第41話 カワード・ショック
「古賀さん、今の話に絡んで、アメリカ軍に興味深い動きがあるんですよ」
国際政治学者の増渕が話に割り込んできた。
「どういう動きですか?」
「1月の後半から気配のあった、パトリオットミサイルの再配置がどうやら完了した模様です。第3世代のPAC3弾を搭載したM902発射機が、メキシコ湾岸と西海岸から移動し、ワシントンDCからニューヨークに掛けて、高密度に集中配備されたのです。
同時にフェイズドアレイレーダーも多数移動しています。未確認情報ですが、NATOに貸与していたパトリオットまで引き上げたとさえ言われています」
「それは何を意味しているのでしょうか?」
「明らかに、大西洋側からのミサイル攻撃を警戒していますね。ワシントンDCとニューヨークを中心とし、その真西にあるフォートノックス陸軍基地も視野に入れた防衛体制ではないかと思います」
「つまり武本教授のご意見を裏付けるように、預かった金を守るために、アメリカ軍が体制を整えているという事ですか?」
「私はそう思いますね」
訳知り顔で頷く増渕からカットが切り替わると、玲子がさも増渕の見識に感心したというように頷く姿が、画面一杯に映った。
「武本教授、商品先物市場は、当初の取引停止は解けましたが、その後も総量規制とも取れる取引制限が掛かったままで、株式市場も停滞しています。
投資銀行のダメージは計り知れず、そろそろ大手が破綻するのではないかと噂されています。
巷では今回の大転換は、アメリカ大統領の名にちなんで、カワード・ショックとも呼ばれているようです。経済に与える影響は甚大だと思いますが」
玲子が武本に質問を投げた。
「ニクソン・ショックの再来と言う意味では、カワード・ショックとは言い得て妙ですね。アメリカもIMFも、世界経済に相当な規模で混乱が起きる事は、覚悟した上での強硬措置だったはずです。
そもそも、実体経済とかけ離れた金融市場は、いつか是正しなければならなかったものです。なぜこれまで手つかずだったかと言えば、何が実体で、何が虚像なのか、判別することが出来なかったからです。或いは判断しようとすると、膨大な時間とコストが掛かるために、手が出せなかったと言い直しても良い。
乱暴なやりかたかもしれませんが、敢えて厳しい局面を作って、破綻すべきは破綻させ、その後必要なものだけを救済した方が、余分なコストが省けるという考え方もできます」
「それでは武本教授は、今のままで構わないと?」
「今のやり方が最善かどうかは別として、金融市場が水膨れ状態だったのは確かで、単純な数字だけで言えば、今の金融サービスの規模を80%削減するか、或いは80%の金融機関が破たんして丁度適正な規模に収まるのです。
80%はさすがに規模が大きすぎて、方々に良からぬ影響が及ぶでしょうから、50%程度が丁度良いのではないかと思います」
「世界的な大恐慌に陥る可能性もあるかと思いますが、如何ですか?」
「その危険は大いにあるでしょうね。しかしいずれにせよ、最近の経済は、押し並べてチキンレースだったのです。
破綻するのは分かっているが、それがいつなのかというだけの話です。私は金融市場の不備はソフトランディングさせるよりも、今回のようなドラスティックなやり方で、一気に片付けてしまった方が、むしろ痛みは少ないと思っています」
「私も、武本教授のご意見と完全に同じ考えです」
増渕が発言した。
「増渕先生も同じお考えなのですか?」
アップで大写しになった玲子が、半ば驚いた口調で言った。いつもなら武本の意見にはことごとく異を唱えるはずの増渕が、ここまで同意したのを見るのは初めてだった。
「更に私は、本件を裏で主導しているカワード大統領にエールを送りたいですね。民主党はリベラルで弱腰とばかり思っていましたが、さにあらずですね。
今では共和党のタカ派も舌を巻いているのではないでしょうか。唯一課題があるとすれば、ユダヤ資本の金融筋からの批判が怖いところですが、今のところそれも無いように見えます。死角がありませんね」
番組を見ていた矢倉は、一人ニヤついていた。玲子は対決状態にある2者を交互に煽って、双方から重要コメントを引き出すのがやたらと上手い。しかし今回の一件では武本と増渕が完全に意見が一致しているために、まるで出る幕無しだ。
これがメインキャスターの古賀だったら、相手がどんな出方をしようが、何も知らない無知を装いながらその懐に飛び込んで、無理やりにでも視聴者が聞きたいコメントをもぎ取ってくる。
経験の差なのか、才能なのかは知らないが、玲子がメインの司会者になれるのはまだまだ先だなと矢倉は感じた。
