第26話 高校生活その2

高校に入って、1年間だけ部活動に入った。それは美術部だった。小説家になりたい私がなぜ美術部にと思う方もいると思うが、それは子供の頃金賞とったこともあり、何かしら絵に才能というものないかしら?と、なんとなく思ったからだ。


しかし入ってみれば本当に絵を描ける人達は既に中学生の時に絵の技法なるものを習っており、そりゃあもう、うまい絵を描くのである。とてもじゃないが、私が今から習おうと思って習えるものでもない。そんなこんなで私は空想画を水彩絵の具で描く程度であった。絵を描くのは好きだけど、デッサンなんて習ったこともないから、妙ちきりんなものしか描かないわけである。とてもうまいという代物ではないが、ただ物語性のある絵ばかり描いていたなあと思う。何かしら話を想像してそれにそって描くような感じである。やっぱり自分は絵よりも物語なのかもと思ったものである。


で、そんな感じだったので、絵には幻滅を感じ、私は1年間だけの部活動に終止符を打った。実のところ、高校には文芸部があった。しかし私はあえて文芸部には入らなかった。なぜかというと文芸部というと機関誌があって、そのために書かなくちゃいけないことがあるからだ。私の数少ない文章のアイデアをその雑誌に載せてしまったら、出版社に投稿する小説自体がなくなってしまう!そんなの絶対嫌だということで、私はあえて入らなかった。そもそも毎回締め切りに追われるのも、正直嫌だなあと思っていたし、お互いの文章を読み合うというのも下手をすれば自分のアイデアが盗まれるとか妙に真剣に考えていたので、私は頑として文芸部には近づかなかったのである。


そのせいで、私は高校時代自分の書いた小説をほとんど誰にも読ませなかった。一人で書き、一人で読み直し、また一人で書き直しとその繰り返しだった。独りよがりといえば、独りよがりだったが、誰にも批評を受けないことで、自分の文体を確立することができたようだった。ただそれだと自分の文章が本当にいいのかどうかが分からないということはある。


今の世の中はネット社会で、知らない人にも簡単に自分の小説を見せることができる。いろんな反応や声を聞くこともできる。自分の高校生時代を振り返ると、今はなんて便利なんだろうと思う。けれどその分何かが失われたような気もするのだ。どこか本当に独りで考え込み、独りで作るというものがあることによって個性がでてくるのだと思う。そういった独りの時間というのも、ある意味大事なのではと思うのである。

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