第8話 美しい国


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「新~!」

 次の日の朝、休み時間だというのに、佳純がやってきて、抱きつかれた。

「い、痛いです。先輩」

「だって、冬華に続いて君までいなくなったら、どうしようかと……この一週間本当に心配したんだから!」

「ち、ちょっと風邪をひいていただけですよ」

 自分でも苦し紛れの言い訳だとは分かっていたが、仕方ない。

「そういうときはちゃんと連絡してよね。部員の務めなんだから!」

「は、はい……」

 連絡が取れなかったとは言えまい。

「じゃあ、私帰るからまた…………」

 教室のドアを向いた佳純は急に固まった。

「どうしたんですか? 先輩、何かありましたか?」

「夢かしら……見てよ、霧峰くん」

「なんだって、そんな……

 新は目を疑った。とりあえず、自身の頬をつねった。痛い。夢じゃない。

 教室に入ってきたのは、蛍だった。


       2


『放課後の四時、西館の空き教室で』

 新が蛍を問い詰めても、返ってきたのはそれだけだった。まるで、下駄箱に入っている手紙のような短いセリフだ。

 そして、現在時刻、午後四時、西館空き教室。オレンジ色の光が窓から差し込んでいた。外からは運動部の威勢の良い声が聞こえる。

「やあ、お久しぶり。いや、一日ぶりだな」

 待っていたのは冬華を見ていた医師だった。

「てっきり、蛍かと思いましたよ。まあ、今会うのも気まずいですが……」

「現在、彼女はとても不安定な状態だからね。冷静ではない。今日は君に頼みがあって来たんだ」

「……頼み?」

「彼女のことだ。今日、学校に来ただろう?」

「ええ……まあ。それに、普通の冬華でした。俺たちの知っている冬華でした」

「やはり……そうか」

「正直、怒りが湧きましたよ。また、誑かしているのかって……」

「許してやってくれ。彼女に悪気があるわけではない」

「……どういうことですか?」

 医師は時計をちらりと見た。

「まだ、時間はあるようだね……少し、お話をしよう」

 医師は椅子に座り直した。目はしっかりと新の方を向いている。

「……彼女は軍人として育成された。そして、その中でもトップだ。今や、あの機体を正確に操縦できるのは彼女しかいない。しかし、それとは対照的に彼女の精神は非常に脆かった。だが、私達は彼女を必要としていた。何度も……マインドコントロールをし続けた。しかし、ついに彼女は崩壊してしまった。二つの精神に分離してしまったのだよ」

「……」

「君たちが冬華と呼ぶ彼女は、彼女自身の安定剤なのだ。冬華としてしばらく過ごすことによって、主人格――蛍の方は生きていられる。普段の彼女は冬華として生きながらも、常に蛍に意識を切り替えることができる。しかし、ストレスが過剰になってしまうと、完全に冬華へ切り替わってしまうようなのだ。最近の研究で分かったのだがね」

「俺たちと暮らしていた時の蛍は……」

「完全に冬華へと人格が切り替わっていた。もちろん、潜在意識では蛍も残っていただろうが……」

「……」

「そして、そこで私たちは考えた。時々、学校で冬華として過ごしてもらい、ストレスを発散させる。そして、軍隊では蛍として過ごしてもらおうと、ね」

 医師の声のトーンが上がった。意気揚々と話しているのがはっきりと分かる

「蛍はそのことをどう思っているのですか……?」

「彼女? 彼女は了承してくれたよ。本来の蛍はとても従順な子供なんだ。」

 医師は得意げに語る。新にとってその言葉は紛い物のように思えた。

「で、でも、その話だと深層心理は……」

「嫌がっているだろうね。間違いなく」

「……じゃあ、冬華ではなく、蛍としてこの学校にいさせてあげても……」

 急に医師の表情が硬くなった。

「もうすぐ、北が攻めてくる」

「……!」

 あまりの言葉に耳を疑いたくなる。今まで虚構だと思っていたこと――この国は戦争状態という事実が急激に現実として去来する。

「……確かな情報だ。間違いはない。そして、第一目標は……この神敷町だ」

 前線基地があるこの町は第一目標だと子供のころから聞かされていた。しかし、もう戦争から五十年も経った。戦争時代を知る人も、もう少ない。それなのに……

「分かってくれたか? 新君。蛍は確かに可哀そうな子供だ……でも、それが運命なんだ。仕方ない」

「……分かりました」

「頼みというのは簡単なことだ。蛍と仲良くしてやってほしい。仲よくすることで、軍隊で活動でき、蛍を戦線へ送ることができる」

 医師は淡泊に言い放った。戦線……それはつまり、蛍を死に場所に送る、ということだ。俺たちにその片棒を担げ、と言っているのだ。

「そんなの……できるわけが」

 いくら、軍人だからってあんまりだろう……そこまで嫌がっているんだぞ……

「やるんだ。君もこの街を守りたいだろう……? 個人主義と全体主義で良く議論されるが、個人主義というのは結局理想だ。現実は、一人の犠牲で済むなら、それが一番に決まっているだろう。分かるだろう?」

