エピローグ
メキシコ湾、フロリダ沖
――2018年12月24日、9時30分、ニューオリンズ――
もう季節は冬だと言うのに、アメリカ南部ニューオリンズの気温は20度近かった。
「こちらは暖かいですね」
「ワシントンDCとニューオリンズでは、平均気温が10度違うからな」
ルイ・アームストロング空港に降り立ったカワードとブレイクは、チャーター機に横付けされた政府専用車のリムジンに乗り込んだ。
カワードは管理金準備制度の成功を宣言し、国民に印象付けるため、自らが合衆国の主要都市を遊説する事を決めた。その皮切りとなる場所が、カワードの生まれ故郷ルイジアナ州でも最大の都市、ニューオリンズだ。
カワードはこの日、メルセデスベンツ・スーパードームで演説を行うことになっていた。そこは自身がかつて大統領選挙に立候補を表明した際に、立会演説会を行った思い出の場所だ。
昨年のクリスマスイブに行うはずだった祝賀スピーチを、V2ミサイルによって台無しにされた無念を晴らすため、丁度1年が過ぎたこの日に的を絞って、スケジュールを調整させたのだった。
管理金準備制度は出だしの躓きこそあったが、秋も深まったあたりから事態は大きく好転し、関係各国からは続々と、IMF債拠出金となる金地金が、軍艦でノーフォーク海軍基地に運び込まれるようになっていた。
アメリカに対する金地金の預託について、明言を避けていたドイツとフランスが、8月末に急に態度を翻し、賛意を表明したことで潮目が変わったのだ。
両国が態度を変えた理由はあのストライク・ゴースト作戦にあった。
旧ナチスの毒ガス兵器が今なお存在し、それが使用寸前であったという事実は、両国にとって、これ以上ない程の衝撃であった。そしてナチス残党に立ち向かったアメリカの行動は、両国国民から多大な称賛を集める事となった。
IMF債拠出金への参加は両国の政府が、自国世論を反映した当然の帰結と言えた。
客観的な見地からすればストライク・ゴースト作戦自体は、完全な失敗と言われても仕方がないものだった。300名近い兵士が殉職し、目的としていた伊400型の破壊もザビアの確保もできなかったからだ。
しかし伊400型は出撃直後に原因不明の爆発で沈没し、ザビアを保管していたUボートブンカーも、基地内の内部汚染で永久に封印され、誰も触ることが出来ない状態になった。
結果的に目的は達成された上に、IMF債拠出金の交渉で難攻不落と思われたドイツとフランスを落とすという副産物まで生んだ。
カワードには、怪我の功名という言葉では言い表せない程の、大きな果実がもたらされたのだ。
「人が大事を成し、それが成就するときには、必ず神の配剤があるのだ」
リムジンの柔らかいシートに寄りかかり、カワードは言った。
「どうしたんですか? 藪から棒に」
ブレイクがカワードに視線を向けた。
「今や、全ての出来事が、私にとっての追い風だ。そう思わないか、クララ?」
「確かにその通りです」
ブレイクは深く頷いた。
世界の経済は、管理金準備制度の発動と共に劇的な変動に見舞われ、金融マーケットは縮小の一途にある。アメリカ国内はと言えば、中小の企業では既に倒産が相次ぎ、大手の投資銀行や証券会社にも倒産の危機が囁かれ始めている。
失業率は大恐慌時代の25%に迫る勢いだ。
――しかしながら、今回に限っては、なぜか国民からの政府批判は鳴りを潜めている状態だ。今回の不況は、痛みを伴う改革の副作用であるとして、国民には好意的に捉えられていたし、何よりもカワードは、絶対悪たるナチスの野望を潰したことで、英雄視さえされているほどだ。
カワードの支持率は、底の見えない不況にも関わらずじりじりと上昇を続け、今や70%台の後半にもなろうかとしていた。
「これからの課題は、日本をどう料理するかですね」
ブレイクは言った。
「世界一の対外債権は、IMF債拠出金に順次付け替えさせていけば良い。あとは国内債務型の経済を、どうやって対外債務依存にさせるかというだけだ」
「恐らく問題はないでしょう」
「ああ、問題ないだろうな。日本人ほど、グローバル化という言葉が好きな国民は世界にいない。グローバルな話に仕立ててやれば良いだけだ。どうにでもなる」
カワードは余裕の笑みを浮かべた。
