第36話 伊220

「初めて話を聞かれるのですからね。矢倉さんが驚かれるのも無理もありません」

 菅野が矢倉を気遣って、横から声を掛けた。「しかしここはしばらく、結城の話を聞いてやって下さい。まずは一通りの話を聞いていただかなければ、細かいご説明もできません」

 矢倉は菅野の言葉に、再び平静を取り戻して、結城に向き直った。


「ここからは、少し長くなります」

 そう前置きをして、結城は話し始めた。


「ナチスドイツは1943年2月のスターリングラードの敗退、同年5月の北アフリカ戦線での敗退以降、劣勢が明らかとなっていました。

 9月になると枢軸国の1つ、イタリアが降伏しています。年が明けて、占領下のフランスにも連合軍の影が迫る中、政権の中枢部で、第四帝国計画という一連のプランが動き始めました。指揮を執っていたのはマルチン・ボルマン。ヒトラーの側近中の側近です。


 ボルマンはスターリングラード敗退の時点で、早くもナチス第三帝国の敗戦を予測し、政権を維持するための準備を始めていました。具体的にはナチスの資産を南米に移し、そこを拠点として、新たに第四帝国を建国しようというものです。


 先ほど矢倉さんに申し上げた、ナチスから日本への要請とは、簡単に言うと、その第四帝国建国の手助けです。


 第四帝国についての詳細はお話できません。隠しているのではなく、我々もその詳細を知らないからです。

 蛇足ながら、終戦の翌年1946年にアメリカ軍を中心に、ハイジャンプ作戦という大規模な南極調査が行われましたが、詮索好きな人々の間では、それがナチスの第四帝国に関わるものではないかと言われているようです。

 最近の言葉でいうと、都市伝説というやつでしょうか。当然ながら、真偽の程は定かではありません。


 話を戻しましょう。零号作戦は当初、軍令部の中で議論にもなりませんでした。しかし日に日に戦局が悪化していく中、最悪の場合も想定して事を進めるべきと言う考えが浮上しました。軍令部総長であった、永野修身元帥がその中心人物です。


 自軍の劣勢が明確であるにも関わらず、上層部がそれを直視しようとせず、闇雲に、また場当たり的に戦力を消耗していく状況を憂いた永野元帥は、むざむざ兵を無駄死にさせるくらいなら、例え発想が荒唐無稽であろうとも、死中に活を求める第四帝国計画に賭けるとの英断を下されたのです。

 穿った見方をすれば、敗戦後の国体維持に向けての、保険のつもりでもあったかもしれません」


 結城はそこで話を区切り、軽く咳をした。そして「誰かにお茶を持って来させてくれ」と、菅野に指示をした。


「さて続きをお話ししましょう。当時ナチスドイツが日本に求めたのは、ドイツ本国およびその制圧下にあった、ポーランド、ルーマニア、ノルウェー、フランスなどから、軍需資金および戦略兵器を疎開させるための輸送協力です。

 先方の言う戦略兵器とは、報復兵器としてコードネームが与えられたもので、具体的にはV1、V2、V5の3つを指しました。当時はどれもナチスの最高機密で、日本がそのあらましを知ったのは、戦後のジャーナリズムと、アメリカからの情報提供によるものでした。


 V1とV2は有名なのでご存知でしょう。今でいうと巡航ミサイルと長距離弾道弾です。ナチスには他にもV3とV4という兵器もあったようですが、どちらも運ぶには規模が大き過ぎたようで、輸送依頼からは除外されています。

 因みに、V3は高圧ポンプ砲と言われるもので、射程距離が150㎞もあったそうです。V4はペーネミュンデ陸軍研究所が開発中だった重力兵器ではないかと言われています。


 そしてV5――。このV5だけは、未だに噂話にも上りません。全く正体の予想が付かない謎の兵器です。ナチスが指定した輸送先は、当時親ナチスであったアルゼンチンでした。恐らくはそこで、第四帝国を建国しようとしたのではないでしょうか。


 何故日本に輸送を依頼してきたのかと言えば、理由は明らかで、日本が世界で他に類を見ないほど、極めて優秀な潜水艦を保有していたからにほかなりません。

 制海権を失っていたナチスドイツにとっては、潜水艦は数少ない輸送手段の一つです。しかしドイツのUボートは、北大西洋内での通商破壊戦略を想定して設計されおり、小型であるがために積載量が乏しく、航続距離も十分ではありませんでした。そこで目を付けたのが、大型で航続距離の長い日本の伊号だったという訳です。


 永野元帥が招集した軍令部の極秘会議では、零号作戦に参加させる潜水艦は5艦と決定されました。最高機密という特性上、本作戦は正式な作戦計画としては記録さず、味方をも欺く必要があります。

