第15話 深まる謎・二

 廊下を抜けて更衣室に入ると、都合がいいことに誰もいなかった。

 強制連行されたマリオは両腕を組み、ふてくされた表情でインノツェンツァに問いかけた。


「……それで、聞きたいことというのはなんなんだ」

「この前マリオが言ってた音楽会についてだよ。どういう音楽会なのかなって」


 インノツェンツァが率直に切り込むと、マリオはぴくりと眉を動かした。


「王侯貴族の音楽会がどんなものか、お前が知らないわけがないだろう」

「まあね。見栄と意地の張り合い、おべっかとごますりをする場所だってことは知ってるよ。――――でも、マリオが言ってたのって、それとは違うんでしょ? だってクレアーレ神殿でするんだもん。音楽会をよりによってクレアーレ神殿でするなんて、私聞いたことないよ」

「……」


 インノツェンツァの指摘に、マリオは顔の表情を動かさなかった。だが幼馴染みなのだ。目を見れば、驚きや苛立ちを隠し、何かを考えているのがありありとわかる。


「言い逃れはしないでよね。私、本当に知りたいし」

「……」


 び、と指を突きつけてインノツェンツァは迫る。言いたくないようだが、こちらとしても編曲作業が切羽詰まっているのだ。手がかりが少しでも欲しい。


 だがマリオは口を開かなかった。インノツェンツァの今までの経験上、こうすれば反論なりため息なりが出てくるか、冷たい視線を寄こされるかで、上手くすれば折れた彼が話してくれるのに。皮肉も言わず拒絶の空気を漂わせるのは珍しい。

 しばらく待ってみるが、マリオが口を開く気配はない。インノツェンツァは苛々して、鼻頭にしわを寄せた。


「マーリーオー。ちょっと、話聞いてる?」

「聞いている。……知らないんだ」

「はあ? 何それ。そんなはずないでしょ。演奏者を見つける側なんだから」

「普通ならばな。だが父上は、何も教えてくださらなかったのだ。私が聞かされたのは、ベルナルド一世がジュリオ一世の慰霊のために始めた音楽会だということと、演奏者以外には音楽会の存在を知らせないようにすることだけだ。他には何も知らない」


 インノツェンツァが疑うと、彼女の苛立ちが感染したようにマリオも不愉快そうに繰り返す。二度も言わせるな、と表情に表れている。

 今度は、インノツェンツァが黙る番だった。じいっとしばらくマリオを見つめ、やがて長々と息をつく。もうこれ以上聞き出せないことは明らかだ。


「……わかった、もう聞かない。…………ごめん、無理に聞こうとして」

「お前の無理強いはいつものことだ。もう慣れてしまっている。……まったく、いくら幼馴染みだからといって、あんな大勢の前で連れ出そうとする奴があるか」

「だって、あんな大勢の前で話せることじゃないんでしょ? 例の音楽会って。店閉めるまでマリオが待ってくれるはずもないし。この時間にこっちに来ること自体、珍しいし。今捕まえて聞くしかないじゃん」

「だったら日を改めればいいだろう。いっそお前がこちらへ来ればいい。門番たちも、お前の顔は忘れていないぞ」

「だから、私はもう門くぐらないって決めてるんだってば。それに、そんな暇もないし。……ともかく、話はそれだけだから。マリオもそろそろ帰んないと」


 と、インノツェンツァはまたマリオの腕を掴んで引っ張ろうとする。が、その前にマリオがインノツェンツァの腕を掴んだ。


「マリオ? どうしたの?」


 嫌な予感がしつつインノツェンツァが顔を向けると、マリオは呆れの眼差しでインノツェンツァを見下ろした。


「お前が何故王家の音楽会についてしつこく聞こうとしているか、私が疑問に思わないとでも思っているのか? 身辺に気をつけろと、通り魔以外の意味で言わなかったとでも?」

「……」


 まさかそんなわけがないだろう、とマリオは言う。呆れ顔はどこか優越感がにじむ、薄い笑みに変わる。

 インノツェンツァは顔をひきつらせた。

 気づかれないなんてまったく思っていない。さっさとこの場から逃げようとしたのも、マリオが追及を始める前に逃げるためだ。マリオは昔から、インノツェンツァの秘密を暴くのが得意だった。


「……やっぱりあの人に脅されたんだな」

「……」


 確信の響きの言葉に、インノツェンツァは答えることができなかった。いや、必要がなかった。

 大体、とマリオは続ける。


「緘口令が布かれているのに、音楽会のことを私が無関係の人間に話すわけがないだろう。お前が無関係ではないと知っているから話したとは考えなかったのか?」

「えーえーちっとも。どーせ私は馬鹿ですよー」


 嫌味な言い方にいらっとして、インノツェンツァはぷいとそっぽを向く。彼を頼ったのは間違いだったと、心底思った。

 両腕を組み、マリオは小さく息をついた。


「そもそも、あの人がお前を個人的に雇っていることは、王城で噂になっている。もちろん、王家主催の音楽会のためであることは伏せられているがな。私が今夜ここへ来たのは、噂の真偽をお前に問い質すためだ」

