第35話 社主と呼ばれた男
「おいおい、俺は金塊が積まれていた可能性があるとは、一言も言っていないぞ」
企画書を読み終えるなり、矢倉はすぐに口をひらいた。
「積まれている可能性はゼロでは無いでしょう? 実際、遣独潜水艦が2トンの金塊を運んでいたのは歴史上の事実よ。嘘をついている訳ではないわ」
矢倉の言葉を予想していたように、玲子はしたり顔で答えた。
「あまり期待を煽るのも、考え物だと思うがな」
「ものは言いようよ。わくわくする話でないと、目の肥えた視聴者はついてこないわよ」
玲子によると、既に彼女は古巣のTV局に根回しをしており、この企画書で1億5千万円くらいは出てきそうだとの事だった。マスコミ報道には流行のようなものがあって、時の政権に寄り添うように、右傾化と左傾化を繰り返しているものなのだそうだ。
今年は2年後に開催される東京オリンピックを控えて、ナショナリズムの台頭が予測され、軍記物に注目が集まると局内では踏んでいるらしい。
また偶然ながらその年は、局の大株主でもある老舗出版社が創立110周年を迎える年とも重なっており、記念事業を模索している同出版社が、相乗りしてきそうな感触もあると言った。5千万円くらいは協賛金を出してくれるのではないかと、玲子の元上司は読んでいるようだった。
2億は調達の目途が立つとして、それでもまだ足りない1億円については、企業スポンサーを募ろうと玲子は言った。靖国神社や東郷神社に毎年寄付や玉串料を収めている企業に当たって行けば、何とかなると彼女は思っているようだった。
翌日からすぐに矢倉の営業活動が始まった。矢倉の手元には、玲子が作成してくれた企業リストがあった。靖国神社、或いは東郷神社を継続的に支援している、年間売上10億円以上のオーナー系企業がそこにはまとめてあった。既に半分以上の会社にはアポイントが入れてあり、面会先の人物の肩書は、例外なく社長か会長だった。
矢倉は着慣れないスーツを身に着け、慣れない手つきでネクタイを結んだ。玲子が「面会先には必ずスーツで行くのよ」と、何度も念押しをしたからだ。
昼前に部屋を出た矢倉は、夕方に掛けて都内の3社を回った。慣れない企業訪問は気疲れがしたが、それでも幸いなことにオヤジキラーとして知られる、玲子の名前でアポイントが入っていたからだろう、会う相手の全てが好意的だった。
面会の際には、玲子の『どうぞ、よろしくお願いします。立本玲子』と手書きのメッセージの書かれた彼女の名刺を、自分の名刺と一緒に差し出した。
そして説明を終えて相手の元を立ち去る際には、「資金が目標額に達しました暁には、出資者の皆様に集まっていただいて、調査団の結成式を行います。もちろん、団長の立本も出席いたします」と殺し文句を添えた。
翌日にも矢倉は朝から3社を回り、一日置いて翌々日には2社を訪問した。玲子は矢倉の営業活動の間にも次々とアポイントを取ってくれて、遂にはA4ファイル3枚のリストの全てに面会の日付が入った。北海道から沖縄まで、合計で22社あった。
遠方の企業も含まれるために、アポイント先を一通り訪ねるのには、たっぷりと2週間以上掛かった。
最後の訪問先である沖縄から羽田に到着し、マンションに向かおうとしていた矢先だった。矢倉のスマートフォンに見慣れぬ番号から着信があった。
「矢倉さんのお電話ですか? こちらはスイボクシャの菅野と申します」
「スイボクシャ?」
「はい、水に、睦まじいと書いて、水睦社と申します。ある方から矢倉さんのお名前をお聞きして、お電話をさせていただきました。矢倉さんの企画の内容は既に承知しております。ぜひ一度お会いしたいのですが、当社まで御足労願えないでしょうか?」
水睦社という社名は、玲子のリストの中に入っていなかった。矢倉がこの2週間で出向いた会社のどこかが、関係先に話をしてくれたのだろう。電話の声は礼儀正しくて好感が持てたし、既にこちらの企画についても理解しているという。先方からわざわざ声が掛かるという事は、悪い話ではあるまい。
矢倉は明日なら伺えると言って、電話を切った。
――2018年3月3日、10時00分、東京、九段下――
菅野という男の告げた水睦社の所在地は九段下で、靖国神社の裏手だった。古ぼけた5階建てのビルで、うっすらと汚れが固着化したタイル張りの上に、社名を記したアルミ製の表札だけが、まるで新品のように輝いていたのが妙に印象的だった。
