第11話 熱血のレクイエム

平成26年8月28日。

父、中島徳博が家族に囲まれ、安らかに逝きました。

良い父親だったかどうかはともかく、

彼は中島徳博のように生きて、中島徳博のように死にました。

ボストンバッグ一つで鹿児島から上京し、 紙とペンだけで、曲がりなりにも子供四人を育てあげたのだから、上出来な一生でした。

 

横浜市は人口が多く、高齢化社会の影響からか斎場が混んでおり、父のお通夜はなんと死後一週間もあとの9月4日になりました。

それまで父の亡骸なきがらは、ドライアイス漬けにされて我が家に安置されました。


【三人の弔問客】

 8月31日、中島家の前に一台の黒塗りのハイヤーが停まりました。降り立ったのは、「仁ーJINー」、「六三四の剣」、「龍ーRONー」などで知られる漫画家、村上もとか先生ご夫婦と、集英社の鈴木晴彦取締役の計三人。どでかい花束を持って、わざわざ父に線香をあげに来てくださいました。

その前日の30日の夜、「聖闘士星矢」の作者、車田正美先生がふらっと我が家に来てお線香をあげてくれました。車田正美先生が鈴木晴彦取締役に父の訃報を連絡してくださったようです。


幼すぎて私は覚えていませんが、村上もとか先生はかつて、父の仕事のお手伝いをしてくださった時期があり、鈴木晴彦取締役は昔、仕事で我が家に来たことがあったらしいです。


漫画家の女房というのは、住み込みのアシスタントたちに食事を作ったり、身の回りのお世話をする、いわば相撲部屋のおかみさんのような役回りです。締め切り前の仕事場は野戦病院のごとく修羅場になります。

この日、弔問に訪れた村上もとか先生ご夫婦と鈴木晴彦取締役は、母と思い出話に花を咲かせておりました。

 鈴木晴彦取締役はこう語りました。

「熱血少年漫画に女性ファンを連れてきたのはまちがいなく中島先生から。漫画のキャラクターに女の子がファンレターを書くなんていうのは、中島先生から始まった。それが車田正美先生に受け継がれて同人誌に発展していったんだよね。車田正美先生はもともとあまり酒が飲めなかった、飲めるようになったのは中島先生のせい(笑)。アストロ球団は今だったら、絶対アニメ化してたよね。当時、漫画は漫画、アニメはアニメという考えだったから。

鳥嶋さん(※)からだね。漫画がアニメ化をしたりメディアミックスするようになったのは。」


※鳥嶋和彦…かつての鳥山明先生の担当編集者、「ドクタースランプ」の中で登場する「ドクターマシリト」のモデル。第6代週刊少年ジャンプ編集長。


村上もとか先生も父との思い出をふりかえります。

「締め切り前に原稿を仕上げていたら、一升瓶が回ってくるわけ。中島さんが飲めって。飲んだらアドレナリンが出て、不思議と描けるんだよなあ。編集者と中島さんはもう、ケンカしながら打ち合わせしてるの。打ち合わせってなると中島さんはなぜか服を脱ぐんだよね(笑)胸毛丸出しで。」


「その時、編集者はどうしてたんですか?」と聞くと、


「編集者も脱いでたよ(笑)ああ、漫画っていうのはここまでやって作るもんなんだと、中島さんから学ばせてもらいました。」


 【ふたりのまんが道】

父の代表作、「アストロ球団」の担当編集者は後藤広喜さん。

父は1950年生まれの鹿児島県人、後藤さんは1945年生まれの山形県人。野武士みたいな新人漫画家を、文学青年みたいな新米編集者が鍛えることになりました。漫画家と編集者のコンビ関係は一蓮托生。漫画家が馬なら、編集者が騎手。作品のためなら、遠慮なく愛のムチが飛ぶ。父は母の見ている前でも後藤さんに手をあげられた事があります。

父は後藤さんを「いつかぶっ殺してやる」、と恨んだことも一度や二度ではありません。でも心の底ではいつも、後藤さんに感謝し尊敬していました。父は自分の作品で結果を出して、後藤さんの出世に貢献したい気持ちを誰よりも持っていました。後藤さんは後藤さんで、父を売れっ子にして、母に楽をさせてやりたいと思っていました。実際、私の姉が生まれた時、原稿料を上げるよう、後藤さんが長野編集長に直談判してくださいました。二人の間にはストロングコーヒーのような、ほろ苦くて濃い友情が存在します。でも仕事は仕事です。おたがい、作品のために絶対にゆずれない部分があります。

北から来た男の知性と南から来た男の感性の衝突。二人が火花散る激しい衝突を繰りかえすほどに「アストロ球団」という作品は、狂気と迫力を増して、取り返しのつかないほどに加速していくのです。

 嘘のような本当の話。

父は二度と原稿を遅らせないことを編集長に誓い、自らの指先を切って、血判状を作ったこともあります。ぬるい馴れ合いなんか通じない。お涙頂戴の浪花節の演歌を通り越して、すでに軍歌の世界。

