ダンジョン作りなら虚空に心を

親之脛カジキ

ダンジョン作りなら虚空に心を

 ある朝のことだ

 講義室の後ろから三列目・中央の席を陣取り、突っ伏している俺に向井が絡んできた。


「ダルそうだな勇磨(ゆうま)? 堅物で通ってるお前がだらしないなぁ。」


 煩わしくも感じるが、彼は高校からの同級生で、ここでは唯一の友人だ。

 コミュニティに溶け込むのを得意としない俺にとってはこのキャンパスライフの命綱とも言える。

 真摯に応じておくとしよう。


「まだ一人暮らしに慣れなくてな。 起床や自炊は問題ないが、家族がいないとどうも調子が出ない。」


「ホームシックってやつか? この甘えん坊め」


 隣に座った向井はニヤニヤとしてこちらをなじってくる。


「そうではない……と思う。生活に張り合いがないんだ、一人では」


「まぁ分からんでもないな。俺とシェアハウスでもしてみっか?」


 冗談じゃない。悪い奴ではないとは思うが、四六時中一緒なんてとても許容出来ない。


「願い下げだっ!」


 咄嗟に答えた後、しまったと思う。命綱である彼を自分から明確な拒絶で突き放してしまった。

 急いで取り繕おうと言葉を探すが、


「ハハッ! それは良かった。頷かれたらどうしようかと思ったぜ!」


 懸念とは裏腹に彼は愉快そうに笑うのだった。

 今のが冗談として処理されるのか……やはり人付き合いは難しい。



 講義が始まったが、内容は高校レベルの復習、板書は教科書丸写しで有意義に思えない。

 そんな中、向井が話しかけてくる。


「さっきの話だけどよ、挨拶してみるといいんでね。」


「どういうことだ?」


「だからさ、一人暮らしの部屋でもことある毎に挨拶するんだよ。お早うからお休みまで。」


「何のために?」


「生活にハリが欲しいって言ってたじゃねぇか。それにそういうの結構良いらしい。」


 考えてくれていたのか。彼は俺が認識している以上に親切(おせっかい)な人物みたいだ。

 彼は続ける。


「これはバイト先のマスターに聞いたんだけどよ、言霊ってあるじゃん?」


「同意を求められてもな、存在の断定は難しい。否定の証明ほどではないが……」


「いやいや、そういう意味じゃねぇよ そういう考え方あるじゃん。言葉に力が宿るってやつ。

 マスター曰くその力ってのは言葉を発する人の心の欠片らしいんだわ。」


 そんな突飛なことを言い出す向井。この後俺は怪しいセミナーに誘われてしまうのだろうか。


「その御主人(マスター)という方は宗教関係者か? すまんが俺に金はないぞ!」


「ただの考え方が古いオヤジだっつーの。安心しろよ。

 で、誰もいない部屋でも挨拶してると心が部屋に宿るらしい。挨拶っていうのは基本ポジティブなもんだからな、部屋自体がポジティブな空間になるって訳だ。どうだ? それっぽいだろ?」


「[それ]が何を指すのかは分からんが、先人の知恵だ。早速取り入れてみるとしよう。ところで向井、お前は実践しているのか?」


 その質問に向井はきょとんとした顔で応じる。


「やってる訳ないだろ。一人でしゃべるなんてバカみたいじゃん?


 そうきたか……いや、とりあえず礼は言っておこう。


「まぁそれはさておき、俺のためにすまないな。ありがとう」


「気にするなよ、親友!」


 屈託なく笑い、サムズアップする向井。


「……親友はやめろ」


 迷った末に口に出した言葉に向井はわずかに悲しそうな表情を見せる。

 あぁこれは傷付くのか。やはりよく分からない。





 アパートの自室、解錠して息を大きく吐き、帰宅を宣言して戸を開ける。


「只今帰った」


 一人暮らしの部屋に自分の声が虚しく響く。もちろん返事はない。

 早速、このような行動をする意味に懐疑的になる。そもそも科学的根拠も薄い。


 とはいえ否定もしきれない。プラシーボ効果というのも実際にあるだろう。

 俺が自己暗示が効くタイプであるとも思えないが、やると決めたからにはしっかり実行しよう。


 忘れない様に壁や床に張り紙をしておく。ベッドの上の天井には「お早う」と「お休み」、扉には「行ってきます」だ。


 これらを見る度、意識して言葉を出して挨拶をする。扉の文字は違和感を感じたので「行ってらっしゃい」に書き換えた。

 そんな日課は数日で慣れ、すぐに意識せずとも挨拶ができるようになった。



 変化が訪れたのは、挨拶を始めて十日ほど経った頃だろうか。


 いつもの様に帰宅し、何気なく挨拶して部屋に入る。

 部屋の様子は普段と変わらない。ただ、小さな違和感。

 気配。何者かの視線、五感では捉え切れない何かの存在を感じる。


 ある種の自己暗示、思い込みの成果だろうか。それとも本当に付喪神の類の何かが誕生した?