「え、噂になってるの?」

「ああ。大方、あの人自身かその取り巻きが酒に酔いでもして、誰かに話したんだろう。貴族のサロンだけでなく、城下のいかがわしい店も好むそうだからな」


 と、マリオは冷ややかに吐き捨てる。いまだ婚約どころか浮いた話の一つもないインノツェンツァの年上の幼馴染みは、この手の話を軽蔑しているのだ。

 それで、とマリオは話を変えた。


「誰にこのことを話した」

「ルイージさんとフィオレンツォだよ。楽器店で仕事中に赤竜騎士団の人に連行されて、次の日に二人に話したの。ルイージさんがフィオレンツォに、私が連行されたことを教えて、それで。あ、もちろん二人には、他の人に話さないよう頼んだよ。だから、話が漏れることはないはずだよ」

「…………そうか」


 納得したように小さく息をつくと、何事かマリオは口の中で呟く。言葉は聞き取れないものの目つきと雰囲気で察したインノツェンツァは、うわあと心の中で声を上げた。これはかなり怒っている。

 その怒りをぶつけるように、マリオはインノツェンツァにきつい目を向けた。


「何故私に言わなかった。脅されたのだろう。言ってくれていたなら、即刻しかるべきところへ報告していた」

「マリオたち上流階級の人間には話すなって脅されたんだよ。あの人に破滅させられた人たちの話くらい、私、聞いてるし。あの人は赤竜騎士団を動かす権限持ってるし。母さんやルイージさんたちまで巻き込めないよ」

「その前に私が何とかするとは思わなかったのか。これまでの行いのせいで、すでにあの人は地位があやうくなっているんだ。お前の訴えがあれば、すぐに団長職を解任させられる」

「だーかーらー、それでもあの人、お金と肩書持ってるんだよ。お金につられて、小娘への嫌がらせに加担する人だっているかもしれないじゃない。ヴァレンティーノ伯爵家だってついてるし。そっちまでマリオは手回んないでしょ」

「お前はああ言えばこう言う……!」


 インノツェンツァが理由を並べるごとに、マリオの顔がどんどん怖いものになっていく。幼馴染みが困っているくせに頼ってこなかったこと、それをあれこれ言い訳することが腹立たしかったのだろう。実際、自分にできることは限られていると理解しているからかもしれない。

 彼の友情はありがたくも頼もしいのだが、しかし実際にこうもがみがみ怒られていると、インノツェンツァとて次第に腹が立ってくる。心配してくれているのはわかるが、マリオだって話してくれないことがあるではないか。なのにどうして自分ばかりが責められるのかと、インノツェンツァの中に反感が芽吹く。


「もうっともかく今言ったからいいじゃん! それに、今は前向きに参加するつもりだし。マリオが止めたって、音楽会に参加するからね私」

「……好きにしろ。事情がどうあれお前が参加したいというなら、止めるつもりはない」


 インノツェンツァが睨みつけて返すと、マリオは額に手を当て、大きなため息をついてそう言う。諦めたらしい。インノツェンツァは少しむっとした。


「そういえばさ、マリオのほうは演奏者、見つかったの? ウーゴとかフィオレンツォとか、私に頼んできたくらいだし」

「ああ。学院の学生に演奏してもらうことにした」

「ふーん。……ねえ、マリオはどうして王家の音楽会に参加するの? 王家が絡んでるからだとは思うけど、マリオってここまで音楽会に入れ込んだりしなかったでしょ?」


 首を傾け、インノツェンツァは率直に問いかけた。それは皮肉でも何でもない、ふっと浮かんだ素直な疑問だった。

 彼は、王侯貴族が主催し参加する音楽会というものについて、そのほとんどが自己顕示欲の表れでしかないと、かなり冷めた見方をしていたはずだ。彼がこの音楽会に対してかなり熱意を抱いているように感じられたのが、インノツェンツァには少し意外だった。

 マリオは、何を言うのか、というような顔をした。


「どうしても何も、当然だろう。私は、ジュリオ一世が遺した意思を知りたいだけだ。ベルナルド一世がそうであったようにな。参加が強制であろうとなかろうと関係なく、話を聞いた時点で私は参加していたさ」


 そう、何のてらいもなく言い放つ。当たり前のことを聞かれでもしたかのように。飾り気のない言葉はいっそ清々しいくらいだ。

 彼らしいとしか言いようがないものだから、インノツェンツァはなんだか笑いたくなった。聞いたのが馬鹿らしく思える。

 そうこうしていると、どんどんと荒っぽく扉を叩く音がした。


「インノツェンツァ、そろそろ時間ですよ。いい加減仕事に戻ってください」

「うわっもうそんな時間? ごめんフィオレンツォ、すぐ行くから!」


 フィオレンツォの催促が扉越しに聞こえてきて、インノツェンツァは慌てて答えた。これはまずい。こちらへ来る途中店長に許可はとっているが、早く戻らなければそちらからも怒られる。

 くつくつとマリオは喉で笑った。


「仕事を堂々と抜けてきたのだから、怒られて当然だな。こってり絞られてこい」

「見張りの人の目盗んで、窓から部屋抜け出してきた人に言われたくない! マリオも見張りの人に見つかって、お兄さんに怒られちゃえばいいんだー!」


 感情のまま捨て台詞を残し、マリオの手を振り払ってインノツェンツァは更衣室から走り去っていく。

 十歳児かお前は、と呆れた声が聞こえた気がした。

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