第十章 水睦社
第34話 番組企画書
――2018年2月12日、14時00分、東京、飯田橋――
東京に戻った矢倉は玲子の紹介で、海洋軍事関係に強い
通された狭い応接室では、軍用艦船を扱う月刊誌の編集長と、その下で潜水艦を担当している若い編集者が対応してくれた。
矢倉はその場で、ポルトガルで撮影してきたビデオを見せた。2人は興味深げに画面を注視していたが、やがて両名とも首をかしげて、これまでに全く見たこともないタイプだと言った。彼らは沈没地点から考えて、もしそれが旧日本海軍のものならば、遣独潜水艦なのではないかと言った。
遣独潜水艦とは、レーダーやジェットエンジンなどのナチスの最新兵器の技術を入手するために、日本軍がドイツに派遣したもので、第5次までその作戦が実行されたのだそうだ。日本は技術を得る見返りとして、先方で不足していた戦略物資を送ったらしい。
海藍出版で得られた情報といえば僅かにそれだけであったが、帰り際に編集者が、専門家に会ってみてはどうかと言ってくれた。同社に潜水艦の記事を寄稿している、長岡という軍事研究家を紹介してくれると言う。
矢倉はすぐに長岡の自宅を訪れ、海藍出版の時と同じようにビデオを見せた。
長岡は興味深げにそれを見たが、やはり自分の知識の中には無い潜水艦だと言った。
遣独潜水艦の話もしてみたが、ビデオに映る潜水艦は、当時日本から派遣された伊号の何れでもないとの事だった。
長岡は旧日本海軍の潜水艦の中に、一つだけ形状が近いものがあると言って写真を見せてくれた。それは伊201型というタイプだった。
伊201型は水上航行よりも水中の方が高速な艦で、戦後の世界中の潜水艦に影響を与えたものだそうだ。ただし、伊201型が全長79mなのに対し、ミゲルが測定した潜水艦の全長は112.4mもあった。
長岡はビデオに映る潜水艦が、艦首側にも艦尾側にも魚雷発射管を装備していないことに触れ、当艦は恐らく輸送に特化した特殊な潜水艦なのだろうと推論した。 また長岡は、潜水艦の後部甲板にあった4つの爪は、人間魚雷回天を固定していたものに似ていると言った。長岡によれば回天は、母艦として改造された潜水艦の甲板上に固定されており、出撃時を命ぜられた特攻隊員は、連絡筒を通って母艦から乗り込んだのだという。
矢倉は不意に、ファロの地でカロリーナから聞かされた、オンダアルタの沖で見つかったという一人乗りの潜水艦の話を思い出した。何の確証があった訳ではないが、矢倉には祖父が狭い連絡筒を通って、その小さな潜水艦に乗る姿が見えるような気がした。
結局、長岡からもそれ以上の情報は得られず、依然として潜水艦の正体は分からないままであった。しかし矢倉は、休む間もなく次回調査の資金調達に向けて活動を開始した。矢倉が取った休暇はもう2か月間しか残っていなかった。
ポルトガル沖でもう一度調査を行うには、飽和潜水の設備を備えた海洋調査船が必要だ。そして飽和潜水にはダイバーを守るための法令がある。
法令の制限一杯は28日間。それをフルに潜るとして、前後の加圧、減圧の時間や、準備の時間を考えると、40日は船を押さえなければならない。
海洋調査船のチャーターには1日あたり150万円程掛かる上に、ライフサポートテクニシャンも必要だ。ルイスのようなベテランダイバーも雇わなければならない。
矢倉は2か月で2億円という試算をして、まずは銀行に融資を持ち掛けてみた。しかし当たり前のごとく、どこからも相手にされなかった。融資担当者からは、調査そのものに事業性が無いのだと言われた。
玲子に相談を持ち掛けたところ、TV局を巻き込んでみたらどうかと彼女は言った。
「海底に沈む謎の潜水艦――。結構良い題材だと思うわ。潜水調査自体をドキュメンタリー映像にして、その放映権をビジネスにしたらどうかしら?」それが玲子の回答だった。
「そんなものがビジネスになるのか?」
「それがなってしまうのが、TV業界の面白いところよ。例えばプロ野球の巨人戦だけど、TV局は日本野球機構にいくら払っていると思う?」
「見当がつかないよ」
「一試合につき1億円よ。もしも潜水艦のドキュメンタリーが、巨人戦と同じ2時間枠で、しかも倍の視聴率がとれるとしたら、それは2億円の価値があるという計算になるわ」
「巨人戦の2倍の視聴率か――、さすがにそこまでは無理だろう」
