機知と教養               062

62 夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

 よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふおうさかの せきはゆるさじ


【カテゴリ】人生、時代

【タグ】女性 貴族 平安中期 後拾遺集


【超訳】騙そうたってムリよ。

何言ってるのよ。鶏だなんて、あんな夜中に。函谷関の門番は騙せても私はそうはいかないわよ。それからね、あなたがおっしゃる逢坂の関なんて絶対開かないわ。


【詠み人】清少納言

一条天皇の中宮定子に仕える。「枕草子」の著者。清原深養父(36)のひ孫で清原元輔(42)の娘。


【決まり字】よを(2)


【雑感】藤原行成ふじわらのゆきなりとのやりとりだそうです。二人は夜遅くまで話し込んでいたのですが、行成は夜中に帰っていきます。翌朝になって「鶏が鳴いたから(朝だと思って)帰ったけど、名残惜しかったな」と手紙をよこしました。清少納言はすかさず、「夜更けに鳴く鶏とは函谷関の偽の鶏のことですか」と返しました。函谷関とは中国の故事だそうです。敵にとらわれた孟嘗君もうしょうくんが家来に、本来は朝に鳴く鶏の鳴きまねを夜中にさせて、朝だと門番をだまして脱出したという故事だそうです。清少納言はそれを踏まえて「夜中に鶏なんて鳴かないでしょ。夜中の鶏ってあの函谷関の偽の鶏のこと?」と返したのです。そう、中国の故事のことを知らないと返せない知的な返信です。行成は「違うよ。関は関でもあなたに逢いたい逢坂の関のことだよ」とまた返してきます。それに対して贈ったのがこの歌です。「私は函谷関の門番とは違って騙されないわよ。あなたと私のあいだにある逢坂の関なら決して開かないわ」と詠いました。教養のある人同士でないとできないやりとりなんだと思います。

 恐らくこの頃の教養として、漢文(中国の書物)は男子としては当然のたしなみでも女子は勉強しなくていい科目だと思います。けれども清少納言はそれを知っていた。知っていたからそれになぞらえてはぐらかした返事をした。行成も頑張ったけど、また切り返された。

 どうやら恋愛感情のあるリアルな恋歌のやりとりではないらしいです。周囲に人びとがいる状況での恋愛ゲーム的な歌のやりとりだったとか。なんだかアタマのよろしい方々にしかわからないオトナなお歌です。機知と教養に裏打ちされたやりとりだなんて、解説書には書いてあります。確かに。でもまぁ、女性としての可愛げはない? それは清少納言さまの恋しい人に贈ればいいですかね? 

 

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