第31話 謁見・一

 王族の晩餐に相伴し、二度と世話になることはないだろうと思っていた、腰が曲がりそうなほど柔らかな寝台でぐっすり眠った翌日。インノツェンツァは国王に、短調が壁から聞こえる謁見の間へ呼ばれた。

 冴えた紫のくつろいだ身なりの国王は玉座に座り、インノツェンツァが宮廷音楽家だった頃と変わらない優しい笑みで、一礼するインノツェンツァを迎えた。


「インノツェンツァ、よく来てくれた。昨夜は疲れていただろうに、娘の相手をさせてすまなかったな」

「いえ……」


 というより、前回は顔を見せただけで長話できなかったぶん、色々と話をさせられたと言ったほうがいいのだが。イザベラは兄王子の幼馴染みとの再会をとても喜んでくれて、夕食が終わってからもインノツェンツァと話をしたがった。インノツェンツァが今どんな暮らしをしているのか、城下はどんなところなのか、流行っているのはどんなものかなど。彼女の小さく色も形も良い唇は止まることがなく、もう遅いからと女官たちが彼女を部屋へ連れて行くのに苦労していたくらいだ。


「それならいいのだが。……さて、昨日のことなのだが」

「昨日の?」

「トリスターノの愚行のことだ」


 ずばりと国王は話を切り出す。彼の穏やかだった表情が曇り、眉間に深いしわが寄った。


「実は、トリスターノがそなたを擁立したと聞いたときから、そなたは脅迫されているのだろうと察してはいたのだ。そなたはここを去るとき、城下で静かに暮らすのだと言っていた。その言葉を違え、ましてやあれほど仲が悪かった愚息が擁立するのだ。何か理由があるはずだと思った」

「……」

「だが、神官長に止められたのだ。強要されたとはいえ、インノツェンツァは随分とやる気を出していると聞く、それに水を差すのはかえって彼女のためにならないとな。……それに、余もそなたならばもしや、と期待していたのだ。あのファウストの娘だからな。だからトリスターノを止めなかった。しかし一方では、役立たずとそなたにつらく当たるかもしれないことを承知で、赤竜騎士団長から解任して北へ送ろうとした。……すまなかった」


 そう、国王は座ったままであるものの、躊躇いなく、インノツェンツァに頭を下げる。かつての主君であり幼馴染みの父親である国王の謝罪に、インノツェンツァはぎょっとした。


「へ、陛下、頭を上げてください。私は陛下に対して腹が立ってるわけじゃないですし」

「子供の不始末は親の不始末だろう。そなたとて、大層不愉快な目に遭ったはずだ」


 何を言っているのか、といったふうに国王はインノツェンツァに返してくる。それは確かに、とインノツェンツァは思わず心中で同意した。

 親としてあの愚行を早く止めてくれていたら、とは思う。トリスターノは職権を乱用し、脅迫してきたのだ。知っていたなら、止めてほしかった。それはインノツェンツァの偽らざる本音だ。

 ――――けれど。


「……陛下。陛下が仰るように、トリスターノ王子には腹が立っているんです。母や友人たちを盾に脅迫されましたから。でも、陛下と神官長の判断には感謝しているんです。もし陛下が王子を失格になさったり音楽会そのものを中止になさっていたら、私は納得できなかったと思います。記憶を消されてしまって、それすら忘れてしまっているかもしれませんけど……でも、ジュリオ一世の曲かもしれない曲を手にしておきながら編曲できないのは、この国の音楽家として一生の不覚です」


 トリスターノ王子は北方へ行かれるそうですし、とインノツェンツァは、不服そうな顔の国王にへらりと笑ってみせた。


「精霊たちに会えたことも、嬉しかったんです。だから、私は満足です。陛下が私に謝られる必要はないのです」


 そう、インノツェンツァは頭を上げた国王に告げた。

 トリスターノの仕打ちを許すことはできない。だが、インノツェンツァがあの‘楽譜’に記された謎の旋律を再現しようと夢中になっていたことは、紛れもない事実なのだ。資料が参考になったとき以上に忌々しいことだが、彼がインノツェンツァを選び、加えて国王が黙認したからこそ、インノツェンツァはあの‘曲’を編曲することができたことも。父の形見に宿る精霊たちや、同胞思いのノームの少年と会えたことも、トリスターノや国王の思惑が紡いだ出会いなのだ。


 ややあって、国王の表情に別の色が浮かんだ。


「……そなたのように、あれもまっすぐな気性であればよかったのだがな。……もっとも、そのように育つようにするには、私やあれの母親、周囲の者たちがもっと叱り、見守ってやらねばならなかったのだが」


 そう窓に向けた眼差しやこぼす声音からにじむのは、深い自嘲や後悔、やるせなさとしか言いようのない感情だ。昨日神殿の広間で聞いたものとはまったく違う。我が子の愚行に振り回され疲れた父親そのものだった。

 たまらず、ちゃんと育たない王子が悪いんですとインノツェンツァは言おうとした。しかし国王は息をひとつつくと、インノツェンツァが慰めの言葉を発する前に口を開いた。


「いたらぬ父親だが、子供の愚行の後始末をすることぐらいはできる。ゆえに、詫びとしてそなたの望みを叶えよう。何でも言うがよい」

「詫びなんて……私は……」


 突然言われて、インノツェンツァは戸惑った。

 トリスターノにはすでに北方の砦への左遷という制裁が与えられているし、インノツェンツァたちを除いたすべての参加者から音楽会に関する記憶は抹消された。ノートの窃盗犯を見つけて咎めることはもうできない。そもそも、インノツェンツァはこの件で報奨について考えたことはなかったから、尋ねられるとは思っていなかった。

 ――――だが、何も欲しくないわけではない。


「……国王陛下、私は知らなかったとはいえ、精霊の器を不法に所持していました。本来であれば私は大金をもって罪を購うべき罪人で、陛下の報奨を賜る資格はないのです。ですが私には賠償金を支払うだけの蓄えもなく、おそらく一生かかっても支払うことはできません。母にも無用な心配をかけてしまう……」

「……」

「だから国王陛下。それでも私に報奨をくださるというなら、どうか恩赦を賜りたく存じます」


 昨日そうしたように膝をつき、頭を垂れて、インノツェンツァはそう国王に恩赦を乞うた。


 きっと国王のことだからインノツェンツァが言わずとも、先祖の悲願を自分に代わって果たした功績をもって、自分が見込んだ音楽家の娘であり息子の幼馴染みでもあるインノツェンツァを許すつもりだっただろう。因果応報と公明正大を良しとする人物ではあるが、情がないわけではなく、また恩赦の名分もあるのだから。


 けれどそれに甘えることは、インノツェンツァの良心と矜持が許さなかった。何も知らなかったとしても、自分は精霊の器を所持していたのだ。知らず精霊の器を所有していた他の前科者たちと変わらない。それでも罪から免れたいという保身の感情もあったから、せめて正々堂々、自分にも誰にも文句を言わせない方法で自由になりたかった。

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