第28話 ヴァイオリン弾きの秘密と願い・一
他の演奏者と彼らを擁立した王族には席を外させた国王は、さて、とインノツェンツァに向き直った。広間に残ったのはインノツェンツァの他、マリオと国王、ノームの少年、神官長、楽器と楽弓に宿るドライアドとノームである。
国王に促されインノツェンツァは、ヴァイオリンと楽弓の宝石細工に精霊が宿っていたことから始まる精霊との交流の一部始終を、幼馴染みたちに語った。
都に散らばる精霊の器を取り戻すべく、ノームの少年が暗躍していたこと。そのためにノームの少年は催眠の力を持つ、インノツェンツァのヴァイオリンに宿るドライアドを求めたこと。インノツェンツァが少年と取引し、ヴァイオリンを貸す代わりに人間を殺さないよう約束させたこと。少しでも早く仲間のもとへ近づきたいと望むノームの少年の器を、ヴァイオリンケースの小物入れに入れていたこと。そういったことを話した。
ノームの少年の補足を交えながらインノツェンツァが話し終えると、柱の近くに腰を下ろしたマリオはじろりと彼女を睨みつけた。
「……つまり、そこのノームは城下を賑わせていた通り魔かつ窃盗犯で、お前は彼が神殿へ忍び込むのを黙認したというわけか」
「人聞きが悪いこと言わないでよマリオ。そりゃ確かに通り魔だったわけだけど……彼はすごく必死だったし、誰も殺さないって約束してくれるなら仕方ないと思ったんだよ。盗むだけのほうが、まだましだし……」
「そうだマリオ。彼女は、そこのノームがガレルーチェの民を殺めるのを止めようとしたのだ。責められぬ」
ドライアドにもたれるインノツェンツァが口を尖らせてマリオに反論すると、国王は彼女を擁護する。父王にそう諭されてはそれ以上何も言えないようで、マリオはむすっとした顔で黙った。
それより、と国王はノームの少年に問いかけた。
「ノームよ。そなたはこの巨大なものを知っているようだったが、何故だ。これは、ジュリオ一世が編んだ魔法であり、造った装置のはずだ。ジュリオ一世が精霊と親しかったことは事実だが……」
「そのジュリオ一世が、ノームの長老に言ったんだよ。‘神の器’と魔法を使って、僕たち精霊を癒す装置を造るって。この神殿はまともに人が寄りつかないし、これからも来ないようにすることはできるから、ここに装置を置こうって。……何もなければ、彼の音楽で装置は起動していたんだ」
国王に答えるノームの少年の声は、それから流れた長い時間を想うように重い響きがあった。
精霊と心を交わすうちに彼らを愛するようになったジュリオ一世は、人間に傷つけられた彼らを癒したいと願うようになった。精霊の傷は大自然の力に触れることによって癒えるが、それでは長い時間がかかる。ジュリオ一世と言葉を交わしていた精霊の中には、傷を癒すため大自然の中で長い眠りについた者も多少はいた。
そこでジュリオ一世は、廃墟だったクレアーレ神殿の奥に‘神の器’を置き、それを基礎として精霊を癒す魔法を編むことを考えた。世界の理を司る神の力の片鱗を宿した‘神の器’なら、精霊たちを癒す強大な力の供給源になるからだ。
精霊たちはもちろんこの提案に賛同し、自分たちの憩いの場と知識を彼に喜んで提供した。ジュリオ一世は可能な限りここを訪れ、少しずつ装置を完成させていった。――――すべては順調に進んでいたのだ。
眠りについた精霊たちを装置に移し終え、装置を起動させるその日。ジュリオ一世が暗殺されるまでは。
ジュリオ一世の死後、アルベルト一世たち人間は、ジュリオ一世が私的な時間の大半を費やしていたものを初めて目にした。だが、存在を知っただけで、それをどうやって起動させればいいかわからなかった。精霊たちも、場と知識は提供すれど装置のことはジュリオ一世に任せきりだったので、どうすればいいかわからなかった。
アルベルト一世と岩山に棲まうノームの長の間で協議が重ねられた結果、精霊たちは岩山の上を放棄し、アルベルト一世が用意した新たな棲みかに居を移すことになった。クレアーレを得たアルベルト一世は父王の遺物の起動方法を研究し、父王の‘楽譜’を再現すればいいのだと気づいてからは、そのための人材の発掘に尽力し、ひそかに奏者を集めては装置に楽曲を聞かせるようになった。
人間と精霊が交わした盟約。それが、王家に伝わる‘楽譜’を奏でる音楽会の真相なのだった。
ノームの少年は、長老から幾度となく話を聞いて育ち、腹を立てた。未だ人間が同胞を解放しないのは、人間たちが盟約を忘れているからに違いないとしか思えなかったのだ。何百年も昔、長老たちは人間を信じて同胞の復活を託したのに、何故託された思いを忘れてしまったのかと。――――約定を違えない精霊には理解できなかったし、許すこともできなかった。