「放映権売買では、視聴率をコミットする必要はないのよ。目標の数字を達成できそうだという期待値があれば良いだけ。
だから番組の制作会社は、どうやって実質以上に付加価値を上げるかで知恵を絞るのよ。よくドキュメンタリーや報道特番に、場違いなアイドルが登場するのはそれが理由よ。
商材になるものは放映権だけじゃなく、DVD化権、映画化権、出版権もあるし、歴史的に意義のある調査なら、協賛企業を募る事もできるわ」
「君の話を聞いていると、なんとかなりそうな気がしてくるよ」
「少し時間を頂戴。私なりに事業を組み立ててみるわ」
「頼むよ」矢倉は、とにかく玲子の案に乗ってみようと思った。
玲子が矢倉の部屋を訪れたのはそれからすぐの事だった。企画書が出来たので見て欲しいという事だった。
「もう出来たのか、早かったな」
「もう局アナではなく、フリーの立場ですからね。企画の早さも仕事の内よ」
「早速、見させてもらおうか」
「その前に確認をしたいんだけど、あなたが潜水艦の沈没地点を知った理由――、つまりあなたのおじい様の手紙には触れない方が良いんでしょう?」
「そうだな、あの潜水艦に関わりのあった、旧日本海軍の関係者が今も存命である可能性があるしな。祖父の手紙の内容が知れると、予想もしない問題に発展するかもしれない。やはり偶然発見されたことにしてもらえるか?」
「残念ね。発見の経緯について触れることができたら、ドキュメンタリーとしての厚みが増すし、番組が構成しやいのだけど――」
「すまないな」
矢倉は詫びた。
「これはあなたから預かった資料を元に構成したものよ」
玲子はそう言って、クリップ留めしたA4用紙数枚のファイルを矢倉に手渡した。矢倉はそのページをめくった。
『遥かなる眠り(仮題) ~ポルトガル沖に沈む、旧日本海軍の謎の潜水艦~』
【構成】二時間スペシャル前篇、後篇
【制作】オフィス立本
【メインキャスター】立本玲子
【概要】
ポルトガル沖で偶然に発見された未知の潜水艦。それは第二次世界大戦末期に海底に沈んだものと思われ、驚くべきことに、全くの無傷で、外部から攻撃を受けた形跡がなかった。
艦の全長は112.4m、全幅が12.3m。当時この大きさの外洋型潜水艦を保有していたのは日本のみである。潜水艦は日本の伊号であったのだろうか?
本企画は潜水艦の謎に挑む男達を同行取材するもので、歴史的遺物の発掘であると共に、人類の記憶から風化しつつある、第二次世界大戦の教訓を呼び覚ます過去への旅でもある。
水深70mの海底に、決死の覚悟で挑むダイバーの行動を縦軸とし、横軸で当時の日本軍および連合国側の作戦記録を調査し、時代背景と共に、開戦から終戦までを俯瞰する。
【特記事項】
1.本艦は旧帝国海軍がドイツに派遣した、遣独潜水艦の一つであったと予想さ
れ、そこには金塊が積載されていた可能性が高い。本企画は手堅い視聴率を獲 得できる、トレジャーハンティング番組の要素を多分に含むものである。
(参考データ)
第5次遣独潜水艦としてドイツに赴いた伊52号には、技術供与の対価とし
て、金2トンが積載された。現在の価値に直すと180億円である。
2.本艦は艦首に特徴的な形状を持つことから、水中での高速航行を実現した当時 の最新鋭艦であったと思われる。
旧帝国海軍の記録にも残されず、極秘裏に建造されたとみられる本艦は、歴史 的価値が高く、またミステリー的要素に満ちた素材と言える。
本企画は、軍事マニアや戦記マニアに止まらず、歴史愛好者にも訴求するもの と確信している。
(参考データ)
旧日本海軍が終戦間際に開発した伊201型は、水上走行よりも潜航時の方が 高速な、画期的な艦であった。伊201型の技術は、戦後世界中の潜水艦に影 響を与え、日本の造船技術の高さを証明するものとなっている。
【制作期間】着手より6か月間(内、潜水調査期間2か月)
【必要資金】3億円(調査費、取材費、編集費)
【予算内訳】2億円-潜水調査費(調査船チャーター費を含む)
3千万円‐同行撮影費、機材費
2千万円‐取材費、資料調査費
1千万円‐編集費
3千万円‐番組制作費、スタジオ費、ゲスト出演費
1千万円‐その他、予備費
【別添資料】メモリーカード1枚(静止画、動画)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます