第39話 プロジェクト着手

 ブリュノーはストロボ明滅の間隔が開きはじめるのを待って、またスピーチを再開した。


「それでは具体的な内容に移ります。本日、IMFはここに、管理金準備制度の樹立を宣言いたします。

 管理金準備制度とは、各国が多国間での決済のために保有する資産準備の内、金準備を今後IMFが一括して管理運用するものです。管理金準備制度の一番の柱となるのが、これからご説明するIMF債です。


 まず初めにIMFは自らが主体となり、IMF債を発行することを、ここにお約束します。IMF債とは、これまで各国が独自の判断で行ってきた国債の発行、および引き受けを、IMFが一元管理するものです。


 これによって、多国間に於ける国債の発行と取引は透明化されることになり、現在無秩序に増え続けている金融資産に対して、一定の歯止めとなることが期待されます。また同時にIMF債のスキームは、どこかの国で国債償還に於けるデフォルトが発生した場合、そのリスクをIMF加盟国が一定の割合で応分する機能を持ちます。

 これによって、デフォルトが多国間に連鎖をしていく最悪の事態を、抑え込むことができるはずです。


 それではIMF債の運用ルールについてお話ししましょう。

①IMF債の発行を求める国は、IMFに対して債務を負うこととします。

②IMF債の保証原資は、IMF加盟国から募るIMF債拠出金です。

③IMF債拠出金は金地金の現物のみとします。

④今後行われる多国間での国債取引は、IMF債を介するものとします。

⑤既に各国が外貨準備として保有する他国債は、IMF債に置き換えます。

⑥各国国債とIMF債の交換比率は、発行国のGDPを反映した一定割合です。

⑦IMF債の発行限度額は、各国の拠出金とGDPの評価の掛け合わせで決定します。

⑧今後IMFは国債だけでなく、多国間における金融取引全般に介入いたします。

⑨本措置で各国が被る不利益は、IMFが補償するものではありません。


 尚、本措置は、国債の多国間取引に関する措置であり、自国国債を自国民が購入する場合に於いては適用されるものではありません。


 またこれは強制すべきものではありませんが、事態の鎮静化を促すために、今後当分の間、国債、株式、商品先物の取引が世界的に凍結されることをIMFは期待いたします」


 発表の内容に意表を突かれ、会見会場は大きくざわついていたが、記者たちは情報の整理のために頭がフル回転しているようで、質問を求める挙手はまばらだった。ブリュノーはただ一人の質問者も指名せずに演台を退き、それに代わってグレン財務長官がそこに歩み出た。


「アメリカ政府としては、先程のIMFの発表を全面的に支持します」

 グレンの声が響き渡ると共に、会見会場は静まり返った。記者たちの視線が自分に集まった事を確認したグレンは更に言葉を続けた。

「ただ今の発表による市場の混乱を避けるため、我がアメリカでは、週明けから一週間の間、株式のマーケットを閉鎖します。

 商品取引所は開きますが、当面の間は先物の取引は行いません。アメリカ財務省としては、我国と同じ措置を取っていただけるように、主要各国には既に要請を行いました。

 最後になりますが、我々にとってこれは資本主義経済を守るための苦渋の選択です。どうか我々の勇気ある決断に、神の御加護がありますように」


 しばしの沈黙の後、思い出したかのようにカメラのストロボが次々と焚かれ、記者たちは、次々と質問のための挙手を行った。

 それらを遮るかのように、国連の職員が演台に立って声を発した。

「この会見は、IMFの方針発表の場だとお考えください。本日の時点では、質問は一切受け付けません。詳細資料は明日IMFから配布いたします。尚、本件は影響範囲が広範囲に渡るため、明日以降に関連部局が分野ごとに、個別に記者会見を行う予定です」

 職員がマイクに向かっている間に、警備員に守られるようにしてブリュノーとグレンは壇上を降り、奥の扉から去って行った。


「やっぱり大変な事になりそうだぞ、これから世の中は……」

 矢倉が全てを言い終わる前に、玲子はTVの電源を落として、矢倉に唇を重ねた。

「今日の会見は、IMFの新体制の概要を発表しただけよ。さっき言ったでしょう。重要な情報が入るのは明日以降。これから当分、お互いが忙しくなるわ。ゆっくり会えるのは今日だけ……」

