第十一章 IMF
第38話 記者発表
――2018年3月10日、17時00分、東京――
この日の夕方、矢倉のマンションに玲子が訪れた。水睦社との一件を報告するために、矢倉が呼んだのだ。
「ちょっと信じられない話ね」
それが、矢倉から話を聞いた玲子の第一声だった。
「そう言うと思ったよ。しかし彼らが持っていた情報は本物だった。実際に伊220の青焼を見たが、ポルトガル沖で撮影したものと同じ艦影で、書き込まれていた船体の寸法も、こちらで測量したものと全く同じだった」
「だからと言って、いきなり相手を信用できるものかしら」
「それについては同感だ。だが良く考えてみてくれ、今回は彼らの方が資金を提供する側だ。俺を騙したとして何の得がある?」
「そうかもしれないけれど……。あまりに出来過ぎた話なので、気持ちが悪いのよ」
「彼らは俺の素性にも、企画書の内容にも関心がないと言ったんだ。興味があるのは潜水艦がそこにあり、その場所を俺だけが知っている事実のみだと」
「……」
「だから俺はこう考える事にした。奴らは潜水艦の図面を持っており、調査の資金を提供できる。奴らの素性や目的など、俺にとっては興味の外だと」
「水睦社と組むというの?」
「そのつもりだ。君にも同意して欲しいと思っている」
矢倉は頷いた。
「あなたが良ければ、何も言う事は無いわ。ただ一つだけ向こうに条件を付けて欲しい」
「どんな条件だ?」
「先方が何と言おうと、ドキュメンタリーの収録はさせて欲しいの。もちろんただの記録映像としてじゃなく、放映が前提よ」
「どうしてそんな条件を?」
「あなたの安全のためよ。調査の全工程を記録しておけば、相手が何者であっても無茶はできないでしょうし、万が一のことがあっても証拠が残せるわ」
「わかった、そうするよ。必ず」
矢倉は玲子に約束をした。
その夜、玲子は矢倉の部屋に泊まって行くと言った。
宅配ピザを注文して遅めの夕食をとっていると、玲子がちらと時計を見て「ちょっとTVを点けてくれる?」と言った。午後10時になったところだった。 矢倉が電源を入れると、『報道トゥナイト』の緊急特番が始まったところだった。今日は土曜日なので、本来なら番組は休みのはずである。急遽、特番を組むほどの、何かが起きたということだ。
キャスターの古賀が重大ニュースを告げる時の、一拍呼吸を置く仕草で話し始めた。
「皆さん、大変なニュースが飛び込んできました。只今、国連ビルではIMFが、管理金準備制度に関する会見の準備を行っています。本来であれば明後日が会見の予定日でしたが、2日前倒しで急遽本日が会見日に変更されました。今日は特番としてこの放送をお送りしております」
TV画面には会見場の騒々しい様子が流されていた。一段上がったステージには国連のマークの入った演台が用意されているが、まだ誰も登壇していない。
「ワシントン支局の立花さん、そちらの状況を伝えてください」
古賀が切迫した声で現地を呼んだ。
「こちら立花です。現地時間で朝9時を回ったところです。この会見は8時30分丁度に、報道機関に告知され、急遽報道陣が詰めかけている状態です。会見は9時30に開始すると国連の職員から先ほど報告がありました。現場がまだ混乱状態なので、もしかすると開始時間はやや遅れるかもしれません」
「分かりました立花さん。30分後が会見ですね。そちらで待機してください」
「はい、古賀さん」
中継の騒然とした様子に見入っていた矢倉が、「大変なことになりそうだな」と言って振り向くと、玲子はニヤリと笑いながら画面を見つめていた。
「どうしたんだ、玲子?」
矢倉が訊くと、「やっぱり今日が会見日になったのね。この人達の行動パターンは型にはまっていて分かりやすいわ」と玲子は言った。
「君は会見が今日になると、知っていたのか?」
「知っていた訳じゃないけれど、初めから7対3で、今日か明日になるだろうと思っていたわ。さっきツイッターで、『報道トゥナイト』の緊急特番のニュースが入ってきたので、絶対にそうだと確信したのよ」
「どうして?」
「去年のクリスマス・イヴの会見って覚えている? 万事があの調子よ。発表のインパクトを軽くするために、連中は小賢しい手を使うのよ」
「どういう事だ?」
「IMFは先月の8日に、3月12日に会見を行うのだとアナウンスしたわよね。あれで皆の注意は12日に引きつけられた。そんな状態の中で突然予定の前倒しよ。
でもね、連中は最初から今日の発表を予定していたのよ」
「さっぱり意味が分からないんだが」
「ずっと態度を表明してこなかったIMFが、先月遂に管理金準備制度の発表を行うと予告したとき、大衆の反応はどうだったかしら?