両開きのガラスの扉を開けてビルに入ると、入口脇には小さな受付カウンターがあり、その先の部屋にはスチールデスクが6つほど並んでいるのが見えた。カウンターの上に置かれた呼び鈴をチンと鳴らすと、奥から老人が現れた。
矢倉は自分の名を名乗って、訪問先である菅野の名を告げた。
ほどなくして階段を下りてくる足音が聞こえ、一人の男が現れた。
「矢倉さんですね。お呼び立てして申し訳ありません。どうぞこちらに」
男に促されるまま、すぐ脇の扉を入ると、そこには古ぼけた応接セットが置かれていた。
「昨日お電話いたしました菅野と申します」
男が差し出した名刺には、菅野慎也という名前と共に、合名会社・水睦社、総務部秘書課、課長という肩書が刷られていた。
菅野は、言葉使いは柔らかく礼儀正しいが、それとは裏腹に、目つきだけが妙に鋭く感じられる男だった。
菅野に促されて矢倉がソファーに腰かけると、菅野は自分の方から口を開いた。
「早速本題に入らせていただきます。企画書はもう読ませていただきました。メモリーカード内の静止画、動画も拝見しています。単刀直入に申し上げましょう。矢倉さんの企画に必要な費用は、全て当社からご提供したいと思っています。如何でしょうか?」
矢倉は驚いて、菅野の顔を見た。
「総費用3億円という事は、ご理解いただいた上でのお話しですか?」
「もちろんです」
矢倉には菅野の真意が計りかねた。
「願ってもないお申し出ですが、にわかには信じることができません。なぜ一度も会ったことの無い私に、3億円もの大金を出資しようと?」
「あなたが誰であろうと、我々には関係ありません。またあなたがどういう経緯であの潜水艦を発見したかについても、関心がありません。極論すればあなたの企画書にも興味が無いのです。メモリーカードに納められた静止画と動画が全てです。 あなただけがあの潜水艦の在処を知っていて、その場所に案内していただくために3億円が必要である。我々にとってはそれだけの理解です。投下した資金の回収は期待していません」
「あの潜水艦には、それだけの価値があると?」
「そう思っていただいて結構です」
「喜んでお受けすると言いたいところですが、その前にあなた達の目的を教えていただきたい。そもそも私は、水睦社が何をしている会社なのかも知らないのです。ご返事をするのはそれからにさせていただきたい」
「私たちの目的ですか――、どうお答えしたものか……」
菅野が思案しているところに、応接室のドアが開き、1人の男が部屋に入ってきた。
菅野はその男の姿を見て、「社主」と一言だけ声を発した。
社主と言われたその男は、もう80歳も近いと思われる老人で、矢倉に目礼するなり菅野に、「お話はまとまりましたか?」と訊いた。
菅野は立ち上がると男の側に歩み寄り、男の耳元で何かを囁いた。男は2度短く頷いた。
「矢倉さん、私は結城という者です」
男から差し出された名刺には、合名会社・水睦社、社主、結城政光と刷られていた。結城は言葉を続けた。
「あなたのおっしゃることは、ごもっともです。私たちは自分達の素性と目的をあなたにお伝えする義務があります。私は自分の責任においてお話をさせていただきます。ただ、事前に申し上げますが、水睦社は日本国が過去に負った、ある責務を遂行するために生まれた特殊な団体です。ここからの話は、国の機密事項であるとご理解ください」
結城は柔和な表情の中にどこか決意を秘めた目で矢倉を見据え、そして話し始めた。
「水睦社の起源は1944年、つまり昭和19年に遡ります。当時日本は太平洋戦争で劣勢を強いられていました。この年の秋には、神風特攻隊が編成され、人間魚雷の回天も出撃していきます。
そのような戦況の中、海軍内で零号作戦というものが立案されました。水睦社はこの零号作戦に従事する兵士の家族を、軍の外から支援するために設立された組織なのです」
「零号作戦ですか――、初耳ですね」
「当然です。当時の最高機密ですからね」
結城は淡々と言ったが、その表情は決然としており、矢倉は気押されるかのように、結城の次の言葉を待った。
「さて、その零号作戦の内容ですが、一般の方にはなかなか信じていただけないと思います。それは当時の同盟国であった、ナチスドイツからの要請に応えるためのものでした」
「ちょっと待ってください。今度はナチスですか」
矢倉は思わず声を上げて、両方の目を見開いた。
零号作戦――、ナチス――、不意の話の連続に、矢倉は戸惑うばかりだった。
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