 最後の質問に新は答えることができなかった。ただ、部活の声と共に、軍機が一台飛び立つ音が聞こえた。基地の町を表す大きな音だった。


         3


「今日は新くんと冬華ちゃんが帰ってきた記念日よ! よってパーティー!」

 五時ごろ、新聞部の部室でパーティーが開かれた。よく考えれば、メンバー全員が集まるのは冬華が消えて以来のことであった。

「どうしたの? まだ、体調すぐれない?」

「いや、そういうわけじゃないですけれど……」

 こういう楽しいイベントも蛍の死に繋がると思うと、なんだか胃が重くなってくる。

「新さん、元気出していきましょう!」

 と軽やかに冬華が話しかけてくる。とても、楽しそうだ。

「ちょっと、風に当たってくるわ……」

 新はそう言って、西館から一度出た。



 秋の夜長とはよく言ったもので、体を駆け抜けていく風は固まった身をほぐしてくれるようだった。

頭上には、満月が煌々と輝いている。

タタタと、かわいい足音が背後から聞こえた。

「どうしましたか? 元気じゃないようですけれど……」

 隣にいたのは冬華だった。

「いや、なんでもないよ。こういう景色もいいなあと思って」

 新はそう言って、校庭を見渡した。澄み切った空気が冬の訪れを伝えている。

「迷惑かけてごめんなさい。私、連れ去られた後の記憶がなくて……一生懸命探してくれていたのですよね」

 にこやかな表情で新に話しかける。冬華の記憶は蛍に共有されるが、蛍の記憶は冬華に共有されないらしい。主人格かどうかの違いであろうか。

「そうだね……一生懸命探したよ。君を」

 結局、冬華を見つけることはできなかったけれど……

「ありがとうございます! もう本当に嬉しいです。新さんいつも優しいですよね」

 数秒間の間があった。

「あの……新さん、今日は……」

「ん?」

 冬華の頬は紅潮していた。目を虚ろに動き続けている。

「月が綺麗ですよね……」

「……! それってどういう……」

「わ、わたし、新さんのことが好きです。」

 嬉しかった。体の奥底が温まった気がした。俺も好きだとすぐに言いたかった。でも、言ってしまったら、どうなるだろうか? 冬華と楽しい時間を過ごしたら、どうなるだろうか? きっと、彼女の死は近づく。仲よくしないのがこの子が幸せに生きる道なのだ――そんなどうしようもない事実に心が痛くなる。そのときは、神敷町のことなんて考えていなかった。ただ、冬華のことだけを考えていた。

「ごめん……君とは無理なんだ」

 そのときの冬華の表情を俺は二度と忘れなれないだろう。

 彼女は泣いていた。

「そうですよね……頼りない私なんて。すみません。ありがとうございました……」

 タタタと冬華は走り去っていった。



 数日が過ぎた。温かさはすっかり鳴りを潜め、木々の紅葉も日に日に強くなる。

 あれ以来、冬華とは気まずいままだ。ただ、それが功をそうしたのか、冬華は良く学校に来ていた。つまり、それが意味するのは、ストレスの発散があまり行われていないということだった。

 その日、警報が鳴った。それが意味するのを新だけが知っていた。

「どうせ、避難訓練だろー」

 そんな声があちこちから聞こえる。神敷町では予告なし、実践式の避難訓練が十年に一度行われていた。そのせいか、多くの住人はそのように認識しているらしい。だが、そのおかげか避難は非常にスムーズに行われ、三時間後には住人全員が核シェルターへの避難を完了した。

「……ッ、はあ……くッ」

 しかし、新は走っていた。

「なんで……ッ」

 朝のホームルームのことである。その時間に先生に呼び出され、冬華が軍に連れていかれたのだ。その場ですぐに追いかけたかったが、周りの軍人に邪魔された。

 前に佳純が作ってくれた神敷基地の地図を見る。まさかこんなところで役に立つとは……

「ここだッ」

 地下通路への道の入り口が見えた。中に入れば、幽閉されたところに近づくはず……!

