第44話 エアフォースワン
「実を言うと、私と西野、花園は、水睦社の名刺を使ってはいますが、実は海上自衛隊の特務部という部署に所属しています。
分かりやすく言えば、海上自衛隊所属の特殊部隊です。水睦社は一般法人であると同時に、その特務部の表の顔の役割も果たしているのです」
「やはりね。あなた方は裏に何かあるとは思っていましたよ。まさか、ここで自衛隊の名が出てくるとは思いませんでしたがね」
「隠していて申し訳ありません。これも任務なのです」
「冷静に考えてみたら、自衛隊というのは、一番有り得る選択肢なのかもしれませんね」
矢倉の言葉に、菅野の答えは無かった。
「続きをお話しましょう。少々長くなりますが……」
菅野はそう言うと、これまで矢倉に秘匿していた事実を語りはじめた。
「水睦社の主たる目的は零号作戦従事者の遺族支援ですが、実はそれとは別に、もう一つの役割を担っていました。ナチスの第四帝国計画が、同胞の名誉を汚すものだと判明した場合、断固それを阻止すべしという任務もまた、永野元帥より下命されていたのです。
戦後日本海軍は解体されましたが、水睦社は軍の外にあったため、極秘にプールされた海軍機密費を原資として、その後もずっと機能し続けました。
そして1954年に防衛庁が発足し、海上自衛隊が再編されたのを機に、第四帝国監視の任務は水睦社から特務部に移されました。情報収集や諜報活動は、民間よりも国の機関の方が各段にやりやすいからです。
水睦社はその後も、遺族補償のための組織としてずっと温存され続けています。そして水睦社の中でも、私の名刺にあった総務部秘書課が、海上自衛隊・特務部と、民間との連絡窓口と位置付けられています。
終戦直後の第四帝国は我々特務部からだけでなく、連合国各国の諜報機関からも監視の対象になっていました。しかし戦後30年を過ぎたあたりから、各国が次々と手を引いて行きます。
それもある意味当然でしょう。第四帝国は30年間、監視網に一切浮上してこなかったのですから。当然ながら特務部の役割もその頃から変化をしていきました。
現在の我々の任務は、第四帝国そのものを追うよりも、そこに輸送されるはずだったナチスの報復兵器、V5の行方を追う方に重点が移っています。
ここでV5についご説明しなければなりません。以前水睦社で矢倉さんに結城をお引き合わせした際、結城から、ナチスが日本に輸送を依頼してきた戦略兵器は、V1、V2、V5の3つで、V5は正体が分からないとお話をしました。覚えていらっしゃいますか?」
「ああ、覚えている。忘れるわけがない」
矢倉は菅野の問いに答えた。
「矢倉さん、実は我々は、V5は毒ガスではなかったかと予想しているのです。それも確信に近いレベルでそう考えています。
当時ドイツでは非常に強い毒性を持つと同時に、使い勝手の良い、ザビアという最新の毒ガスが完成しており、その情報は日本にももたらされていました。
この毒ガスは、A液とB液という2つの前駆体に、ごく少量のC液を加える事で、爆発的な連鎖反応を引き起こすのが特長です。A液の毒性は低く、B液は基本的には人体に無害なので、これらをC液と分けておけば保管や、輸送段階での危険が無くなるのです。正に画期的な毒ガスです。
しかしそれだけでは、ザビアがV5であったとは言えません。何故ならばヒトラーは毒ガスが嫌いでした。毒ガス開発を推進した事で悪名高いヒトラーですが、軍事作戦でそれを使った事は一度も無いのです。
毒ガスは作るには低コストで、使うのも簡単ですが、実際には使った後が大変です。汚染物質が残留するので、土地を接収する意味が無くなりますし、味方や捕虜に中毒患者が発生すれば、看護が一生つきまといます。
戦闘外での戦線維持のコストが馬鹿にならないのです。ヒトラーはそれをはっきりと認識していました。
なぜ我々がザビアに注目したかと言うと、そこには最大の特長である“D液”の存在があったからです。D液はザビアを開発した化学者本人が、実現の可能性を周囲に示唆していたものです。
A液+B液+C液で毒ガス化したザビアに、D液を加える事で、ザビアは逆方向の連鎖反応を引き起こし、急速に汚染を無害化するのです。
