第43話 謎のラボ缶

――2018年7月11日、14時20分、リスボン沖――


 矢倉たちの潜水調査は11日目に入っていた。この日のエヴァは、午後から艦内に入るローテーションだった。

 何日も同じ貨物室を見続けていたためか、エヴァは自分なりに、無秩序に散乱しているかに見えた機械類、部品類、缶や瓶などの容器類に、法則性のようなものを感じるようになっていた。


 イマジネーションを働かせて、潜水艦ならではの艦内事情を想像してみるとその法則は、よりもっともらしくエヴァに感じられた。

 潜水艦は長期航行に備え、大量の食糧を積み込むが、とても通常の収納場所に入りきらないため、通路の床に積みあげ、その上に板を敷いて上げ床にするのだという。


 貨物室でも同じ状態だったことが容易に想像された。箱詰めされた貨物が、重い物から順に床に積まれていく。次いで固定しやすい壁面に沿って荷物は積み上がる。後部ハッチ――エヴァたちが艦内への侵入口としているハッチ――までは、動線を確保しなければならないので、そこには貨物が積まれず、狭い空間が残されたに違いない。

 そしてそこは通路となって、床にはやはり食料が積まれただろう。そう思って現場を眺めると、確かにガラクタのような缶や瓶は列をなして並んでいる事が多く、初めから調査すべき場所から省くことができて効率が良かった。


 エヴァはこの日、後部ハッチをくぐって艦内に入ると、直下に伸びる垂直ラッタルの右舷側を目指した。それは、昨夜急に閃いた行動だった。エヴァの向かう先は、何故かそこだけ貨物の積み上げが、他と較べて低い場所であった。

 これまで深く気に留めず、重要度は低いと考えていた場所だが、積荷が低い理由を突き詰めて考えると妙に気になった。


 潜水艦の積載容量は限られている。無駄な空間は不要なはずだ。にも関わらず、積み上げの甘い場所があると言う事は、そこにあるものは、上への積載が許されないデリケートな積荷か、或いは到着地で優先的に荷卸しを行いたいもののどちらかではないか? 

 もしもその推論が当たりなら、それは重要な物資であった可能性がある――


 目的の場所でエヴァは、堆積物を払いのけ、周囲の積荷から落下したらしい部品類を一つ一つ取り除いていった。やがてそこには金属の突起物が姿を現した。

 それは腕の長さ程もあるバールの先端だった。エヴァは不審に思った。ローリングの激しい船の上では、工具類は壁面に固定してあるはずだ。しかしそれはまるで、無造作にそこに置かれたかのように横たわっていた。厳しい軍規が有る潜水艦内で、何故こんなものがここに?


 エヴァはバールを引き抜くと、その周囲の堆積物を払った。うすい靄が晴れ、そこでエヴァは一瞬息を呑んだ。バールの下にあったものは、僅かに外枠の形状を残した木箱と、その中にある無数の金貨だった。エヴァがその一枚を取り上げてみると、海中であるにも関わらず、金特有のずしりとした重量感を感じられた。


 エヴァは急いでその周囲に積もった金属部品と堆積物を取り除いた。金貨の木箱の横には、金貨よりも更に大きな堅い塊が手に触れた。取り上げてみるとそれは金のインゴットのようで、1㎏ほどの板にはハーケンクロイツと99.99という刻印が刻まれていた。

 エヴァは驚きに目を丸くした。そして慌てて水中無線でその事を矢倉に、そして灘遥丸に伝えた。


 艦上にその発見物の幾つかを引き上げて鑑定すると、金貨もインゴットも確かに純金である事が分かり、灘遥丸の艦内はエヴァの大発見に沸き立った。


 翌日はエヴァを中心にして、ローテーションで艦内に入る予定の全ダイバーが、エヴァの発見した一角の調査に当った。

 そこにはおびただしい量の金塊が眠っていた。


 確認したインゴットの内訳は、10㎏のものが73本、2㎏のものが98本、1㎏が102本、500gが208本あった。最初にエヴァが見つけた金貨は、スイス発行の100フランのヘルベチア金貨で、合計260枚が見つかった。

 金の総重量としては約1.2トン。歴史的価値を一切加味せず、純粋な金塊と評価しても、最新のレートで100億円は下らない。

 ダイバーたちは金の引き上げが終わると、当初から予定されていた作業に散って行った。海上にいるスタッフたちと違い、ダイバーに残されている作業時間は、常に刻々と減り続けているからだ。


