがってる一部の政治家や軍人だけで、国民は悪くないんだもの。罪もない人に迷惑かけたくない」

「前にバンダとタガールの戦争をやめさせたじゃない」

「あれは非常手段。時間がなくて、ほかに方法がなかったから、荒っぽい手を使っただけ。ほんとはあんなこと、あまりやりたくない──まあ、他にどうしても方法がなかったら、グンジャラ共和国をつぶすしかないかもね。なるべく国民に迷惑がかからないようなやり方で」

 遠足のおやつに何を持っていくかを相談しているような調子で、ふたりがぶっそうなことを話し合っているので、真菜香はますます不安になった。

「でも当面の問題は」知絵は真菜香に向き直った。「あなたをどうするかってことなのよね」

「わたし?」

「さっきも言ったように、あなたの記憶を消すことはできる。でも、苦しい思いはさせたくないのよ。あなたは単なる被害者なんだし」

「それに、ボクの命の恩人だし」と夕姫。「あのとき、声をかけてくれなかったら、あいつにやられてたかもしれない」

「だから、あなたに危害を加えたくないの。と言うか、罪のない一般市民にはなるべく迷惑をかけないのが、わたしたちの方針。『正義のため』とか言って無関係の人を傷つけるのは、正義じゃないから」

「それで?」

「あなたはこのまま帰します。元の海岸まで潜水艇で送って行くわ。家出して朝まで海岸をぶらついてたってことにして。わたしたちのことはだまっててね」

「それだけ?」真菜香はきょとんとなった。

「それだけって?」

「脅迫しないの? 『よけいなことをしゃべったら殺すぞ』とか何とか」

 知絵と夕姫は同時に笑った。

「そんなことするわけないじゃん!」

「だいたい、しゃべってから殺したんじゃ、手遅れだし」

「だよねー」

「さっきも言ったけど、殺すんならとっくに殺してるから」

「でも、わたしが秘密をもらしたらどうする気?」と真菜香。「ここで見たことをみんなに話したら」

「こまっちゃうわねえ、わたしたちとしては」知絵は苦笑いする。「特にわたしなんか、破滅しちゃう」

「だったら……」

「でも、そんなことをして、あなたにとって何かいいことあるの?」

 真菜香は絶句した。

「あなたがわたしたちのことを気に食わないのは知ってる。でも、それだけの理由でいやがらせをしようとか、他人を破滅させようなんて考えが、悪人の考えだってことはわかるわよね?」

「…………」

「わたしたちとしては、あなたの記憶を消すよりは、あなたが悪人じゃないことに賭けてみたいんだけど」

「……あんなことを言ったのに?」

「あんなことを言われたのに、よ」知絵はほほ笑んだ。「あの程度のいやがらせなんて、どうってことない。取り返しのつかないことじゃないもの。それよりも、これから先、取り返しのつかないことをしないようにするのが大事だと思う」

「…………」

「あなたをひどい目にあわせないのは、そんなことをしたら取り返しがつかないからよ。取り返しのつかないことをして、あとで後悔したってどうにもならない。取り返しのつかないことはしないのが一番──ちがう?」

 真菜香は(負けた)と思った。このふたりは、せこいいやがらせなんかでめげる相手じゃなかったのだ。

 ひきょうなことをすればするほど、自分がみじめになるだけだ。

「……わかった」真菜香はため息をついた。「約束する。しゃべらない」

「良かった」知絵はほっとした。「ついでにお夜食でも食べていかない?」

「ええ、おなかぺこぺこ」

「だったらメイドロイドたちに用意させるわ。何がいい?」


 それからしばらくして、真菜香は夕姫といっしょに小型潜水艇〈バニラシェイク〉に乗りこみ、日本に向かった。

 知絵の方はまだ仕事が残っている。ロボットたちに命じて、潜水艦や海底戦車の乗員の記憶を消し、リモコンで動く救命ボートに乗せて、海岸に送り届けるのだ。これがけっこう面倒だ。今夜ひと晩かかるだろう。

「三十分ぐらいで着くからね。楽にしてて」

 夕姫が潜水艇を操縦しながら言う。

「ねえ、あなたたちっていつもこんなことしてるの?」

「いつもってわけじゃないよ。時間があいてるときだけ。特に父さんや母さんにバレないようにするのが大変なんだ」

「でも、殺されかけたじゃない」

「まあ、そういうことは何度もあるね」夕姫はさらりと言う。

「こわくないの?」

「こわくないって言えばウソになっちゃうなあ。でも、正義を守ろうとしたら、命をかけなきゃいけないのは当然でしょ?」

「どうして?」

「え?」

「何が当然なの? どうしてそんな危険なことしなくちゃいけないの? まだこどもなのに」

「うーんとね」夕姫は考えを整理した。「それはボクとお姉ちゃんがふつうのこどもじゃないからだよ。『大いなる力には大いなる責任がともなう』……ボクたちは世界のだれよりも大きな力を持ってる。だから、責任もそれだけ大きいんだよ」