 気味が悪いとは思う。しかしこの状態が悪いものかどうか判別がつかない

 今はこの認識を否定せず、平常通り生活をするとしよう。


 しかし何者かの視線が意識しだすと、気が散ってどうも落ち着かない。

 何か熱中出来る趣味でも見つけてみようか。




「ゲームとかいいんじゃね?」


 自宅で出来る趣味が欲しい、そう言うと向井はこう返してきたのだ。

 余談にはなるが気配については話していない。不名誉な解釈をされると癪だからだ。


「熱中できるのか? 俺は数える程しかしたことがないんだが……」


「ハマると凄いぞ。ちょっと昔のやつにはなるが、ハードごと貸してやんよ」


「すまないな。恩に着る」


 後日、彼が持ってきたのは携帯型のゲーム機とRPGに分類されるソフトだった。

 ありがたく借用し、無形の気配が蠢く自宅で早速プレイする。


 主人公達のレベルやスキルを磨いて、入るたびにその構造を変える迷宮(ダンジョン)の攻略を目指す。

 システムはシンプルなのだが、これがなかなかどうして奥深い。

 俺はすっかりこのゲームに夢中になった。

 しかし、俺はゲーム初心者。一時間も続けてやったら、すっかり目を疲れさせてしまう。


 その後の時間が辛い。なまじ気配を感じてしまうばかりに、静寂に気まずさのようなものを覚えるのだ。

 この状況は打破しないといけない。得体の知れないものを自らで呼び込んだ感は否めないが、俺がこの部屋の家主だ。何故俺が気を使わねばならない。





「何か……場の制空権を獲得するというか、優位にたてる方法はないだろうか?」


 講義前の時間に向井に問いを投げる。彼は素っ頓狂な顔を見せた。

 そして、そのまま講義が始まってしまう。


 その講義も終わり、食堂で二人、昼食をとっていると、


「さっきの話だけどよ——」


 そう向井が切り出した。


「——ヒントになりそうな場所に連れてってやるよ。夕方空いてるだろ?」


 頷いて応じる。気になる言い回しだが心配するほどではないだろう。

 向井はお調子者で雑な発言も多いが、お人よしであるため、相談事に対しては悪くない答えをくれる。

 高校では気付かなかった彼の一面だ。


「ところであのゲームはどうだ? 楽しんでるか?」


「すっかりハマってしまってな。 実は今日も持ってきている。」


 そう言ってカバンからゲーム機を出して見せる。


「じゃあ進み具合でも見せてくれよ」


 そう言うので電源を入れ、その場でプレイし、向井が後ろから覗き込む。


 しばらくは二人で黙して画面を見ていたが、向井が不思議そうに言う。


「何かお前がゲームしてるのって見てて楽しいな。 コマンド選択のタイミングが絶妙だし、つまらないミスもしない。敵と味方の実力も拮抗してハラハラするしな。」


「普段から見られてると思いつつ遊んでいるからな。」


「プレイ動画でもあげるつもりか? んっどうした? 急に画面の明るさなんて調整しだして。今でも十分見えるぞ?」


「安土(あづち)が見辛そうにしていたからな。」


「実は少しね。悪いね森君、気にして貰っちゃって」


 振り返ると、日本人離れの端正な顔立ちをした女子が恥ずかしそうに、短めの茶髪にした頭を掻いていた。同じ学科の同級生だが特に今までに関わった記憶はない。

 ちなみに森というのは俺のことだ。今更ながら俺は森勇磨という。別に憶えなくとも構わない。


「うわっ! 安土さん!?」


 大げさに見える程驚く向井だが、それも気にならない様子の安土。きっと慣れっこなんだろう。


「つい懐かしくてね。僕も好きなんだぁ、そのゲーム。まさか大学で見ることになるとはね」


「最近この向井に借りてやり始めたんだ。これは良いものだな」


「へぇ……向井君、趣味が良いね。」


「あっ、ハイ。恐縮です!」


 借りてきた猫のような向井と、時計を慌てて少し、慌てた顔をみせる安土。


「ヤバッ! 僕は行くね? 実はお昼まだなんだ。良い冒険をっ!」


 そう残して駆けていく安土。彼女が去っても、向井はしばらくおかしかった。

 二やけた顔でうわ言のように繰り返していた。


「安土さんに褒められちゃったぜ……あの高嶺の花に……」


 高嶺の花か……それはさぞ酸素が薄くて呼吸が大変だろうな。





 今日の全講義を受け終え、向井に導かれるままについていく。

 そこは古着屋や外国人が経営するアパレル店が並ぶ商店街だった。


「ここがヒントになるのか?」


「あぁ多分な。まずは体験してみるのが一番だな」


 そう言って周囲に目を向ける向井。