「待て」

 聞き覚えのある声だった。

「悠莉……!」

「お前何やっているんだ、こんなところで」

 悠莉は軍服を着ていた。手には拳銃も所持している。

 バンと遠くで爆薬の破裂する音が聞こえた。もう始まっているようだ。

「蛍が……このままだと、死ぬんだ」

「え、どういう……?」

「お前知らないのか?」

「ああ……」

 新は手短に現在の状況を話した。悠莉の顔は徐々に曇っていく。

「あの医師め……私と蛍をよく会わせてたのも、そういう算段か! くそ! 私のバカ!」

 悠莉は地団駄を踏んだ。表情もとても悔しそうだ。

「よし、追いかけるぞ! 蛍奪還作戦だ!」

 悠莉はそう言い放つと、地下へもぐりこんでいった。


            4


 神敷基地の地下施設は相変わらず、キンと冷え込んでいた。しかし、いつもと違うのは忙しい音が常に聞こえていることだった。

「このままだと、怪しまれるからな……軍服に着替えるぞ……」

 新たちは地下通路の脇を隠れながら、進んだ。

「軍服こんな適当にとっちゃっていいのか?」

「大丈夫! もう出撃するやつはすでに来てるさ」

さらに奥地へ進んでいく。一度通ったからわかる。蛍のいる部屋まであと少しだ。

「おい!」

 低い声が急に話しかけてきた。軍隊では、珍しい白いワイシャツの男だった。

「はい! なんでしょう?」

 悠莉は敬礼する。その姿はまさに軍人そのものだ。

「そいつは誰だ? 見ない顔だが」

「本日の作戦のために外部から派遣された訓練兵であります!」

 悠莉は答える。

「……うん、そうか。分かった。ところで、俺の軍服を知らないか? 胸に名前が刻印されているのだが……? あ、

 その人は俺の胸の名前に気付いたようだった。まずい――

「ここは任せろ! 行け!」

 新は全力で駆けだした。


         5


「蛍!」

新はドアを開けた。蛍はちょうど軍服を着ているところだった。ピンク色の下着が少し見えた。

「ご、ごめん……」

「いいよ。別に。で、何? 私の所へ来て」

 蛍の口調だった。

「逃げよう! 俺は君を死なせたくない!」

 息が上がる。心からの声だった。

「……今更、何を言ってるの? これは、私の宿命。そういう運命なの……もう、どうしようもない。逃れられない、ね」

「……そんな悲しいこと言うなよ。生きようぜ、蛍」

「……あなたが好きなのは冬華でしょ。私じゃない。」

「そんなことはないよ――俺は君が好きだ。助けたい。例え、世界が滅びてしまっても――だから、行こう」

「……」

「おや、おや、おや、お久しぶりだね」

 しゃがれた老人の声が耳を刺す。

「お前……」

「君は協力してくれなかったようだがね……上からの命令だ。例え、途中で壊れてしまっても、飛ばせ、と。あきらめなさい」

 と、その老人は俺に拳銃を突き付けた。

「なッ……」

「残念だが、ここでサヨナラだ」

 バンと音が鳴った。

「…………!」

 目を開けると、血だらけの蛍がそこにいた。腹部の中央に弾痕がある。そこから、血が水のように流れている。鮮血で新のジーンズが染まる。

「蛍……どうして……」

 蛍は息を切らしながら、

「な、なぜだろうね……きっと私の中にいる冬華」がそうさせたのか……いや、きっと……人に好きだって言われたのが初めてだったから、かな……」

「蛍……」

 パンと、銃声が鳴った。老人の方からだった。

「あ~、もう危ない。蛍が死んじゃうところだったじゃん。悠莉が駆けつけなきゃ、どうなっていたことやら」

「悠莉!」

 新は声を荒げた。

「大丈夫? 蛍!」

 タタタと駆けつけた悠莉が蛍の頬の血をぬぐう。

「大丈夫……やっと、気づいたよ。私ずっと外に出たかったんだ。縛られない……自由が欲しかった……逃げる、逃げたい!」

 蛍は歯切り良く、言い放った。

「よし、きた! 任せろ!」

 悠莉の表情も軽やかだ。蛍が嬉しいことが本当に嬉しいらしい。

「でも。どうするんだ……こんな容体じゃ……」

「あそこに私が乗る予定の飛行機があるだろ。そこから、北へ向かう」

「北!?」

 悠莉は決め顔をしながら、言い放った。

「亡命さ! もうそれしかない!」


       6


 冬になっても、戦闘は続いていた。神敷町は廃墟となったようだが、自分たちの町の荒廃した様子を見ても、どうにも現実味を感じられない。もちろん、神敷町の住人は別の町に強制移住となり、一応平和裏に暮らしている。

「元新聞部の活動を始めるわよ!」

 という久しぶりの号令と共に俺たち新聞部は集まった。冬華はいないけれども……

 しかし、俺たちの手にはそれぞれ手紙が握られていた。冬華からの手紙だ。今日はそれをみんなで見ることになっている。澄み切った空は永遠と続いていた。

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校舎裏の秘密調査 岩咲 叶詩 @Iwasaki-Kanata

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