 玲子は矢倉の首に両手を絡め、矢倉は玲子の腰に腕を回した。


     ※


 週が明けるのを待って矢倉は水睦社に出向き、菅野に会って、水睦社の提案に乗る旨の回答をした。そして玲子の言葉にしたがって、ドキュメンタリー番組の収録と放映が前提であるという条件を出した。

 そして矢倉はその場の思い付きで、更にもう一つ条件を出してみた、調査費用の3億円は、全て前金で欲しいと願い出たのだ。水睦社の真意を探るために、敢えて無理な条件を突きつけたつもりだった。


 意外な事に、菅野は「全く問題ない」と言って、あっさりとそれを了承してしまった。そして菅野の方からも、矢倉に条件を付けてきた。

 調査には水睦社以外のスポンサーは付けない事と、関係者以外の者は調査に同行させない事、水睦社の存在は外部には秘匿する事の3点だった。


 矢倉はその条件を飲んだ。菅野はすぐに『ポルトガル沖調査に関する業務委託契約』という書類を作成し、社主の結城のサインをもらってきた。矢倉もその書類にサインをした。

 矢倉の普通預金の口座に、3億円が振り込まれたのは、その翌日の事だった。


 元々の3億円という数字は、矢倉が当てずっぽうで試算した2億円に、玲子が取材費を上乗せしただけに過ぎない。全く根拠が無い数字では無かったが、本当にそれで足りるのかどうかは、これから関係先に打診し、見積もりを取ってみるまで分からない。

 しかし何とかなるだろうと矢倉は楽観していた。恐らくTV局からは、別途放映権の収入もあるだろうし、今更不安になっていても仕方がない。


 矢倉は、すぐに具体的な調査計画を組み立て始めた。

 チャーターすべき調査船については色々と考えた末、矢倉の所属する日本深海開発の親会社、日本サルベージ保有のものを使う事にした。

 またダイバーについても、ルイス、ミゲル、エヴァの3名以外の要員は、同社に依頼することに決めた。


 日本の海難救助技術は世界でもトップクラスだけに、設備面、人材面、そして経験面からも、日本サルベージを使う事は間違いのない選択に思えた。そして同時にそれは、矢倉にとっても好都合な側面があった。

 既に矢倉は今回、4か月もの長期休暇を取っており、続けざまに休暇を申請するのは会社に申し訳がなかった。いっその事、退職しようかとも考えたが、それを言いだすのも大人げないようで気が引けた。

 自分が発注者となって、正式に親会社に仕事を依頼し、そこに自分が参加するのであれば、まだインパクトは少ないだろうと矢倉は思った。


 上司に相談すると渋い顔はされたものの、結局は承認された。矢倉は調査期間中、親会社の日本サルベージに出向扱いとなることで会社とは折り合いが付いた。


 日本サルベージが提供してくれる調査船は『灘遥丸なだはるまる』と言った。それは海上自衛隊の潜水艦救助艦『ちはや』が老朽化し、払下げとなったものを、民間用に大改修を行ったものだった。

 12名収容可能なDDCと、8名搭乗可能な大型のベルを備えており、最新鋭艦ではないものの、今回のような沈没船の調査には最適な装備だった。


 調査開始は7月1日からと決まった。

 夏至からあまり日が開いておらず、太陽光が海底に届きやすい事も、日程を決める大きな理由となった。

 灘遥丸は先行して5月中旬に日本を発ち、矢倉や玲子たち撮影クルーとは、拠点となるリスボンで合流することになった。


 矢倉は小笠原で出会った大学生、新藤にも、調査に参加しないかと声を掛けてやった。それは玲子の命を救ってくれた恩返しでもあった。

 新藤はまだ経験が浅いので、飽和潜水のメンバーに入れる事はできなかったが、並みのダイバーよりも腕が立つのは確かなので、取材クルーの水中撮影アシスタントに使おうと思った。

 新藤が海外の潜水学校に進むのだとしたら、それはとても良い経験になるはずだと矢倉は思った。


 テレサにも連絡してみたが、彼女はもうフランスに働きに出てしまっていた。

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