第23話  漢数字の三と悲しい歴史

恋焦がれる人に会えない時間が、気が遠くなるほど長い時間に感じることを、

日本語で「一日千秋いちじつせんしゅう」などと言います。

中国語では、「一日不見イーリーブージエン如隔三秋ルウグーサンチウ」という言いまわしをします。


日本語では千の秋なのに、中国語では三の秋となっています。

この場合の「三秋」は決して、三年間の秋を意味しているわけではありません。

もしかしたら千年以上かも知れない、とてつもなく長い時間を意味しています。


中国語で「三」と言う数字は、とにかくたくさんの数を表現するときに使います。

英語で言うと、manyではなくmuchという感じの数です。

「森」という漢字を思い出してください。

木が三つ集まると「森」になりますが、森は決して、木が三本しか生えていないわけではありません。数え切れないほど多くの木が集まって初めて、森になります。


論語の曾子曰く、「吾日三省吾身」(われ日に吾が身を三省す)、も同様です。

「私は一日に三回、我が身を省みる」、という訳は間違いで、

私は一日に何度も何度も我が身を省みて、反省しっぱなしである、というのが正確な訳です。


中国語では、大袈裟に数字を盛る時に「三」を使用します。

その代表格が、詩人の李白です。代表的な二首を紹介します。



秋浦歌しゅうほのうた其十五


白髪三千丈

縁愁似箇長

不知明鏡裏

何処得秋霜


白髪はくはつ三千丈、

愁いにりてくのごとく長し。

知らず明鏡めいきょううち

いづれのところより秋霜しゅうそうたる




望廬山瀑布 


日照香炉生紫煙

遥看瀑布挂前川

飛流直下三千尺

疑是銀河落九天


廬山ろざん瀑布ばくふを望む 


日は香炉こうろを照らして紫煙しえんを生ず、

遥かに瀑布ばくふ前川ぜんせんかるを。

飛流直下ひりゅうちょっか 三千尺さんぜんじゃく

うたごうらくはれ銀河の九天きゅうてんより落つるかと



白髪が三千丈(約9キロ)も伸びるわけがありません。

廬山の滝も三千尺(約1000メートル)もありません。

とにかくダイナミックに数字を表現する際は、三という数字を用いるのです。


日本と中国の間には悲しい歴史が横たわってます。

日本人が中国に長くいると、政治がらみでどうしても気まずい思いや、

不愉快な思いをする時があります。

たとえば日本の首相が靖国神社に参拝する、もしくは領海問題など、

日本との関係が危うくなるような刺激的なニュースが誌面をにぎわすと、

中国人の友人とよく議論になりました。

「かつて日本軍が南京で何をしたのかを知っているのか?

三十万人もの同胞を虐殺したのに、日本政府は認めずに歴史を歪曲しようとしているではないか」、というような事を言われる時もあります。


もちろん、日本軍が中国を侵略したのはまぎれもない事実ですし、

多くの命を奪い、あらゆる残酷な行為をして、中国のみならず東アジア諸国の皆々様を苦しめたことは、日本の歴史の教科書にも書いてある事実です。深い反省があったからこそ、戦後の日本は世界平和に大きく貢献してきたはずです。

しかしながら、三十万人という南京での犠牲者の具体的な数字に関しては諸説あり、日本政府としても中国政府の発表した数字を鵜呑みにするわけにはいきません。

私は個人的に、李白のいうところの十万であってほしいと思います。


中国では毎日のように、抗戦片カンジャンピエンと呼ばれる、

抗日戦争ドラマが、くりかえし放送されています。

わかりやすい勧善懲悪の時代劇。もはや国民的娯楽です。

歴史は決して善と悪だけで割り切れるような、単純な物語ストーリーではありません。

だからこそ非物語HISTORYと呼ぶのでしょうか。


                      合掌      



















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