D液の合成が成功していたのかどうかは分かりません。戦争終結後にザビアの製造工場を確保した連合軍は、そこに残った完成品のザビアを入手しました。しかし重要な関係資料は持ち去られた後でした。特にC液とD液の資料は何も見つかっていません。
完成品のザビアがある以上は、C液が存在しているのは確かです。しかしD液があるのかどうかは今もって不明です。現物も資料も何も無く、開発者も消えてしまったとあっては、確認のしようがないのです。
話を戻しましょう。もしもD液が存在したとしたら、ヒトラーの懸念は全て解消されることになります。毒性、保存性、輸送性、経済性、そして使用後の無毒化。 全てを併せ持つ理想の毒ガスです。ヒトラーならそれをV5として、積極的にそれを実戦投入しようとしても不思議ではないでしょう。
それこそが、我々がV5の正体がザビアでないかと疑う理由です。
そして我々が最も恐れている事は、伊220はV5の正体を知らされないまま、毒ガスの輸送に従事させられていた可能性があるという事です。
毒ガスは人類共通の敵であり、それを使用した者は、理由を問われるまでも無く、悪と決定づけられます。また毒ガスは貧者の核と称される通り、国家や軍のような、大袈裟な体制を持っていなくても使いこなせてしまいます。
もしもV5がザビアであり、万が一それがどこかで使用された場合、輸送に加担した伊220の搭乗員はもちろんの事、我が日本の名誉も地に落ちるでしょう。
私たち特務部は、零号作戦に参加した潜水艦を発見した場合、どんな事があってもその荷は確認しなければなりません。そしてもしもそこに毒ガスの痕跡が発見されれば、完全にそれを葬り去る責務があります」
「なるほど、仰ることは理解できました」
矢倉は言って話を続けた。「そのような背景の中で、我々は伊220からラボ缶を発見した。しかもそこには、“C”と“D”の刻印のプレートがあった。そういう事ですね?」
「その通りです。現状ではあれがザビアのC液、D液だったのかどうか分かりません。しかし極めて疑わしいのは事実です」
矢倉は菅野の言葉で全てを悟り、そしてゴクリと重い唾を飲み込んだ。
――2018年7月12日、16時15分、日本海上空、エアフォースワン――
カワードの乗った大統領専用機エアフォースワンは、羽田を発ち北京に向かっていた。
6月末のヨーロッパ歴訪は、カワードの期待外れの結果に終わっていた。最重視していたフランス、ドイツとの交渉は、管理金準備制度への賛意を再確認したに止まり、IMF債拠出金について明確な言質をとる事ができなかったからだ。
そのカワードが起死回生の一策として打ち出したのが、アジア諸国の歴訪だ。中国は日本に次ぐ2番目の訪問国である。
機中のカワードは、ラウンジのソファで、日本訪問の成果にほくそ笑んでいた。
日本は国債のほぼ全てを自国民が引き受けているため、他国に対してデフォルトすることが無い。つまりIMF加盟国の中で、最も優良な国だと言える。
しかしそれは裏を返せば、IMF債を活用しない国。管理金準備制度の枠に捕えることが最も難しい国という事でもある。そこでカワードは、日本が資産準備として保有している金に目を付けた。
日本政府は世界第9位の金保有高であり、それは都合の良い事に、大半を米国が預かった状態で、フォートノックスの金庫に眠っている。その金をIMF債拠出金として振替させようと、カワードは画策したのだ。
管理金準備制度の枠組みの中で、それは世界的に日本の発言力を増すための好機と踏んだ田上財務大臣と三田村日銀総裁は、まんまとカワードの策にはまり、政府を主導して金準備の大半をIMFに拠出する事を認めさせた。
しかもその上に、年明け以降ずっと続いている日銀による金買いを、尚も加速させる事を約束した。
「あのタノウエとミタムラは、与しやすかったな」
カワードが言うと、「まったくその通りでしたね」とブレイクが笑った。「経済通を自認し、自分は二手先を読んでいると思い上がっている連中が、実は一番誘導しやすいのです。これで日本も我々の術中です」
「次は中国。世界第6位の金準備高を、是が非でも吐き出させなければならん」