原稿が遅いのは、父も後藤さんも一切の妥協をしないから。

締め切りタイムリミットギリギリの瀬戸際。ハイヤーを5台ほど用意し、

原稿が一枚仕上がったら、急いで運転手に一枚の原稿を渡し、

印刷会社へ飛ばします。

アストロ球団は、「野球のためにここまでするか」という漫画ですが、それを作る漫画家と編集者も「漫画のためにここまでするか」というコンビでした。アストロ球団のモットーである「一試合完全燃焼」は漫画の世界だけにとどまりません。二人の生き方そのもののテーマでもあったのです。鈴木晴彦取締役はこう言いました。

「あの時代にあそこまでやっていたから、今があるよね」


病床にあった父は、日に日に意識が朦朧としてきました。

「意識がはっきりしているうちに、誰に会っておきたい?」と、母は父に聞きました。

死期を悟った父が最後に会いたがったのは、実の子供たちでも孫でもなく、他でもない後藤広喜さんでした。



 

【古き良き少年ジャンプの少年時代】

基本的人権もコンプライアンスもへったくれもない、古き良きモーレツな時代。

いまや超一流企業、天下の集英社。週刊少年ジャンプのピークは1995年の発行部数653万部。雑誌発行部数世界一としてギネスブックに登録。

 

昭和40年代、黎明期の集英社は決して大手ではありませんでした。

少年ジャンプ編集部は神保町の雑居ビルの7階にあり、夏にむし暑くなれば、編集者たちは水を張った洗面器に足をつけて涼んでいたといいます。


とてもカタギには見えない、アウトローのようなツラがまえの編集者たちが、

喫茶店「きゃんどる」でたむろして、やけに苦いコーヒーか煎茶をすすっていました。昼夜問わずサングラスを外さない男が文字通り、色眼鏡でこの世界をやぶにらみしていました。

 その頃、父と母は小田急線の千歳船橋にある、家賃14,500円の風呂なし、トイレ共同のアパートで、南こうせつの「神田川」そのままの新婚生活を送っていました。近所にある一杯70円のラーメン屋、「幸喜」の大将が出前に行くついでに父と母の住むアパートに立ち寄り、こう告げます。

「集英社の後藤さんから電話があったよー。連絡ほしいってー。」

父は小銭を持って、つっかけサンダルを履いて真っ赤な公衆電話までひた走ります。携帯電話もポケベルもファックスもあるわけない。そんなのどかな時代の集英社。少年ジャンプの少年時代。

 金が無かったから知恵を出し、知恵が無かったら汗と血と涙を出した。

破天荒こそ男の美徳という時代。

「前例が無い?じゃあやれ」、という気概。歴史のない少年ジャンプが生き残るには、ゲリラ戦しかない。小学館のサンデーがなにするものぞ。講談社のマガジンがなんぼのもんじゃい。

父はそんな時代の最前線にいました。 人気がなければすぐに連載打ち切り。

出し惜しみしている余裕なんてない。

毎週が背水の陣。今週に全力で描かなかったら、来週に死刑宣告。

描くか死か。やるかやられるか。

「敗北者にゃ歴史はつくれねえ!」(アストロ球団 宇野球一)


 漫画を取ったら何も残らないおとこが、たぎる血潮をインクに変えて、がむしゃらに命を削って描いていた。だから原稿に体温が宿る。

父の代表作、「アストロ球団」に登場する「バロン森」という人物の台詞が、父の世界観によく似合う。バロン森は、おねえキャラゆえに、ある意味で男よりも男の美学を理解しています。

「花も咲かない荒野で戦い…血を流し死んでいくのね!男の描く絵って殺風景だわ でもその中にねだんのつけられないほど 高価な生き方があるのよ!」


 編集者の後藤広喜さんはその後、少年ジャンプの4代目の編集長になりました。父と後藤さんのエピソードは、今でも語り草になっています。そんな後藤さんが父の葬儀では弔辞を読んでくださいました。

葬儀に参列していただいた父の古い友人の方々は、漫画界のレジェンドたちです。父のお通夜はまるで同窓会のような雰囲気で、なつかしい昔話で盛り上がっておりました。何よりの供養になったと思います。

 

【熱血のレクイエム】

あのころ、みんな若かった。滑稽なほど真剣だった。金も知恵もなく、ほとばしるような情熱だけがあった。

父が病室で息を引き取る間際、老いた母は泣きじゃくりながら、

意識の無い父の耳元にこう呼びかけました。

「お父さーん。良い時代だったよねえ。」

母も父と同じ時代を生き抜いた、戦友でもあるのです。


平成26年8月28日午後4時すぎ。

ひとしずくの涙を流し、父は安らかに人生最後の一呼吸を終えました。

医師による死亡確認の後も、私はベッドに横たわる父の体をさすっていました。抗がん剤の副作用で禿げ上がった頭や点滴でむくんだ手をさすり続けました。父の体には死後、数時間経っても、体温のぬくもりがありました。


「お母さん、お父さんの体がまだあったかいよ。」と私が言うと、

涙と鼻水でくしゃくしゃの母はこう言いました。


「それはお父さんが、熱血だからよ。」 



                  合掌

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