第4話 招きの雨・二

 二人がそれぞれの作業に没頭し、閉店までこのまま客が来ないのかと思われた頃。ドアの上部につけられているベルが軽やかに鳴った。真っ先にルイージが気づいて書物から顔を上げ、いらっしゃいと客を迎える。インノツェンツァも遅れて気づき、楽弓を止める。


 そして扉のほうを向き――――ぎょっとした。


 現れたのは、深緑の外套に身を包んだ男二人だった。被る同色の制帽には、白い縫いとりがされている。外套の下、制服の胸には、赤い竜と盾の紋章が刻まれた金のバッジ――城下の治安維持を担う赤竜騎士団の証がつけられているに違いない。深緑の制帽に対応した制服には、それがなければならないのだから。

 赤竜騎士団の世話になるようなことをした覚えはないのに、何故彼らが店に来たのか。インノツェンツァは戸惑った。開けられた扉から冷たい風も入ってきて、店内の心地良い温度の空気をかき乱す。


 二人の騎士団員はカウンター席に座るルイージに目もくれず、インノツェンツァの前に並んだ。よく鍛えられた体躯の男たちに見下ろされ、その圧迫感にインノツェンツァは身を強張らせた。鼓動が加速する。

 怖くなって、インノツェンツァは騎士団員たちの向こうにいるはずのルイージを探した。が、彼らの体躯に阻まれてルイージの姿は見えない。

 外へ撥ねた髭をした年嵩の騎士が問いかけてくる。


「君がインノツェンツァ・フォルトゥナータか」

「……そうですけど……」


 硬い声でインノツェンツァが肯定すると、二人は顔を見合わせ、ややあって頷きあった。髭の騎士がずいと前に進み出る。


「すまないが、私たちと一緒に来てもらえないだろうか」

「え……な、なんで……」

「わけは言えない。ただ、君を呼んでいる方がいるんだ。手荒な真似はしたくない。抵抗せず同行してほしい」

「……」


 髭の騎士はゆるゆると首を振り、穏やかな声で命令する。インノツェンツァは即答せず、騎士たちをじっと見つめた。平静を装っていたが、頭の中は真っ白だった。

 硬直しているインノツェンツァに痺れを切らしたのか、若いほうの騎士がインノツェンツァの腕を掴んで引きずっていこうとした。が、その直前、感情を押し殺した声がそれを制するように二人に問う。


「彼女を呼んでいるという方の名くらいは、明かせないのですか。貴方たちを動かせるとなれば、限られた人しかいませんが……使いというなら、自分たちを遣わした人物の名を明かすのが礼儀でしょう」

「……すまないが、本当に何も話せないんだ」


 と髭の騎士は、静かに怒っているルイージを振り返ってそう繰り返し、沈黙を守ろうとする。苛立った顔の若い騎士とは反対に、心底申し訳なさそうな様子だ。ルイージのほうを見ていて顔はわからなくても、空気に善意が感じられる。

 ルイージの声を聞くことができたからか、同情してくれる人がいるからか。突然の事態に停止していたインノツェンツァの思考はようやく動きだした。このままでは埒が明かないという結論に至る。

 インノツェンツァは大きく深呼吸した。


「……わかりました。行きます」

「! インノツェンツァ」

「ルイージさん、すみません。多分閉店時刻まで帰れないと思うんで、母に上手く言っといてください。できれば夕食、一緒に食べてあげてください」


 騎士たちに了承の意を示して彼らの横を通り過ぎると、心配そうなルイージの顔と目が合い、インノツェンツァは無理やり笑みを作って頼んだ。

 インノツェンツァの母は丈夫ではないのだ。一人娘が騎士団に連行されてしまったと知れば、きっと寝込んでしまうだろう。


 インノツェンツァの強がりを見つめていたルイージは、やるせなさそうに了承すると、店の奥へ引っ込んだ。かと思うと外套を手に戻ってきて、インノツェンツァの肩にかける。


「明日の朝、ちゃんと定刻どおりに店を開けるから。それまでに来るようにね」

「どっちかというと、それ、私の科白だと思うんですけど……」


 と、インノツェンツァはつっこみを入れて茶化す。そうでも言わないと気持ちが沈んでいきそうだったし、本気で心配してくれているルイージには悪いが、本当にそう思ったのだ。

 同情しきりの髭の騎士に促され、インノツェンツァは店を出る。振り返ると、窓越しのルイージの顔は垂れ落ちる雨水でゆがんで見えた。

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