「中国は世界的な発言力を求めていますし、何よりも日本に対する対抗意識が強い。そこを突くのが勘所でしょう。今回先に日本を落としたのは大きいです」
「その通りだな。しかし中国人と言うのは、当たり前の思考回路で動いてくれないので、どのような突飛なロジックを繰り出してくるか見当も付かん。要注意だ」
「あの国を見ていると、交渉上手と交渉下手は紙一重であると思い知らされます」
「恐らく彼らは、交渉上手でも交渉下手でもない。交渉をしていないのだ。ルール無視の異次元の理屈を唱え、決してそれを曲げることなくじっと待っている。それだけだ。
後は相手が勝手な解釈で右往左往し、なぜか中国の都合の良いところに話が落ち着く」
「確かにそれは、言い得て妙です」
カワードとブレイクは、声を上げて笑った。
不意にコンコンと機内ラウンジのドアがノックされ、細く開くと、秘書官が1枚のメモを差し出した。ブレイクはその紙を受けとってさっと目を通すと、すぐに表情を曇らせた。
「どうした? 何かあったか?」
「大統領、また伊400型です」
「3月からもう3回目だ。迎撃はどうした?」
「駄目でした。今回は空軍と海軍がスクランブルを発動したようですが、戦闘機が到達する以前に、向こうは遥か深海に潜っており、遅れて到着した対潜哨戒機にも感知できませんでした。今回の潜水艦の浮上時間は僅か10分です」
「ギャビンは一体何をやっているんだ? 空母の配置に問題があるのではないか?」
「つい先日、私もそれを指摘したばかりです。ギャビンは相手の出方が正確に予想できない以上は、広範囲に空母を分散させるしかないと言っています」
「我々の国土の中でも、守るべき場所は限られているのだ。もっと網を狭めろとギャビンに伝えろ」
カワードが声を荒げた。
「ミサイル防衛網の進展はどうなっている?」
続けてカワードが訊いた。
「まだ遅れが出ているようです。ギャビンによると、ミサイル自体の移動は順調に流れ始めたものの、部隊間での人員配置の調整で手間取っているとの事です」
「まるでワシントンの政治家たちが得意な、のらりくらりの言い逃れに聞こえるな。やつが意図的に再配置を遅らせているという事は無いだろうな?
以前の会議では、皆の前でこっぴどく痛めつけたからな。私を恨みに思っているかもしれん」
「ギャビンは政治家ではなく軍人です。さすがに、そんなに愚かではないでしょう」
「やつが軍人だからこそ言っているんだ。会議の場で打たれ慣れているやつでないと、あの程度の軽い嫌みでさえ、ハードパンチになり兼ねないからな」
「ギャビンの言動には、今後特に注意をするようにします。罷免するまでには、まだまだ働いてもらわなければなりませんから」
「税金を無駄にしないためにもな」
カワードがうっすらと笑みを浮かべた。
「ところで大統領、バウアー副大統領の最近の動きはご存知でしたか?」
「ああ、知っている。私の悪口を随分と吹聴して回っているそうだな」
「もしも今、合衆国が外から攻撃を受けでもしたら、管理金準備制度は台無しだと、周囲の危機感を煽っているようです。しかも私と大統領の不倫疑惑まで持ち出す始末です」
「やつは必死なんだろう。政治家としては旬の時期をとうに過ぎて、自分の実力ではもうとても大統領にはなれない。次の予備選では民主党の大統領候補にさえ選出されないはずだ。
もしもやつが大統領になる目があるとすれば、それはたった一つの方法しかない。私の任期中に私を追い落として、繰り上げで就任することだ」
「それを狙っているのでしょうか?」
「恐らくな」
「杞憂かもしれませんが、バウアー副大統領がギャビンを仲間に引き込んで、ミサイル防衛網を阻害している可能性もありますね」
「確かに、それは有り得る」
「どうします? 調査しますか?」
「CIAを二人に張り付けるように、チェイスに言ってくれ」
カワードはブレイクに指示を出すと、手元にあるバーボンのソーダ割りを、一気に喉に流し込んだ。
――第十二章、終わり――
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