矢倉は最近多忙で会えない玲子の顔を見られたことで、満足してTVの電源を切った。もうポルトガルへの出発まで1週間ほどしかない。
今日も忙しくなるぞと矢倉は自分に気合をいれた。そして矢倉は欠伸を一つして、部屋の電気を消した。
――2018年6月20日、10時15分、ロンドン――
IMFの会見以降のカワードには、主要同盟国の首脳と会談して、IMF債拠出金への協力を取り付けることが、喫緊の最重要課題となっていた。
特に自国内で金準備の大半を管理しているフランスとドイツから、金地金を米国内に移動させることができるかどうかは、管理金準備制度の成否を決する試金石のようなものであった。
カワードは両国から理解を得る事を、最大の目的として、ヨーロッパ諸国歴訪に旅立った。その端緒として選んだのはイギリスだ。
フランス、ドイツの前に、落とせる国を確実に落とし、外堀を埋める戦略だった。英国首相との会談を終え、期待通りの成果を上げたカワードは、政府主催の午餐会に出席するため、公用車で首相官邸に向かっていた。
リムジンの後部座席で、カワードの隣に座るブレイクの携帯電話が鳴った。ブレイクは電話の内容に顔色を変え、すぐにメモを取り始めた。
「大統領、また伊400型が姿を現しました」
電話を切ったブレイクは、すぐさまその内容をカワードに伝えた。
「やはり来たか。IMFの会見に対する、やつらの返事という事だ。そろそろ現れるだろうとは思っていた」
「向こうは前回と同じく、一旦V2ミサイルの発射体制だけをとり、その後収容して急速潜航したそうです」
「こちらから攻撃はしたのか?」
「潜水艦が浮上した位置は、ワシントンDCから350海里。浮上から僅か12分で潜航したそうです。
空軍基地からも、東海岸沿岸に配置している空母からもスクランブルが間に合いませんでした。位置的には我が国の排他的経済水域から遥かに離れているため、正直言って空軍も海軍も、まだ攻撃には及び腰のように感じられます。
今の状態を客観的に見ると、公海上にいる正体不明の艦船を、こちらの一方的な警戒心から攻撃する事になってしまいますので」
「他国に対する体面など気にするなとギャビンに伝えろ。怪しい相手はすぐに叩け。もしそれが誤爆であっても、政治的に幾らでも解決はできる」
「分かりました、伝えます」
「ミサイル防衛網の再構築はどういう進捗だ?」
「遅れています。ギャビンによると、ミサイル自体の移動は既に始まっていますが、アメリカ全土に渡る広域移動のため、最前線の現場で予想外の混乱が起きているとのことです」
「もっと奴にプレッシャーを掛けろ。これ以上遅れたらクビだと言ってやれ」
「分かりました。しかし例え上手く行ったとしても、大統領は近いうちにギャビンを罷免なさるのでしょうけど……」
「どうせ切り捨てる奴だからこそ、後の憂いなく、ムチを打って働かせることができるんだ。税金で高給を取っているのだから、過労で倒れるくらい動いてもらわないと、納税者に申し訳ないだろう」
カワードの言葉に、ブレイクは相槌を打った。
――2018年6月25日、13時30分、リスボン――
この日矢倉は、5か月ぶりにポルトガルのポルテラ空港に降り立った。同行したのは玲子と、彼女が組織した取材クルーが7名、日本サルベージから派遣された外山和夫と永友益也というダイバー。それに新藤がいた。
一行はホテルで一泊すると、翌日は港に行って、灘遥丸と合流した。準備は着々と進んでいった。
ルイスたち現地組のダイバーが合流してくると、矢倉は全員を集めて海底作業の手順を何度も確認した。
作業はまず船尾側のハッチをガス溶断器で開けて、内部に侵入してからは、区画ごとに測量を行いながら、船内の詳しいレイアウト図を作成していく。それと並行して、水質浄化装置を船外に設置し、フレキシブル管を艦内に引き込む。
レックダイビングで最もやっかいなのは、視界の悪さだ。破損の無い潜水艦は侵入が難しいという側面があるものの、その反面では閉空間であることを利用して、視界を改善することもできる。水質浄化装置はそのために導入を決めたものだった。
撮影クルーは玲子が全体を指揮し、現場は同行したディレクターが仕切るという役割分担を徹底した。海底撮影は2名の水中カメラマンを中心にアシスタントとして新藤が同行し、調査の進捗を見ながら、必要に応じて70m深度まで潜る。
艦内の撮影は当面は行わず、調査が進行し、安全確認ができたところで、矢倉が許可を出すことになった。
矢倉達に遅れる事3日、菅野もリスボンに到着した。西村善文と花園友則という、2人の部下を同行させていた。
――第十一章、終わり――
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