第5話  金賞

本好きだった私だったが、絵を描くのも好きで、小学生時代はらくがきのような絵ばかり描いて過ごしていた。文具のキャラクターとかも好きで、それをまねっこして描いたりとか、アニメのドラえもんも好きでよく描いたりしていた。それから、鳥も描くのが好きで、家の庭にくる鳥を描いたりもしていた。まあ、子供のらくがきなので、そんなにうまいもんでもないのだが、親の中では、私は絵を描くのが好きな子供なのだという認識があった。


なんとなく絵が好きな女の子といった感じだったのが、小学4年の時にちょっとした転機が訪れる。学校で行われた写生大会で、私の作品が学年の中で金賞をとったのだ。その絵は池の周りを歩いている鴨の絵だった。鳥が好きだったこともあったせいか、私は写生の場所である公園の中で、鴨がいるその場所を描いた。


何がそんなによかったのかというと、先生的には動きのある絵で、とてもよいということだったらしい。まあ、そんな講評を頂き、私はすぐに天狗になってしまった。私はきっと将来画家になるんだ!と、勝手な思い込みをし、それ以降は誕生日プレゼントには親からスケッチブックをもらったり、絵の具をもらったりとかしていた。そして画家になるにはどうしたらいいんだろうという私の疑問に、親は芸大に入ればいいんだよという返答をした。そうか、画家になるには芸大に行けばいいのかと、じゃあ私は将来芸大に行くよ!と、芸大ってどんなところか分からずに言ったのだった。

子供というものは、とにかく単純だ。ちょっと誉められるとその気になってしまうものである。そんなこんなで私の絵はなぜか小学6年生ぐらいまでは誉められ続けていた。どうせだったら、ピアノではなく、絵画教室に通わせてもらった方がよかったのでは?と、子供の頃を振り返ると思うことがたまにある。しかしその当時の私は絵画教室なるものを知らなかったし、親も興味なさそうだったので、そういう話には全くならなかった。せいぜい図工の時間に絵を描かせられるぐらいで、あとは自分の勝手ならくがきである。子供の時期に大人からのある程度の指導というのは、やはり必要なのではないかと今更ながら思うのである。


しかし、そんな必要もなかったことに小学6年の私は気づいてしまう。私は当時からゴッホの作品などが好きだったのだが、なぜか画家というと油絵だという思い込みがあり、もちろん自分は油絵など描いたことなどないのだが、そういった画材は高いのだという意識があった。果たしてそんな高い画材を使って絵を描いても、売れるのだろうかと、才能もないのに心配し出した。よく考えたらゴッホだって亡くなってから売れるようになった画家だ、こりゃあ、画家という商売は食えないんじゃないだろうかと、ものすごく真剣に考えたのだ。で、その結果私が導きだした結論はこうだった。だったら小説家になろう!だって小説家だったら、ペンと紙だけあれば作品が作れるし、それに私はたくさん本読んでるし、きっと書けるよという、また妙な思い込みが発動した私は、小説家になることを肝に命じるようになった。


今から思えば、小説家だって食えんだろうと思うのだが、なぜかその考えは欠落していた。どうせ考えるなら、もっとちゃんとした職業を考えてもよかったのではないかと思うけれども、画家にしても小説家にしても創造性のある仕事という共通性がある。結局オリジナルの作品を作り出したいという欲求があったのだろうと思う。


しかしまあ、その間違った考えのもとに今も作家への道を志しているわけだ。お子様時代の思い込みというのは、結構根深いものがある。その思いを侮ってはいけないなあと、痛感するのである。

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