第5話 王子の脅迫

 雨中を走る馬車がぴたりと止まる。若い騎士に促され、インノツェンツァは足早に建物の中へ入った。


 その石造りの内装は地味というか、豪放だった。所々絨毯やタペストリーが飾られているが、致命的に華がない。見た目からして贅沢なものに慣れた貴族の夫人や令嬢なら、なんて殺風景な場所なのだろうと眉をひそめ、さっさと出て行きたがるだろう。

 何より、歩いているうちに聞こえてくる、たくさんの男たちの声。どう聞いても剣の訓練中のものだ。教官が騎士たちをしごいているらしい。さすが郊外にある赤竜騎士団の本部といったところか。訓練しているほうへ向かわないということは、要人が自分に会いたがっているのだろうとインノツェンツァは推測した。

 つまり、あの男というわけか。しかしどうして。インノツェンツァは一層わけがわからなくなった。


 やがて三人は、ごつごつした印象の部屋に不相応な設えの扉の前に到着した。騎士が中に応答している間、インノツェンツァは扉にかけられた金の板を見る。団長室と記す書体も、やはり騎士には相応しくない優雅さだ。

 その違和感は、室内へ入って一層増した。絨毯も調度も、何から何までが華やかできらきらしい。完璧な貴族趣味である。特に部屋の隅にある、精緻な細工の大きな箱は、騎士が使うにしては装飾が多すぎて不似合いだ。

 しかしそんな箱も部屋の主――金の縁取りの椅子に座る男の持ち物なのだと考えると、納得できるのだ。


 歳は二十代前半、金の巻き毛に緑の瞳。通り魔に狙われること間違いなしの美形である。が、顔立ちやまとう空気に表れた高慢は、生まれ育ちを笠に着た典型的な馬鹿御曹司であることを、見る者に理解させる。驕りが服を着ていると言ったほうがいいかもしれない。

 嫌なことに、インノツェンツァは彼に見覚えがあった。何年か前までは顔を合わせたことがある、もう間近で見ることはないと思っていた顔だ。


「……それで、お話というのは。トリスターノ王子」


 騎士たちが扉を閉めて部屋を去った後、低めた声でインノツェンツァが問いかけると、第二王子トリスターノは高級そうな机に頬杖をつき、くすくすと笑った。


「おやおや、せっかちだね君は。相変わらず、私は嫌われているらしいね」


 わかっているならさっさと用件を話せと、インノツェンツァは内心で毒づいた。この男には、会うたびに庶民如きがと蔑まされた記憶しかないのだ。同じ部屋にいるのも不快だった。

 インノツェンツァに睨まれたトリスターノは首をすくめ、仕方ないと話を切り出した。


「君にしてもらいたいことは、たった一つだ。今度、王家の主催で音楽会を催すことになったのだが、君にある曲を編曲し、演奏してもらいたい」

「……は?」


 思いもよらぬ誘いに、インノツェンツァは目を見開き瞬かせた。どうにも最近、似たような誘いを受けた気がしてならない。

 だからインノツェンツァは今回もまた、似たような答えを返すことにした。


「なんで私なんですか。取り巻きなり国立音楽院の学生なりに声をかければいいでしょう」

「確かに、君でなくても他に適任者はいるだろうね。だが、君はあのファウスト・フォルトゥナータの娘だ。ヴァイオリンの演奏だけでなく、編曲もできるだろう。だから白羽の矢を立てたわけだ。光栄に思うがいい」

「……」


 誰が光栄に思うものか。トリスターノの傲慢な笑みを睨みつけ、インノツェンツァは心中で吐き捨てた。敬愛すべき国王や第一王子と間違いなく血を分けているというのに、どうしてこんなにも性根が腐ってしまっているのか。インノツェンツァは不思議でならない。


 インノツェンツァの父であるファウスト・フォルトゥナータは、宮廷始まって以来の天才と絶賛されるほど優れたヴァイオリン奏者だった。作曲や編曲の方面でも才能を発揮しており、その楽曲は高い評判を得ている。惜しまれる死の後、跡を継いで史上最年少の宮廷音楽家となったインノツェンツァも、やはり天才少女として喝采を浴びていたものだ。トリスターノが注目するのは、一般論なら間違っていないだろう。

 インノツェンツァは不快を示す皺を顔に刻み、声を低めた。


「……そんなふうに命令されて、誰が従うと思ってるんですか。大体、あんなに私を蔑んでいたじゃないですか。その貴方が取り巻きの貴族じゃなくて私を音楽会の演奏者になんて、どう考えてもおかしいですよ。理由も言わずに編曲して演奏しろと言われても、納得できません」


 この男は身分差別を当然とし、汗水流して働くことを毛嫌いする最低な人間だ。どれほど才能にあふれ世の人々の称賛を浴びている者でも、その身分が庶民であるというだけで蔑む。インノツェンツァも、幼い頃からどれほど彼に心ない言葉を浴びせられ、しかし身分の差ゆえに言い返せずにいたことか。思い出すだけで腸が煮えくり返ってくる。

 そんな男が、毛嫌いしているはずのインノツェンツァを、自分が見出した演奏者を自慢しあう場でもある音楽会での演奏者に指名するというのだ。ましてや、王侯貴族主催の音楽会にさして興味を持たないマリオも音楽家を探しているのである。この符号に疑問を覚えないほど、インノツェンツァは馬鹿ではない。

 トリスターノは首を傾けて言う。


「聞く必要はないだろう。君は私に雇われ、演奏するだけでいいのだから」

「私はまた宮廷に出入りするつもりはないし、弾きたくないのに弾かされるのも御免です。大体、そんな裏があるとしか思えない、胡散臭い音楽会に誰が出席しますかって話ですよ。そんなに私を擁立したいなら、事情を説明するのが筋だと思いますけど」


 説明するのは面倒だと言外に告げるトリスターノだが、インノツェンツァは食い下がる。どうせ出席するつもりは欠片もないし、話してくれると期待してもいないが、この男に従順でいる気はまったくなかった。


 話がすんなりまとまらないのが腹立たしいのか、トリスターノの表情はみるみるうちに不機嫌になっていく。物心ついたときから我が儘いっぱいに育てられた自尊心の高い王子には、インノツェンツァの態度は我慢できないのだ。同じ偉そうな性格でもその点はマリオと違うと、インノツェンツァはこんなときなのにちらりと考えた。

 何故この娘は従順でないのだと苛々した表情のトリスターノだったが、突然にやりとたちの悪い笑みを浮かべた。インノツェンツァは悪寒を覚え、顔を強張らせる。悪い予感しかしなかった。

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