 軍令部は艦長にのみ本当の作戦内容を伝えた上で、別の任務で行動中に艦が行方不明となるという方法で、艦を戦線から離脱させ、ドイツに送り出しました。

 当時は港を出ても戻ってこられない潜水艦が沢山あったので、それに紛れるという訳です。


 ただし5艦中の2艦はまだ建造中の艦でしたので、同じ方法はとれず、これらは建造中の事故により廃棄処分という処置になりました。


 永野元帥には作戦の執行にあたり、大きな気掛かりが有りました。それは潜水艦の搭乗員の身の上についてです。搭乗員たちは日本の地を離れた後は、作戦の性質上、二度と戻る事は許されません。それはもしかすると、死ぬよりもつらいことかもしれません。また同時にそれは、搭乗員の家族たちにも不幸を負わせることになります。


 建造中だった2艦の乗組員の場合は特に深刻です。彼らは戦地ではなく、日本の国内で忽然と姿を消した行方不明者になるのです。脱走者扱いとなる者も当然いるでしょう。

 閉鎖社会であった当時の日本では、その不名誉の誹りが家族に及ぶのは間違いありません。そして追い打ちを掛けるように、更なる不幸が待ち受けています。

 乗組員たちが戦死者として認定されないために、家族は国からの遺族年金が受け取れないのです。


 水睦社はその家族たちの支援を目的に、海軍機密費と永野元帥の私財を投じて設立された任意団体が起源です。作戦に身を投じた搭乗員の家族に対し、子と孫の二代に渡るまで経済支援を怠らぬこと。それが永野元帥の残された言葉です。


 零号作戦という作戦名は、自らの存在を抹消され無になる搭乗員の心情を酌み、永野元帥自らが命名されました。無は即ち永遠と同義であるという思いからの作戦名です。


 永野元帥は断腸の思いで、その零号作戦を1944年2月10日に発令され、その翌日に軍令部総長を辞任されました」


 結城はそこまで話終えると、事務員が届けてくれた熱い日本茶を一口すすった。


「次に零号作戦の推移をお話ししましょう」

 結城の話は更に続いた。

「この作戦に投入された潜水艦は、伊32号、伊12号、伊220号、伊404号、伊13号の順で、それぞれ零一号作戦から零五号作戦と命名されていました。

 伊32は1944年の3月に、マーシャル諸島での作戦行動中に行方不明。伊12も同じくマーシャル諸島で行方不明。伊13はトラック島への移動中に行方不明。


 伊404は日本海軍が誇る巨大潜水空母です。伊400型は7艦が建造予定でしたが、伊404号はその4番艦で、95%完成時点で呉にて空襲により大破沈没。終戦前に引上げて解体というのが公式な記録です。


 実際には伊404は魚雷発射管などの兵装を省く事で、工期を短縮し1945年3月に呉を出港しています。自沈したとされた場所には、別のドックで空襲を受け破損していた伊402と、伊405の船体と部品が沈められました。


 伊220は日本海軍の最新鋭艦でした。中型の実用艦、伊201型で培った技術を惜しみなく投入した、大型の水中高速型です。この艦は主力の呉海軍工廠ではなく、駆逐艦を得意とする舞鶴で、掃海艇と偽って秘密裡に建造されていたので、人目を避けて離脱するのは難しくはなかったようです。


 伊220も伊404と同様に、兵装は行われませんでした。魚雷装備を外せば貨物の積載量が、飛躍的に増やせるからです。その代わりと言っては語弊があるかもしれませんが、両艦ともに、艦外に海龍改という特殊潜航艇を装備していました。


 海龍改の原型となった海龍は2発の魚雷を積む小型潜水艦で、回天のような特攻兵器と違い、本来は繰り返し出撃が可能な艦です。しかし母艦が潜水艦であった場合だけは話が異なります。

 一度出撃した海龍は、もう母艦に戻る術がなく、出撃は即ち搭乗員の死を意味するのです。


 海龍改は搭乗員の命を最大限に活用するという目的のもとに海龍に手を加えたもので、本体にも高性能爆薬を積みました。2発の魚雷を発射した後は、自らも敵艦に体当たりをするという、言うなれば多弾頭の特攻兵器として改装されたものなのです。


 最後に矢倉さんの企画に話は戻ります。あの資料に付されていた写真は、伊220に間違いありません。艦の技術資料は敗戦時に焼却廃棄されていますが、水睦社には永野元帥より託された、造船段階の青焼きが残されています。

 独特の船首形状や司令塔の姿は、あの潜水艦が伊220であることを示しています。我々はあなたの写真を拝見し、特命を負って日本を後にした同胞たちの墓標を目の当たりにしたのです。


 日本は戦争に敗れましたが、幸いにも国体は維持することができました。最早、同胞たちに課せられた任務は解かれたと考えてもよろしいでしょう。

 同胞たちには母国日本に戻る権利がある。そして我々には、同胞たちの亡骸を日本の地に持ち帰り、弔う義務があると考えています。


 現在の豊かな日本は、同胞たちの決死の思いの上に築かれたもの。3億円などは惜しむ金額では無い、というのが私の考えです」


 結城は一通りの事を話し終えると、ほっとしたかのように、湯飲みに残っていた日本茶を一気に飲み干した。

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