リムジンのフロントウインドウには、前方の背の高いビル越しに、メルセデスベンツ・スーパードームの白い屋根が見え隠れし始めていた。
「さて、我国の国民に、一年遅れのクリスマスプレゼントを贈る日が来た」
カワードは感慨深げに言った。
「それを言うなら大統領、世界人類に贈る最高のクリスマスプレゼントと言うべきでよ」
ブレイクはカワードに微笑みかけた。
「世界人類に、プレゼントを贈るマシュー・カワードか――、悪くないな」
カワードの顔には、ブレイクがかつて見たことが無い、満面の笑みが広がっていた。
――2018年12月24日、10時45分、メキシコ湾――
クリスマス・イブにも関わらず、漁師のライナス・アストンはいつも通りに船を出していた。クロマグロ漁は、競争相手のいないこんな日こそが、絶好の狙い目なのだ。
双眼鏡を覗いてみても、広い海面には一隻の漁船も見えない。
「今日はこの広い漁場が全て俺のものだ」
アストンがそう思った矢先だった。静かな海面が突然に泡立ち、盛り上がったかと思うと、黒い鉄の突起物が海中から立ち上がってきた。波が周囲に広がってアストンの船は揺れた。
黒い突起物の根本は円柱を横にしたような形をしていて、その円柱が全て海面に出ると、次はその下に100mにもなる長い船体が海面に現れた。その姿は疑う余地も無く、明らかに潜水艦だった。
司令塔の側面には不思議な記号が入っていた。アストンはそれをメモ帳に記した。『イ12』とそこには書かれていた。
もう一度双眼鏡を覗くと、遠くには、もう2隻の潜水艦が浮かんでいた。ライナスはその司令塔の記号もメモを取った。『イ13』『イ32』と書かれていた。
目の前の潜水艦では、円柱の前方のやや先の尖った部分が、そのまま横に大きく開いて行った。それは大型のハッチになっており、中は筒のような空間だった。10人程の男が筒の奥から出てくると、今度は先の尖った細い――そうだ自分が痔の痛みが酷い時にいつも使っている座薬を細くしたような――形のものが、台座に乗せられたままで、筒の中から引き出された。
男達はその座薬の周囲で何やら作業をしていた。すると次は、座薬の側面についていた板状のものが横に広がり、その座薬は飛行機のような形になった。
座薬の後方には、細長い筒が横に並んで2つ付いていた。どこかで見たような形だなと考えてみると、いつか戦争映画でみたドイツのV1飛行爆弾そっくりだった。 違っているところと言えば、エンジンが1つではなく、2つ付いていることだ。
先端の機首部分には、何かを識別するためだろうか。白いペンキで“C”と大きく手書きされていた。
よくよく見ると、筒の奥にはもう1機の座薬が収められていた。その機首部分には、手書きで“D”と書かれていた。
男達は筒の中に戻り、横開きのハッチを閉じた。
やがて座薬の背中に付いた2つのエンジンに火が灯り、ブンブンという、断続的ですさまじく不快な音が周囲に響いた。
そして蒸機の白い煙が立ち上がり、座薬は潜水艦の上に敷かれたレールの上を、海面すれすれに打ち出されていった。
アストンが双眼鏡を覗くと、他の潜水艦からも同じように座薬が発射されており、白い帯を引きながらニューオリンズの方向に向かっていた。
凄い物を見てしまったな。決定的瞬間だ――、アストンは思った。
この話をすれば、きっと漁師仲間はびっくり仰天だ。アストンには行きつけのバーで、皆が目を見開く姿が目に見えるようだった。
しばらく双眼鏡で、座薬の3つの航跡を追いかけていると、後方からシューという音が聞こえ始めた。振り返ると、潜水艦は海面下に沈みつつあった。
「まずい、証拠写真を撮っておかないと、誰も信じてくれないぞ」
アストンがポケットからスマートフォンを取り出し、司令塔の『イ12』の記号にフォーカスを合わせた瞬間だった。
ダダダダッという音と共に、司令塔の上から重機関銃が掃射された。
何が起きたのかを感知する間もなく、アストンは甲板に仰向けに倒れた。
アストンが最期に見たのは、頭上にどこまでも広がってゆく、一点の曇りもない青空だった。
――了――
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