第9話 散歩でのハプニング
犬の散歩は毎日のように行っていたが、その中でも一度死ぬんじゃないかと思った経験をしたことがある。
あれは中学生のことだった。近くの田んぼにいつも通り散歩に行っていたのだが、人もいなそうだったので、稲穂の刈り取られた田んぼの辺りで、ミミを放しがいにしてやったのだ。誰もいないなら、迷惑もかからないだろうと思って放したのだが、ミミはとても喜び、首輪をはずされると、だだだだっと走り回り、一直線に田んぼを横切っていったのだ。で、その嬉しそうに走っていくミミを見送っていると、突如その姿が消えたのだ。
一瞬私は唖然とした。嫌な予感がして慌ててミミの後を追うと、ミミが用水路の中で必死に泳いでいる。ミミは勢いあまって、用水路の中に飛び込んでしまったのだ。用水路の中には大量の水が流れていて、流れも速そうだった。ミミが流されていくのを目の当たりにして、私はミミを助け出さなくてはと思ってそのまま用水路の中へと足を踏み入れた。
入ってみると、用水路の水は私の腰ぐらいまできた。しかもものすごい水の勢いで、ミミどころか私すら流されてしまいそうだった。水の中で私は懸命に足を動かし、ミミのところに行こうとしたが、水が重くのしかかってきて、とてもじゃないが行けそうもない。一方ミミも流されながらも犬掻きしてこちらへ来ようとしている。一人と一匹が命の危機を感じたのはまさにあの時だったのではないかと思う。それは間違いなく水への恐怖だ。水があんなにも重く危険なものだったとは、思いもしなかったのだ。よく子供がおぼれて亡くなるというニュースを見たりするが、私もそうなっていたかもしれないと思うことが、度々ある。まさにあの時流される恐怖を身を持って体験した。
動けない私、流されるミミ。どうしよう、どうしよう。パニックに陥りながらも、ミミを助けられるのは私しかいないのだ。自分も流されそうだけど、でもやらなきゃ!そう思った私はただひたすら、重い足を運び、必死に泳いでいるミミの側まで行き、巨体のミミを抱え込むと、どこにそんな力があったか分からないが、用水路の側の田んぼに投げ飛ばした。なんとか自力で用水路から脱出した私は、腰から下は水浸しだった。スニーカーの中も当然のようにぐちょぐちょである。正直泣きそうだったのだが、とにかく家に戻ってこの大失態を隠さなければと私は思った。
母は仕事に出ているので、家に戻っても誰もいない。水でびっしょびっしょになったミミと自分をなんとかしなくてはいけない。そう思って慌てて帰った記憶がある。そのあとどうしたかは、あまり覚えていないのだが、家に帰ってきた母には何も言わなかった。
目の前に迫った死の恐怖のことなど、言いたくはなかったのだ。あまりの怖さに私は言えなかったのだと思う。
人は本当の恐怖を感じるとしゃべれなくなるのかもしれない。その時の体験を振り返るとそう思うのだ。幸いミミも私も助かったからよかったようなものだが、あの時ミミが亡くなってしまっていたら、私は一生後悔しただろうと思う。それと同時に水への恐怖心を解けずにいたかもしれない。
大人になってから、母にその話をしたら、そんなことあったのと驚かれた。それはそうだ。話していないのだから。しかし死にかけたということまではさすがに言っていない。なぜか言いたくないのだ。心のどこかで、まだあの時の恐怖が残っているのかもしれない。
しかしミミとの思い出の1ページにはなった。私はこのことを思い出しながら、1編の童話を書いた。もしよかったら、こちらもお読みください。
小説家になろうサイト
『やせっぽっちのゆかりちゃんとふとっちょミミ』
http://ncode.syosetu.com/n7383da/
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