第32話 謁見・二
「…………まったく、道理を重んじるところはファウスト譲りだな。この二年で、ますます似てきている」
「だからこそ、精霊たちも彼女に心を許したのでしょう」
どこか苦笑めいた色を乗せてため息をつく国王の背後、陰鬱な音を奏でる垂れ幕の中から笑み含みの声がした。
聞き覚えがありすぎるその声に、インノツェンツァは思わずがばりと顔を上げてしまう。そして、絶句した。
当然である。昼間の勤務先の上司が、にこやかな表情でそこにいたのだから。
「やあインノツェンツァ。無事でよかったよ」
「ルイージさん、なんで………」
「あ、僕、神官長の孫だから」
もったいぶったりせず、あっさりとルイージは告げる。インノツェンツァはあんぐりと口を開け、ぱくぱくさせた。
ルイージは後頭部を掻いて苦笑した。
「まあびっくりして当然だよね。話してなかったし、祖父と僕は似てないし。神官長の孫が楽器店の店主なんて、普通は誰も考えないよねえ」
いやそうでしょう普通、とインノツェンツァは心の中でつっこみを入れた。
『夕暮れ蔓』と付き合いのある中年や高齢の職人の中にはルイージを小さい頃から知っているという人もいるが、それは先祖代々あの楽器店を経営しているからだとばかり思っていたのだ。ルイージの外見も、長い白髭をゆさゆさと揺らして笑う温厚そうな顔と何一つ重なるところがない。
「なんで、神官長の孫が『夕暮れ蔓』に……」
「あの店は、僕の母の実家なんだよ。父は神官にならないで母と結婚して、母の実家に婿入りしてね。で、両親が亡くなってからは僕が継いだんだ。だからまあ、代々経営しているというのも間違ってはいないんだよ」
「じゃあ、クレアーレ神殿の麓のことをルイージさんが聞いて、マリオが変な顔をしたのも……」
「神官の孫なら知っているはずだと思ったからだろうね。以前、彼とクレアーレ神殿で会ったことがあるから。そのときに知られちゃったんだよねえ」
と、ルイージはインノツェンツァの質問に一つ一つ答えていく。生まれた疑問が即座に解消され、インノツェンツァはうんうんと何度も頷いた。
一方で、ルイージはでも、と口をへの字に曲げて両腕を組んだ。
「王家の音楽会のことも、一応は祖父のところへ聞きに行ったんだよ。クレアーレ神殿のことだから。でも、王家の音楽会のことを全然教えてくれなかったんだよね。守秘義務があるし、公平でなくなるからってさ。それどころか、君には血縁だって話さないよう言ってくるし……まったく、頭が固い人だよねえ」
はあ、とルイージは息をつく。彼にしては珍しく、不満そうなのがありありとわかる仕草である。
そう言ってやるな、と国王は困ったふうに眉を下げて言う。
「王族や演奏者に音楽会の詳細を伏せるのはならわしで、神官長はそれを守っただけのことだ。インノツェンツァにのみ明かしては、他の者たちと公平を欠くしな。そう責めるものではない」
と、ルイージを諭す。わかっています、とルイージは小さく頷いた。
「ともかく、祖父も、ジュリオ一世に仕え、ベルナルド一世と共にあの箱を開けようとした当時の神官長ルチアーノの遺志が果たされたと喜んでいてね。仕事道具がなくなった君に、代わりのヴァイオリンと楽弓を贈りたいって僕に相談してきたんだ。――――というわけで、これはどうかな?」
そう言ってルイージは物陰から、使い込まれた色の革のヴァイオリンケースを出してきた。
『夕暮れ蔓』の商品棚にすっかり馴染んでしまっていた、澄んだ音を奏でるその色に、インノツェンツァは何故か予感がした。
「ルイージさん、あの、もしかして中は……」
「‘アルテ’と‘リベラルディ‘だよ」
インノツェンツァの言葉を引き取って答えを明かし、悪戯に成功した子供のようにルイージは破顔した。国王も少しだけ微笑んでいる。
一方、インノツェンツァは頭を抱えたくなった。
‘アルテ’と‘リベラルディ’――先日ルイージが名職人ボッティチェッリから買ったというヴァイオリンと、馴染みの楽弓職人から買った楽弓の名だ。楽弓に名がつくことは珍しいのだが、ヴァイオリンに名がつくのだからと、己の技量を誇る職人が自慢の楽弓に名をつけているのである。
どちらも、国内でも指折りの名工が精魂込めて作った逸品だ。試奏したから、極彩色の大輪の花を織り込んだように明るく華やかな音色も、薄紅色の宝石細工がされた楽弓の重みや形も、インノツェンツァは覚えている。
領収書に書かれていた数字が即座に頭をよぎる。この先の受け答えを予想しつつ、インノツェンツァはおそるおそる尋ねた。
「ルイージさん、それ、商品でしたよね……?」
「うん。だから祖父が買ったんだよ。昨日、祖父や君が心配でクレアーレ神殿へ行ってみたら、君が精霊たちを癒すため器を魔法装置に入れたから、代わりの子が必要なんだって説明されてね。それで、この子たちを勧めたんだ。で、今日は納品しに来たわけだよ」
「ファウストの形見を魔法装置に預けた今、そなたには新しい仕事道具が必要であろう。安心せよ、‘アルテ’も‘リベラルディ’も、精霊を宿していないと魔法使いに確かめさせておる。あのドライアドとノームも怒るまいよ」
「私はどこの浮気者ですか……」
口にしてみて余計に恥ずかしくなって、インノツェンツァは頬を赤らめてがっくりと項垂れた。
しかし実際のところ、ありえそうな気がしてならないのだ。何しろ、インノツェンツァが亡父の形見を装置へ入れようとしたところ、そこに宿る当の精霊たちに反対されたのである。装置からこぼれる力を浴びていくらか力を取り戻し、人の言葉を話せるようになった彼らは、装置に入ってしまえばいつ完全な力を取り戻せるかわからないからと嫌だと、涙を浮かべてインノツェンツァに抱きついてきた。今生の別れになるのをおそれたのである。
定期的に会いに行くということでどうにか納得してもらえたが、ノームの少年やマリオに呆れられたことは言うまでもない。国王と神官長は、呑気に笑っていたが。
「受け取れぬとは言わせぬぞ? 神官長もまた、余と同様あの箱が開かれるときを待っていたのだからな。その礼をしたいと思う老人の気持ちを無にするは、そなたとしても本意ではなかろう?」
「……」
髭をしごきながらたたみかける国王の表情は、いっそ楽しそうだ。インノツェンツァが断れないと踏んでいるのである。痛いところをつかれたインノツェンツァはぐうの音も出ない。
インノツェンツァはヴァイオリン奏者だ。だから、素晴らしいヴァイオリンや楽弓と聞けば弾きたくなるし、素晴らしいものなら所有したくなる本能がある。自分好みの音色や重み、弾き加減で、自分の技量を余すことなく表現させてくれるに違いないものを見て、心が震えないはずがない。
実際問題、インノツェンツァは形見のヴァイオリンと楽弓しか所持していないので、それらを装置に預けると別のヴァイオリンと楽弓が必要なのだ。その上に老人たちの好意とあっては、無下にできるはずもない。――――――――完敗だ。
だから、インノツェンツァはさんざん迷った挙句、革製の取っ手に手を伸ばした。
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