「責任? 大人から言われたからやるってこと?」

「ちがうよ。ボクたちはだれにも何も命令されてない。生まれついての責任なんだよ」

「生まれついての責任……?」

「つまりさ。ボクたちはおおぜいの人を救える力がある。もしその力を使わずに、ふつうのこどものような平凡な生き方をしてたら、責任を果たしてないってことになるんだよ。だからボクたちにできることを目いっぱいやる。ただそれだけ──わかる?」

「わたしにはそんな生き方なんてできない……」

「当たり前だよ。中道さんはふつうの女の子だもの」夕姫は笑った。「だからふつうの生き方をすればいいんだよ。できないことまでやることない──自分の力でできる範囲のことをせいいっぱいやれば、それが生まれついての責任を果たしたってことになるんじゃない?」

「……うん」

「だからさ、運動会、がんばろうよ」

「うん」


 次の週の日曜日、運動会の日。

 順調にプログラムが進み、五年生の百メートル走の時間が近づいた。

「よおし、やるぞお!」

 夕姫はやたらはりきっていて、準備体操をしている。

「そんなにがんばらなくたっていいのに」

 同じクラスの女子が、笑って言った。

「虎ノ門さんなら、ちょっとぐらい力抜いて走ったって、一着まちがいなしよ」

「そうそう、楽勝じゃん」

「いやだ」準備体操をしながら、夕姫はきっぱりと言った。「そんなの、ほかの人に失礼だよ」

「失礼?」

「そう、失礼よ」

 そう言ったのは、となりの五年二組の列にいた真菜香だった。真菜香は夕姫と同じく、三十五番目に走ることになっていた。

「手を抜いて走られたりしたら、それこそわたしたちをバカにしてることになる。だから全力で走って」

「もちろん」夕姫はうれしそうにうなずく。「そのかわり、中道さんも力いっぱい走ってよ」

「当然よ」

 真菜香は力強く答えた。

 もう迷いはなかった。自分は夕姫に負けるだろう。どんなに力を出したって、絶対にかなうわけがない。でも、問題は勝てるかどうかじゃない。力を出しきったかどうかだ。自分にできることをすべてやったかどうかだ。

 やがて走る順番が回ってきた。真菜香と夕姫は、並んでスタートラインについた。

「位置について……よーい」

 ドン!

 ピストルの音とともに、夕姫は弾丸のように飛び出した。あっと言うまにほかの子を引き離してしまう。

 真菜香はその背中を見ていた。自分もいっしょうけんめい走っているはずなのに、夕姫の姿はどんどん小さくなってゆく、まるで自分の方が後ろ向きに走っているような気がした。

(だめだ、やっぱり勝てない!)

 一瞬、真菜香の頭を絶望がよぎった。でも、すぐに思い直した。

(ちがう! あきらめたら負けだ!)真菜香は自分をしかりつけた。(全力を出さなかったら負けだ!)

「うわああああ!」

 真菜香は走りながら声をあげた。腕をぶんぶん振り、グラウンドをけり、力いっぱい駆けた。こんな全力で走ったことなど、これまでなかった。頭がぼうっとなる。目がかすむ。何も考えられない。それでも真菜香は走った。

 気がつくと、ゴールに駆けこんでいた。力を出しきったのでふらふらになり、グラウンドに手をついてしまう。そのままごろんとひっくり返り、大の字になって、はあはあと息をした。心臓が破裂しそうだ。百メートル走っただけで、こんなに疲れるなんて……。

 その目の前に、日焼けした手が突き出された。目を上げると、夕姫が立っていた。鼻にバンソウコウを貼った顔は、やっぱり全力を出しきったので汗まみれだ。それでも真菜香にほほ笑みかける。

「おめでとう」息を切らし、夕姫は言った。「二着だよ」

「二着……」

 真菜香はぼかんと口を開けた。生まれて初めて、三着じゃなく二着……。

 やがて涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。自分が二着になれるということを知っただけで、たまらなくうれしかった。この二着は真菜香にとって、金メダルと同じぐらい名誉だった。きっと一生、一着になることなどないだろう。でも、そんなのはどうでもいい。大切なのは、自分の力を出しきることだ。

 真菜香は夕姫の手を取り、ゆっくりと立ち上がった。

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地球最強姉妹キャンディ番外編・どまんなかの女の子 山本弘 @hirorin015

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