第37話 挑発行為

「結城さんのお考えは良く分かりました。返事をさせていただくまで、少しだけ猶予をください。自分なりに考えを整理したいのです」

 矢倉は言った。結城の言葉は、嘘偽りのないものに思え、矢倉の気持ちは結城の提案に大きく傾いていたが、最後は玲子と相談したいと思っていた。

「もちろんです。あなたにとって、重要な事でしょうから、気の済むまでお考えになると良い」

 結城は全てを察しているとでも言うように、大きく頷いた。


 そのまま部屋を辞そうとした矢倉であったが、立ち上がろうとした瞬間に、ある考えが閃いた。

「結城さん、一つだけ聞きたいことがあります」

「なんでしょうか?」

「あなたは、作戦に搭乗員の家族の支援をするのが水睦社の役割だと言われた。とすれば搭乗員の名前も家族も、全て把握していらっしゃるという事ですね」

「もちろんです。搭乗員名簿がありますので」


「それでは、矢倉邦仁という名はご存知ありませんか?」

「矢倉邦仁さん――、ですか――。私の記憶にはありませんね。その人物はどのような方なのですか?」

「伊220の搭乗員だったかもしれない人物です。搭乗員名簿に名前は有りませんか?」

「ありませんね。伊220の搭乗員は49名。その全ての方のお名前は頭に入っています」

「名簿を見させていただく事はできますか?」

「よろしいですよ。お渡しすることはできませんがね」

 結城は内線電話で、伊220の搭乗員名簿を持ってくるように指示を出した。


 間もなく届けられたその用紙の綴りには、搭乗員の名前や住所と共に、配偶者、両親、子供の名が書かれていた。二代後まで面倒を見よという永野元帥の言葉が思い出された。

 一番先頭の欄はやはりというか、当然のごとく艦長の名前で、鍋島龍平と書かれていた。そう言えば小学校の同級生で鍋島竜助というやつがいたなと、妙な事を思い出したが、矢倉はすぐにいらぬことは考えるまいと思い直した。

 矢倉は次々とページをめくった。そしてめくり切った最後のページに、氏名不詳とかかれた欄があった。


「これは?」

 矢倉が訊くと、「ああ、それは資料の不備で、お名前が分からないんですよ」と結城は答えた。

 結城によると、伊220は出港の直前に、海龍改の本来の搭乗員が事故死してしまい、交代要員として、急遽大津島から回天の搭乗員を呼び寄せたのだそうだ。

しかし、その人物の記録は、どこにも残されていないと結城は言った。



――2018年3月9日、14時30分、ホワイトハウス、大統領執務室――


 ホワイトハウスの廊下に靴音が響き、大統領執務室のドアが勢いよく開いた。ブレイクが息を切らしてそこに立っていた。


「大統領、大変です」

「どうした、何があった?」

「あの潜水艦が現れました」

「あの潜水艦――、伊400型か?」

「そうです。大西洋上、ワシントンDCの真東400海里の場所に突如浮上しました」

「遂に来たか」とカワードは呟いた。

 IMFが3月12日――今日から3日後――に会見を開くと発表したのは、謎の潜水艦をおびき出す目的もあっての事だった。カワードの思惑は、ずばり当たったと言える。


「浮上の目的は?」

「分かりません。甲板でV2ミサイルの発射台を立ち上げて、一旦は発射体制をとりましたが、発射は行わずにそのままV2を収容し、海底に消えました。時間で言うと15分程の出来事です。これが衛星からの写真です」

 海上を映したその写真は、周囲に対象物が無いためにスケール感を伴わなかったが、中央には黒い威圧感のある潜水艦の姿があった。


「動画で表示させてみましょう」

 ブレイクが言った。

 執務室のローズウッドの壁面には、大型の高解像度モニターがはめ込まれており、ブレイクの操作によって、すぐにそこには映像が映った。


 潜水艦のブリッジ下部の扉が横開きして、前部甲板に6つの人影が現れると、それに続くようにV2ミサイルを乗せた台車が引き出されてきた。

 そして前部甲板の中ほどまで来る、とその台車は止まり、同時にV2をサイドから挟み込んだアームが起き上がって、V2をほぼ垂直な角度にまで立ち上げた。


 6名はV2のロケット噴射口や、アーム周辺に取りついて、点検作業らしき事を始め、やがてその内の一人がV2に梯子を立て掛けて登ると、上部の小さな点検口らしき四角い蓋を開けて中を覗き込んだ。そして下で見守る者達に合図を送ると、すぐに梯子を滑るようにして降りた。