 引き上げられたおびただしい金に、灘遥丸にいる調査団全体が騒然とする中、海底の伊220内では、ミゲルが金の在処とは別の場所で、ロックが掛かった金属のケースを発見していた。

 箱の外面が相当に劣化していたため、携行していた工具でこじっただけですぐに蓋は開いた。中にあったものは、緩衝剤に守られた2本の金属製の缶だった。


 その缶には取っ手が付いており、先が急に窄まったその形状は、化学の研究室で用いられるラボ缶のように思われた。缶の首の部分にはプレートが付けられており、それには2本のそれぞれに、“C”、“D”と刻印されていた。

 ミゲルは引き揚げるべきかどうかの指示を仰ぐため、その写真を撮って現場を後にした。

 

 その日の夜、灘遥丸ではDDCとTV会議回線を繋ぎ、全体ミーティングが行われた。矢倉がまずは口を開いた。

「今日で潜水調査開始から12日目。工程の約半分を消化しました。これまでの成果で特筆すべきものは、今日発見された金地金1.2トン。それ以外はウルツブルグレーダー一式といったところです」

「TV番組を制作する上でなら、もう十分な成果よ。金塊発見の一件だけで、特番2本分作れるわ」

 玲子が発言すると、取材スタッフ達全員が頷いた。


「明日以降、金が発見された辺りを徹底して調査していただけませんか? もっと沢山発見されるかもしれません」

 TV局から派遣されているディレクターが意見を言った。

「ちょっと待って下さい。我々は宝探しを目的にここに来た訳ではありません。歴史的な価値の発掘に目を向けるのが本筋です」

 矢倉が反論した。


「歴史的な価値というと?」

「あの潜水艦は何者なのか。本当に伊220なのか。日本で造られて、日本人に操艦されてここまで来たのか。目的はなんだったのか。そんなようなことです。それになるべく多くの遺骨も回収して、帰国させてあげたい。

 今日は艦首側に向かう通路も発見されたことですし、明日以降は貨物室から、別の区画に調査の主力を移したらどうかと思います」


「そうは言っても、通路の先に何も見つからない可能性もあるでしょう」

 ディレクターは食い下がった。

「我々だけで話しても仕方がない、スポンサーの意見も聞いてみましょう」

 矢倉は菅野に話を振った。水睦社は零号作戦従事者の遺族支援を目的とした団体だ。菅野なら矢倉の考えに同意してくれると思った。

「我々は貨物室の積荷の方に、まだ興味がありますね」

 菅野は意外な回答をした。


 菅野は積荷から日本とナチスの関係も分かるし、伊220がなぜここに沈んだのかも炙り出せるという主旨の発言をした。矢倉は水睦社で結城から聞かされた「我々には同胞を帰国させ、弔う義務がある」という言葉とかけ離れた、菅野の発言に違和感を覚えた。


「こうしませんか」と菅野は言った。「調査計画半分までのあと2日間だけ、貨物室の調査を優先して行い、その後は水質の改善に順じて、艦首側に調査の主力を移しましょう」

 矢倉は作業の効率を考えると、それも妥当な方法だと考えながらも、やはり貨物室にこだわりを残す菅野の態度を不審に思った。


「ちょっと良いですか」とミゲルが発言した。「今日、ちょっと気になるものを発見したのですが、それを引き上げて調査すべきかどうか、皆さんに判断していただきたいんです」

 そう言ってミゲルが表示させた画像は、金属ケースに中にある2本のラボ缶だった。ミゲルが画像を拡大すると、一本ずつに“C”と“D”と刻印の入ったプレートが見えた。


「あっ」という短い声を上げたのは、菅野の部下の西村だった。

 同時に矢倉の目の前のTV会議画面には、かっと目を見開いている菅野の姿が映っていた。菅野のもう一人の部下、花園までが身を乗り出す姿が見えた。矢倉はその時、菅野の口元が『あ・っ・た』と動き、声にならない言葉を発しているのを見逃さなかった。

