第14話 「モモ」ー小説家を志す

ミヒャエル・エンデ作の「モモ」に出会ったのは、小学6年の時だった。

「モモ」は書店の平台に積まれ、確か推薦本として置かれていたはずだが、それよりも私は表紙の絵が気になった。もじゃもじゃ頭の人と無数の時計が描かれているその絵に、私はファンタジーの香りをかぎとった。くんくん、これはとっても不思議そうな物語だなと。しかもタイトルのところに『時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語』と、こんな文字が躍っていた。すでにどんな話か分かるようになってて、ますます興味をそそられた。時間どろぼうってなんだろう。そう思った私はすぐに親に買ってもらって家で読み始めた。


最初の出だしは正直退屈だった。主人公のモモの日常が描かれているが、それはそれほど私の心に響かなかった。う~んと思っていたが、章が変わり、時間どうぼう達が出てくると、一気におもしろくなった。人々の時間を計算してこれだけ無駄があるということをほのめかし、時間を節約して時間どうろぼう達の銀行にあずければ、倍にして時間をかえすということを言い、人々の時間を奪いとっていく時間どろぼうのやり方に、私はびっくりした。計算で言われると確かに無駄なのかな?と思ったのだが、結局のところ無駄を省くということは、その分生活の中のゆったりとした時間も、もぎとられ、人々の生活がすさんでいくことなのだ。そしてその様子がこの物語の中では語られているのだ


最後にはモモの親友だったジジも、時間どうぼうの策略にはまり、時間がどんどんなくなり、ジジが好きだったお話を作ることもできなくなっていく様は、私に一粒の涙を誘った。モモがどうやって時間どうぼうからみんなを救うのかは、是非読んでもらいたいと思うのだが、その部分にはまさにファンタジー要素がてんこもりで、それによって解決していく様子はすごいの一言に尽きる。


現代のことを風刺しながらも、ファンタジーに仕立ててあげていく作風は、私に雷が落ちたような衝撃を与えた。これはすごい作品だ。子供に分かるように書きながら、それでいて現代のこと言わんとしている。しかもファンタジーなのだ。ファンタジーでありながら、哲学が詰まっている本だ!と子供心に感銘を受けた。


画家にはならずに、小説家になろうと漠然と思っていた私だが、この「モモ」を読んで初めて、私もこういった作品が作りたい、こんなことが書けるような小説家になりたい!絶対そうなりたいと強く思った瞬間だった。

いまだに哲学めいたファンタジーは書けてはいないが、いつかそんな日がくればいいと私は思う。

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