IMFに対してものすごく批判的だったわよね。これまで行き所のなかった怒りや不安が、期日を示された事で具現化したのよ。そして今日、IMFはそんな逆風の中で、急遽予定を2日早めた。
これで大衆の気持ちは大きく揺れるわ。『IMFは、本当は一刻も早く発表をしたかったんじゃないか。何らかの事情で発表が出来なかったんじゃないか』ってね。
もちろん大衆全てがそうではないし、金融のプロは騙されないでしょう。それでも良いのよ。都合よく3割程度の大衆がそう思ってさえくれれば、流れが出来るわ。しかも今日は土曜日で、世界中の金融マーケットが閉じている状態。評価はすぐには下されない」
「今のところは、君の読みが当たっていたわけだな?」
「そうよ、付け加えるなら今日の会見で発表される内容は、表面的なものに止まるはずよ。重要な情報は週明け以降に、関係筋からのリークという形で、小出しにされると思うわ」
「どのようにして発表のインパクトを弱めるかに、腐心しているという事か――」
「そう、それだけ内容がシビアだという事よ」
矢倉と玲子が話している内に、会見場には動きがあった。2人の人物がステージに上がっていった。IMFのナゼール・ブリュノー専務理事と、アメリカ政府のロバート・グレン財務長官だった。
ブリュノーが演台に立つと、一斉にカメラマンがストロボを焚いた。ひとしきりの光の明滅が止むのを待ち、ブリュノーのスピーチが始まった。母国語のフランス語にかぶせて、同時通訳の音声が入った。
「皆さん、お待たせしてすみませんでした。緊迫する世界経済については、さぞやご心配かと思います。我々IMFは昨年からずっと、世界に横たわる経済問題について、対応策を協議してきました。そして今日、その結論を皆さんに発表させていただきます。
まずは皆さんにご理解をいただきたい事があります。昨年12月にギリシャがデフォルトに陥り、今年1月にはそれがポルトガルに連鎖しました。
ご存知の通り、スペインも余談を許さぬ状況で、イタリアとアイルランドも予備軍です。
今取りざたされている国は一般的にPIIGSと呼ばれている国々です。しかしこれらの国が倒れると、トルコ、イギリス、ドバイもドミノ倒しの危険をはらみます。ルーマニア、ハンガリー、リトビア、エストニア、ラトビア、ウクライナも要注意です。
これら全ての国が倒れたらどうなるでしょう。世界中でドミノの連鎖は止まりません。
私たちはこの現象は、当事国だけの経済問題ではなく、資本主義経済の構造自体が曲がり角に来ているのだと考えています。
20世紀の後半より、世界的な金融資産は爆破的に増大しました。今や実体経済を大きく上回る金融資産が世界に溢れています。一国の経済危機は、もはやその国の中だけに止まることなく、恐ろしい速度と規模で、世界中に波及するでしょう。そのような時代の中に我々は生きているのです。
現在世界の全金融資産残高は、全GDPの3倍とも、4倍とも、5倍とも言われています。なぜこのように数字にぶれがあるのでしょうか。それは集計の仕方や、根拠となる学説により、予測値が異なっているからです。
しかし問題の本質は別のところにあります。色々な集計方法や学説が存在するという事は、言い換えればその実態を、誰も正確に理解できていないという事なのです。もしかするともう既に、全金融資産残高は、全GDPの10倍を超えているのかもしれません。
IMFはこのような事態を、ずっと以前から憂慮してきました。そして本日その対策となる、新しい提案を皆さんに行います。予め申し上げておきますが、その提案は、全ての問題を消し去る魔法の杖ではありません。むしろ大変な痛みを伴う、いばらのムチと言った方が良いものです。しかし、我々は敢えてその痛みを負わなければなりません」
ブリュノーがスピーチに一拍置くと、そこでまたカメラマンたちのストロボが一斉に光った。
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