「矢倉さん、明日の朝一番でこのラボ缶を回収してください!」

 マイクに向かって発言したのは、西村だった。矢倉はその切迫した声に、なにやらただならぬ気配を感じ取った。


 翌朝のダイブでベルが海底に着くと、ミゲルが真っ先に海中に出て行き、矢倉はサポートに回る順番だったためにベル内に残った。矢倉は艦内電話で菅野を呼び出した。


「菅野さん、昨日ラボ缶の画像を見た時の、あなた方の驚き様はただ事ではなかった。私にはあなたたちが、あのラボ缶が始めからあそこにあると、予想をしていたかのように見えました。あのラボ缶は一体何なのですか?」

「察しが良いですね矢倉さん。あのラボ缶は日本に持ち帰って分析に掛けます。結果次第で私のこれからの動きは大きく変わる――。あなたにはいつか全てを話します。申し訳ないが、今は何も聞かないでほしい」

 矢倉は菅野に、それ以上の事は訊かなかった。訊いても話すまいと思ったからだ。そしてそれは同時に、矢倉にとって菅野に対する違和感が、本物の疑念に変わった瞬間だった。


 貨物室に向かったミゲルは、すぐにラボ缶の回収作業に取り掛かった。ほどなくしてラボ缶は金属ケースから抜かれ、海上から下ろされたバスケットに載せられた。昨日のインゴットのように、それを待ち構える水中カメラマンはいなかった。 菅野から撮影チームに、ラボ缶の撮影は控えて欲しいという指示が出ていたからだった。


 灘遥丸にはあのベッティーナ号が横付けしていた。すぐにラボ缶を港に運びたいという菅野の求めで、矢倉がフェリペを呼んだのだ。西村と花園はラボ缶を持って、ベッティーナ号に乗り移った。


 夕方になって矢倉がDDCに戻ると、携帯電話にフェリペからの着信が入っていた。掛け直してみると、すぐにフェリペが出た。

「やあ、マサキ。依頼のあった二人は無事港に送り届けたが、そこで妙な事があったので、電話をしたんだ」

「妙な事?」

「港に着くやいなや、待ち受けていた沿岸警備隊が2人を連れ去った。言い争う声が聞こえてきたが、先方は沈没船からの違法な盗掘を取り締まっていて、2人にはその疑いがあると言っていた」


「タイミングよく、ベッティーナ号の到着を待ち受けていたという事か?」

「そうだ。そしてタイミングもそうなんだが、他にも不可解なことがあった。ポルトガルでは盗掘を取り締まるのは水上警察で、沿岸警備隊ではないんだよ。しかも2人を乗せて来た俺には、全く声さえも掛けなかった。盗掘を疑うなら、俺もグルだと考えて当然だろう」

「確かにそれはおかしいな。フェリペ、知らせてくれてありがとう」

 矢倉はフェリペの電話を切ると、すぐに菅野に電話を掛けた。


「西村さんと花園さんが沿岸警備隊に捕まったのは知っていますか?」

「どこから聞いたんですか? もちろん知っていますよ。連行される途中で西村から連絡が入っています。しかしその件は大丈夫です。いままで隠していましたが、実はこちらは外交特権を使える立場にあるのです。日本大使館経由で、既に沿岸警備隊には連絡済です」

「ポルトガルでは盗掘の取り締まりを行うのは水上警察で、沿岸警備隊ではないそうですよ。それも知っていましたか?」

「えっ――」

 矢倉には電話の先で菅野が絶句するのが分かった。電話はそこで切れた。


 その日、夜遅くになって、菅野から電話が掛かってきた。

「油断していました。あなたが知らせてくれた懸念が、悪い方向に転んだようです」

「どういう事ですか?」

「西村が殺されたのです。たった今、リスボンの警察から日本大使館に連絡があったそうです。テージョ川の対岸のカシーリャスという場所で、銃撃戦があったらしい。西村の他に、イスラエル人が1人とノルウェー人が2人死んでいます」

「花園さんは?」

「不明ですが、連れ去られた可能性が高いです」

「ラボ缶は?」

「ありません。奪われました」

「銃撃戦との事でしたが、2人は銃を持っていたのですか?」

「所持はしていません。扱う事はできますが――」

「一体、あなた達は何者なんですか? ラボ缶といい銃撃戦といい、ただ事ではない」

 矢倉と菅野の会話に、しばしの沈黙が流れた。


「こうなっては、真実をお伝えしないわけにはいきませんね……」

 菅野は言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る