 どうやらお眼鏡に適う店を発見したようで、その店の店員を手招きして大声で言う。


「こいつお宅の店の商品気になってるみたいだから解説してやってよ」


「待てっ、何のつもりだ向井!?」


 すぐに店内からは筋骨隆々の黒人が姿を表す。


「恥ずかしがることないゼ兄弟? ゆっくりじっくり解説してやるヨ!」


 その男に無理矢理肩を組まされ、俺は店内へと連行された。


 解放されたのは時間にして30分後、泣く泣く大きな棘がいくつも付いたバッグを二千円で購入した後だった。


「また来てネ兄弟!」


 勝ち誇った顔でそう言うウィリアム(28歳)に背を向け、店出ると向井がケバブをつまみながら待っていた。


「どうだったよ? 何か掴めたか」


「要らないものを掴まされた」


 そう言って棘付きリュックを掲げてやると、向井は噴き出した。

 散々な目に会った。だが、確かにヒントは得た気がする。


「向井、この辺にジムってあるか? 行ってみたいんだが。」


「確かあるぞ。でも急にどうしたよ?」


 ウィリアム(96kg)の圧倒的な体躯を前になす術なく流されてしまった事を思い出す。


「何が相手でもまず体が資本だからな。筋肉は有るに越したことはない。」


 聞くと向井は愉快そうに笑う。


「ハハッ! 最近のお前は行動派だな。 付き合うぜ兄弟!」


「そうか。 恩に着るぞ兄弟」




 ジムで慣れない運動をしたせいで体中が軋み、満身創痍と言っていい。

 それでも自室では弱みを見せられない。この部屋は得体の知れない何かが住むダンジョンなのだから。

 大きく息を吸ってから、戸を開ける。

 部屋の中からは強烈な気配。勘違いかもしれない。それでも俺の視覚を除く五感と第六感が何かの存在を訴える。

「只今帰ったぞ。——」


 俺はウィリアム(192cm)に教わったばかりの、[出会い頭で優位立つための挨拶]を続ける。


「——このfuckin'糞野郎がっ!」


そう言って右手の中指を立てる ここの家主は俺だ。今日こそ俺はこの部屋で気兼ねなく休んでやる!


こうして今日も命がけの自室休養(ダンジョンコウリャク)が始まる。




 講義が終わった後、向井とジムに通うのが日課になっていった。


 向井がトイレに寄ったので校門前で彼を待つ。

 どうも周囲が騒がしいと思い、視線を走らせると安土が俺と同じように人待ちをしていた。

 皆が安土に注目してはいるが、話しかけるでもなく遠巻きに眺め、口々に感想を言っている。

 これには流石の安土も答えているらしく、俯いて肩を震わす。


 似た境遇なんて厚かましいが、ある種のシンパシーを感じて、彼女を楽にしてあげたいと思い立つ。


「会話も成り立たないのに視線だけ寄越されて辛いよな。」


 近寄って話しかける。とはいってもほとんど独り言だ。


「んっ、森君?」


 キョトンとした顔をこちらに向ける安土。目が僅かに腫れている。


「でもな……負けるなよ。勝手に高嶺に置かれて、息苦しいだろうけど負けるな。咲かなくてもいいから、とにかく負けないでくれ。」


 それを聞くと泣き出してしまう安土。

 少しでも楽になってくれたらと思っていたが、逆に傷付けてしまったのだろうか?


 しかし、落ち着いた後に顔を上げた彼女は見惚れる程の無邪気な笑顔を見せ、


「ありがとう、勇磨!」


 そう言い残して待っていたであろうの元へ駆けて行った。

 結局慰める事が出来たんだろうか?


「なんだよ今のは?」


 背中を小突かれ、振り向くと向井のニヤニヤ顔があった。


「よく分からんが、多分大丈夫だ」


「とぼけやがって。安土さんのことは置いとくにしても最近何か楽しそうだしさ」


 意識してはいなかったが言われてみればそうかもしれない。自室での時間、最低最悪の殺伐地獄に比べれば、外での生活は楽しすぎて涙が出てくる。


「相対的にはそうだ。お前といる時は楽しいよ兄弟。それもこれも挨拶を始めたせいか……」


「おっ お前どうしたんだ? 照れるじゃねぇか兄弟。

挨拶ってのはあれか? マスターが言ってたやつか。まだ続けてたんだな。そしてそのお陰でお前は今ハッピーってわけか?!」


「兄弟、その御主人(マスター)ってのに会わせては貰えないか?」


「いいぞ。 礼でもするのか?」


「あぁ。その耄碌(もうろく)糞ペテン師を一発殴らないと気が済まない」


「お前……本当にどうしたんだ?」

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