第22話 「ホビットの冒険」と「指輪物語」

中学に入って私の読書熱は小学生の頃と違って、それほどでもなくなっていった。小学生の頃はそれほど勉強も難しくなく、読書だけに没頭できる時間が多分にあったが、中学になるとそうも言ってられなくなった。数学の宿題やらなんやらあって、思ったよりも時間がとれなかった。それもあったが、中学の図書室は小学校の時と違って場所が大きくなく、蔵書も少なく、尚且つ魅力的な本があまり置いていなかった。そういったこともあり、図書室からはどんどん遠ざかる傾向が強まった。

学校の図書室や、市の図書館など、魅力的な蔵書がないというのはまさに致命的だと思われる。そのせいでますます読書離れが進んでいるのだと思う。学校の図書室や市の図書館で働いてる方は是非がんばって魅力的な蔵書作りをして欲しいと思うのである。


そんなこんなで私の足は遠のいていったのだが、たまに図書室に行き、本を眺めることもあった。そしてそんな中出会ったのが指輪物語だった。ハードカバーで赤い表紙の重々しそうな本で、本当に図書室の隅っこの方に置かれていた。なんとなく古そうな気がして、私はどうもそういう古い本というものに惹かれるらしく、気になったので、手に取ってみた。そしてなんとなく、その本の貸し出しカードを見たのだが、まだ2名の人しか借りていなかった。なんだこの本は、そんなにマイナーな本なのか?そして出だしの部分を読んで私ははっとした。


なんだ、これってあのホビットの冒険の続きの話なのか!と。指輪物語の前身にあたるホビットの冒険は小学6年の時に岩波少年文庫で読んでいたので、知っていた。ホビットの冒険自体がなかなか面白くて、主人公のビルボがゴラムから指輪を奪い、その指輪を使って、大活躍する話だ。何よりものんきで陽気なホビット族という小さき人が、ドラゴンが出てくるような冒険で活躍するというのが面白かった。なんというか、そういう話を読むと、私のような凡人でもいつか冒険の旅に出れるのではと思ってわくわくしたものだ。で、どうやらその時の指輪について書いてる話だと思い当たった。しかも最初の出だしが、歴史書のような面もちを示している。どことどこの種族が争ってと、どうのこうのどうのこうのと書いてある。私はものすごく古い書物なのかしらと思った。とにかくシリーズで五巻ぐらい出ているようなので、読み応えはありそうということで、読んでみることにした。


そして、読み出してみると、とっても文章が難しいのだ。ホビットの冒険の時はとっても読みやすかったのに、なんでだろう?とその時なんとなく疑問に思ったのだが、大人になってから知ったのだが、ホビットの冒険は子供向きに書かれたもので、指輪物語は大人向きに書かれたものだということだ。道理でその当時難しく感じたわけである。しかしその時はそんなこと知る由もないので、黙々と読んでいったのである。物語の細かい描写に私は引き込まれ、気がつけば自分が冒険しているような気分になった。とてつもなく長い文章を読む。遅々として進まないが、それはフロド達と一緒に旅をしているからだと思うようになっていった。ファンタジーでありながら、現実のように冒険を体感できる、まさにそんな感じだった。特に主人公達が森の中に入ると、自分もその中に入っているような気がして、これはすごい本に出会ってしまった!と思ったものだった。


それで私はいそいそと中学校の図書室へと借りに行ったものだったが、ある時、近所に住む男の先輩と遭遇したことがあったのだが、私が指輪物語を手に持っていると「おまえそんな本読むんだ」と驚かれた。その先輩自体は指輪物語自体を知っていたようだが、なぜそんなに驚かれたのか、考察するに、あまり女の子の読むような読み物でなかったからだろうと思う。まあ、言われてみれば、戦いの記録のような物語でもあるから、あんまり女の子は読まないかもしれないと、ちょっと思ったのである。それに貸し出しカードが2名しか埋まっていないのだから、やっぱりマイナーなんだろうなあと思った。


しかし大人になってから「ロード・オブ・ザ・リング」「ホビット」と立て続けに映画になって私は心底驚いた。指輪物語って有名だったんだあ!と。そもそもそんなにファンがいるとは知らなかったので、私的には本当にびっくりだった。


個人的には映画はすばらしい出来だったと思う。原作にまさに沿って描かれていると思う。けれども、原作を読まずに映画を観た人は思うだろう。指輪を投げ入れるためだけの主人公フロドに共感できないと。あれはたぶん、本を読んで一緒に冒険しなければ分からない感情だろうと思う。本でなくてはいけない理由がそこにあると私は実感している。


中学の頃読んだ時、私はミヒャエル・エンデの「モモ」とは別の意味で、将来こういった冒険物語を書きたいと願った。リアルに感じるような冒険物語。長い長い旅の話を書いてみたいと思ったのだ。

指輪物語で一点だけ気になるところがあるとすれば、語尾がですます調であるところである。語りという意味で、あえてですます調で書かれているのかもしれないが、それだと自分的にはリアルに感じられないような気がした。自分の書く冒険物語は絶対、である調だ。きっとその方がその場で起きているような気がする。そう思った私は童話以外はである調で今現在書いている。ある意味、指輪物語は私にとって原点なのである。

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