だからノームの少年は棲みかを飛び出し、装置を起動させる方法を見つけようとしたのだ。通り魔事件は、そのついでだ。宿る器を道具に加工された同胞たちを放っておけなかった。
それが、インノツェンツァがノームの少年から聞いた、この国の始まりから続く精霊たちの悲劇と、少年が人間の町へやって来た――そして人々を傷つけ殺めた経緯だった。
「……別に、考えがあったわけじゃないよ。僕は、ヴァイオリン奏者の魔法使いが死んだあとに生まれて、他の精霊から話を聞いただけだし。魔法装置を起動させるためにどうすればいいのかもわからなくて、とりあえず、魔法装置に近づいてみれば何かわかるんじゃないかと思ったんだ。それに、今人間に捕まってる同胞たちも助けたかった」
ノームの少年はそっぽを向いて言う。そこで国王が口を開いた。
「そう、そうだ。インノツェンツァ。何故そなたは、ジュリオ一世のあの‘楽譜’を再現できたのだ。そなたは確かに優れた音楽家。だが他の者らとて、いずれも才能ある者らだ。なのに何故、彼らは曲を再現できなかったのだ」
「そういえばインノツェンツァ。お前は、異母兄上からいただいた‘楽譜’には正確な音符がないと言っていたな。あれはどういう意味だ」
顎に指を当て、マリオはインノツェンツァに問う。ノームの少年や他の者たちも、一様に同じ疑問を瞳に浮かべている。
インノツェンツァはああ、と視線をさまよわせた。
「……音符に色がついてなかったの」
「色?」
マリオが眉をひそめて鸚鵡返しに尋ね返す。うん、と頷いてインノツェンツァは説明を続けた。
「あの人が私に渡した‘楽譜’は、全部黒インクで書いてたんだよ。多分、あれをあの人の小間使いか誰かが写すときに、音符の色を気にしないで写したんだと思う。だから私は最初、見当違いな編曲をしちゃってたんだよ」
「? 色がついてるかどうかで、何が違うの? 楽譜って、音符が何色でもいいんじゃないの?」
「普通ならね。でもジュリオ一世は音を見ることができる人だったから、色こそが重要だったんだよ」
ノームの少年が目を瞬かせれば、インノツェンツァはそんな答えを返す。自分でも奇妙だとわかっていたが、そう表現するしかなかったのだ。
インノツェンツァが言いたいことなど理解できるはずもなく、全員が意味不明と言った表情になる。ドライアドも彼女に説明を促すように、自らの枝でインノツェンツァの膝を撫でる。
マリオは理解できないとばかり、指でこめかみをとんとんと叩いた。
「……普通、音は聞くものだろう」
「だから、ジュリオ一世はそれだけじゃなかったんだよ。五線で黒インクを使った直筆の楽譜もあるから、普通の記譜法で楽譜を読んだり書いたりもできたんだと思うけど、色から音が聞こえる人だから、音符に色をつけていれば見るだけでよかった。だからあんな、五線のない譜面だったんだよ」
「…………その、色から音が聞こえるとかいうのが理解できないんだけど。生き物は、空気の振動を捉えて音を聞くんでしょ? 色に限って幻聴が聞こえてたってこと?」
インノツェンツァが説明すると、しかめ面をしたノームの少年が自分なりの解釈を披露する。国王やマリオも似た表情で、インノツェンツァにさらなる説明を望む視線を送る。
余人には聞こえない音を聞くという点では幻聴と似ているが、インノツェンツァが推測するジュリオ一世の感覚は、心身の疲労や頭部の損傷、薬物の投与からくるものとは違う。紛れもなく、心身が正常な人間の感覚だ。
が、より詳しく正確にと言われても、インノツェンツァには表現の仕方がわからない。どう答えたらいいかと、視線をさまよわせた。
そのとき、今までずっと沈黙を守っていた神官長が口を開いた。
「……国王陛下と王子殿下は、生き物にはいくつの感覚があるかご存じですかな?」
「? 痛覚、味覚、触覚、聴覚、視覚だな」
「さらに視覚の場合、見るものによってそれを判別する部位が違うらしいな。数字と色はそれぞれ脳の異なる部位で判別されている可能性が高く、別々の感覚として捉えるべきだという考えもあると、学院の学者に聞いたことがある」
向けられた問いにマリオが即答し、国王が補足する。当代の国王は音楽に造詣が深いのだが、好奇心とそれによる知識は多分野に及ぶのだ。
「左様でございます。では、それらを同時に感じる感覚を持つ者がいることはご存じですかな?」
神官長は微笑み、さらに国王たちに問いかけた。
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