第10話 ゴーストライターの極意

おかげさまで本連載も第10回になりました。

このコラムをお読みいただいた方々から、身に余るようなお褒めのお言葉や励ましのお言葉を頂戴することもあり、大変ありがたく存じます。

しかし一方で、不肖中島の、普段のいいかげんな人となりをよくご存知の諸大徳からは、冗談まじりに「あの文章を書いているのはお前ちゃうやろ。ゴーストライターちゃうんか」というご指摘をいただくこともあります。そこで今回はゴーストライターについてお話しをしたいと思います。

仕事や趣味で文章を発表させていただくことがありますが、書いた文章を自分で読み返してみて、(我ながらよく書けているなあ)、という自画自賛の気持ちで読める文章は、実はそれほど良い文章とは言えません。では、どういう文章が本当に良い文章かといえば、自分で読み返してみて、(こんな文章、本当に自分が書いたのかなあ。この発想は、どうやって思いついたのかなあ。確かに自分で書いたはずなんだけどなあ)、というように、ふりかえってみて、自分で書いた実感が不確かな文章こそが、本当に良い文章です。


 (父の教え)

私の父は昭和40年代から50年代にかけて、「週刊少年ジャンプ」誌上などで作品を連載していた漫画家でした。


「アストロ球団」、「朝太郎伝」に代表される父の作風は、豪快無比にして奇想天外。常軌を逸した「ど根性」。心臓をわしづかみにするような迫力は、多くの少年少女たちの人格形成に影響をあたえるほどのインパクトがありました。父は漫画家としての活動期間がとても短いのですが、デビューから40年以上経った今でも、父の作品を熱烈に支持する読者は少なくありません。


子供の頃、父と、代表作「アストロ球団」の話になりました。「アストロ球団」に出てくる主人公たちは昭和29年(1954年)の9月9日生まれで、体のどこかに野球ボールの形のアザを持って生まれた九人の野球超人たちです。とても野球の試合とは思えないほど、激しい死闘を繰り広げます。父の作品は家に売るほど置いてあったので、よく読んでいました。 私が父に「あそこのシーンで、カミソリの竜がああいうセリフを言ったでしょ」と、作品に関する質問をしてみても、父は「そうだったっけなあ、もう忘れちゃったよ。」と、まるで他人事のような返答をすることが度々ありました。なんで父は自分の作品をあんまり覚えていないのだろう、読者の方が作者よりよっぽど作品に詳しい。きっと本人が描いたのではなく、アシスタントにでも描かせたのではないか、と疑ったこともありましたが、そうではないことが最近、おぼろげながら理解できました。

父はよく、「キャラが動く」という表現をしていました。どういうことかと言いますと、父が漫画のキャラクターを動かしているのではなく、漫画のキャラクターたちが、父の腕を動かし、ペンを借りて、勝手に飛んだり跳ねたり、しゃべったりするという意味です。自分の脳味噌で作品をコントロールしているうちはまだ浅く、作品に自分がつき動かされるレベルにならないと本物ではないという事です。一種の憑依状態ですから、ある意味、自分の中にいるゴーストライターに描かせているといっても過言ではないわけで、だからこそ、無我夢中の本人はよく覚えていない、という結果になるのです。タレントの伊集院光さんと父が作品について対談した際、父は自分の描いた漫画の人物が怪我をしたら、その部分の肉体が痛くなる、と話していたそうです。


(芸術の神髄)

 イタリアの偉大な芸術家、かのミケランジェロはこう言ったそうです。

「大理石の中には天使が見える、そして彼を自由にさせてあげるまで彫るのだ」

彫刻家が大理石を削って天使の形に彫るのではなく、大理石に隠れている天使が彫刻家に彫らせているのです。

文学もまた然り。 人が言葉を選ぶのではなく、言葉が人を選ぶ。 言葉そのものに生命が宿れば、言霊になります。 千言万語の言霊に身を委ね、彼らとワルツを踊るように文章を書く。 その感覚を体得できれば、皆様にもうちょっとマシなものをお見せできるはずなのですが、「良いものを書こう」という色気があるうちは、筆も鈍。お釈迦さまの掌の上を飛びまわる孫悟空に過ぎません。

「夫れ仏法、遥かにあらず、心中にして即ち近し」 真理、あるいは極意はいつも、水面に映る月が如く、近くて遠くにあるのです。


(月に想いを)

2014年9月8日の中秋節。日本人は月見だんごをいただいて満月を愛でますが、中国人は月餅をいただいて満月を愛でます。

お大師さまより少し早い時代の遣唐使、阿倍仲麻呂は、唐の国で月を見て一句、詠みました。


あまの原 ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に出でし月かも

                    (『古今和歌集』)


唐の詩人、李白もまた、月を見て故郷を思い、詩を詠っています。



床前明月光 疑是地上霜 挙頭望明月 低頭思故郷 (「静夜思」)


床前しょうぜん明月の光 疑うらくは是れ 地上の霜かと こうべを挙げては 明月を望み 頭をれては 故郷を思う


西洋では狼男の怪談が示すように、ルナといえば、人を惑わす「あやかしの月」のイメージもあり、必ずしも吉祥の象徴とは限りません。しかし東アジアにおいて、月は人に郷愁の念を抱かせ、どこかで同じ月を見ているであろう家族を想い、人をセンチメンタルな詩人にさせる舞台装置です。

第10回の本稿を、第9回までは欠かさずに読んでくださった父、徳博に捧げます。結局、お褒めのお言葉を頂戴することこそ叶いませんでしたが、ご愛読ありがとうございました。2014年9月9日、あなたの生んだ、「アストロ球団」の超人たちはちょうど還暦を迎えました。あなたの肉体は滅んでも、作品に出てくる熱血漢たちには今もなお、あなたの体温があります。

合掌



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