 6名は初めに出てきたブリッジ下部に駆け戻り、横開きしていた扉が閉じた。


――10秒ほどの間合い――


 扉が再び開いて6名が駆け出してきた。そして起き上がっていたアームは徐々に横倒しになり、V2が完全に横向きになると、台車は再び移動してブリッジ下に消えた。6名の姿も同じくブリッジ下に吸い込まれた。

 もう一度扉が閉まり始めるのと同時に、潜水艦の両脇は波立ち始めた。扉が完全に閉まり切る頃には、潜水艦の喫水線は既に甲板すれすれのところに上がっており、スクリューが全速で回っているらしく、後部には2本の帯が見えた。

 やがて沈降速度を速めたその黒い船体は、見る見る間に海中に没していった。


 映像の下部に表示されたタイムラインを確認すると、ブレイクが言っていた通り15分強の間の出来事だった。

「こいつらは、一体何をやっていたんだ?」

 カワードが訊いた。

「分かりません。V2の不具合で点火ができず、そのまま回収して潜航したのでは?」

「もしも故障なら、二度目に甲板に出てきた際に、不具合箇所を特定しようとするだろう」

「急いで逃走を図ろうとしたのではないですか? 海上で時間を食っている間に、スクランブル発進した戦闘機が襲ってくることは容易に想像が付くはずです」


「どうも気に入らんな」

 カワードは腑に落ちないという表情を作った。

 やがてカワードは何かを思いついたように、ブレイクに言葉を投げた。

「ブリッジに人影が映っていたはずだ、そこだけを拡大してみてくれ」

 ブレイクの操作で画面がズームすると、そこに立つ人物がはっきりと映し出された。ひさしのある帽子をかぶっているために、顔は見えなかったが、その男は白っぽい半袖の服を着て、カーキ色のズボンを穿いていた。


「動画で流せ」

 カワードは言った。

 画面に映し出されたビデオ映像は、潜水艦のブリッジにズームして、そこにあるハッチが開くところから再生が始まった。ラッタルを登ってブリッジ上に出てきた男は、双眼鏡で周囲を見渡した後、船首側に合図を送り、じっとそのままその方向を見下ろしていた。

 画面がズームしているために表示はされていないが、男の視線の先では、V2の発射準備が行われているはずだ。


 しばらくその場面は続いた。画面中に映る人物は、時折首から下げたストップウォッチらしきものを手に取っている。画面下部のタイムラインの表示は、潜水艦が潜航を始めた時間を指した。

 画面外の甲板では、もうV2ミサイルの格納が終わり、扉が閉まった頃だ。そこでようやく、ブリッジ上の男が動き始めた。


 男は上空を見上げてゆっくりと右手を突き出した。人差し指と親指が立っており、人差し指の方は、カワードとブレイクが見つめる画面の中央に向かって、真っ直ぐに伸ばされていた。その行為はまるで、直上から軍事衛星が撮影しているのを見抜いているかのようだった。

 男は銃を撃つような仕草をし、そして口元だけでニヤリと笑った。


「この男、もしや……」

 カワードの声が怒りに震えはじめた。

「着ている服は軍服ではなく、ポロシャツのようですね。胸のところに、何かマークが入っています。更に拡大してみましょう」

 画面がズームすると、男の左胸が大写しになった。それは馬に乗っているポロプレイヤーの刺繍だった。

「ラルフローレンのようです」

 ブレイクが言った。

「こいつ――、間違いない――、これは我々に対する挑発だ――」


 カワードは執務机の上のインク瓶を手に取ると、眼前のモニター画面に映る男に向けて、思い切り投げつけた。



――第十章、終わり――

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