二学期④「崇め讃えよ我らが女神を」
無味乾燥で灰色な予備校タイムが終わりました。僕は座ったまま大きくのびをします。やれやれ、疲れるなあ。
「山口―、帰ろうぜ」
「だね」
僕は高瀬君と一緒に帰ることにします。といっても家が正反対の方向にあるので予備校を出たところですぐに別れました。
一人きりの帰り道、僕は本屋に寄ることにしました。以前読んだ漫画の新刊が発売されたからです。
「なんだ、山口か」
と、偶然にも月島君に遭遇。彼の手にはエッチい雑誌が。僕は急いで回れ右を敢行しました。
「いえ、人違いです。それじゃまた明日学校で」
「待てよ。なんか矛盾してんだろ」
ちっ。
「おい。なんか今舌打ちしなかった?」
「滅相も無い」
慌てて首を横に振ります。月島君は意外と観察力がありました。
「そうか、まあいい。で、山口は何を買いに来たんだ? 参考書?」
「まさか」
「だよなー。冗談きついよなー」
「ははは。なんか微妙に傷つくー」
僕達の間に殺伐とした沈黙が満ちます。時が江戸時代なら決闘が起きていたでしょう。しかし戦争を知らない世代である月島君は再度会話を試みます。あっぱれ。
「――で」
「うん」
話せばわかるの一念で僕も会話に応じます。
「だから何買いに来たわけ?」
「漫画だよ」
僕がタイトルを言うと月島君はこくこくと頷きました。
「それ人気だもんな」
「まあね」
「俺はなあ――」
「結構です」
間髪入れずに断ります。
「なんだよ、聞けよ」
「いや、いい」
「聞けよ」
「嫌だよ。どうせエロ系、さおりんでしょ」
「違う!」
月島君は憤然と主張します。それは本屋に響き渡るような大声でした。レジに座っていたバーコード
「さおりんは単なるエロ、性欲のはけ口、アダルト産業の産物に留まる存在ではない! その美しさはもはや芸術、文学、人生なのだ! 山口はこの偉大さが理解出来てない! だからお前はいつまで経っても一般人の枠から抜け出せないんだ!」
「はあ……」
「なんだその返事は!」
僕のふぬけた返事に月島君は熱く語り出します。
「山口はさ、まだ一度もちゃんとさおりんを見たことないんだろ?」
「まあね」
「だけど、なんか嫌だと」
「嫌というかなんていうか、勧められても困る」
「だけど否定的だ」
「まあ、そうだね」
「うん、でもさ、何も知らないうちに全てを否定するのは、自ら新しい可能性を潰してしまうことになるだろ。もしもそこに自分にとって素晴らしいものが隠されていたとしても、見つけることが出来なくなってしまうんだぜ。これってすごい損失だと思わないか?」
「それは、まあ……確かに……」
「だろ? だからさ、何事も否定しちゃ駄目なんだよ。否定は自分の世界から対象を切り捨てることだから。そこにあった良さも見えなくなっちゃうから。自分が理解出来ないもの、嫌いな物を否定するのは簡単で、何より楽だ。だけどそれは同時に自分の可能性を捨てることだ。それじゃ駄目なんだよ。そんな人生なんてつまらないじゃないか」
「ああ……、そう、かな? うん、そうかも、しれない……」
「そうなんだよ。閉じちゃ駄目だ。開けよ」
月島君はそっと雑誌を手渡してきます。僕は無意識のうちにそれを受け取ってしまいます。
ああ、どうしたことでしょう。月島君がとてもカッコいい男に思えて仕方ありません。きっと僕は今まで月島君を誤解していたのです。そうに違いありません。ほら、その証拠に店長も涙してスタンディングオベーションです。
「ほら、試しにこれを買ってみろよ。大丈夫。さおりんのDVD付だから。新しくなってみろよ山口」
「――うん。わかった。新しくなってみるよ」
僕は衝動のままにレジに直行します。そうです、僕は新しくなるのです。退屈な世界から飛び立つのです。
「一八九〇円です」
店長がサムズアップします。キラリとバーコード禿げが光りました。僕も全力でサムズアップを返します。そして
「やったな、これで山口もさおりんの良さがわかるぜ。他にもさおりんが欲しかったら遠慮無く俺に言いな。しっかり貸してやるぜ」
「うん、ありがとう」
僕はお礼を言いました。
……うん。
…………うん?
✚
翌朝の教室。
確信に満ちた笑顔で月島君は僕のところまでやってきました。
「よう山口。どうだった?」
「ああ、うん」
どうだった、だって? そんなの決まってます。僕は言ってやりました。
「さおりんは…………、女神だ」
「だろう?」
月島君はダンディな笑みを浮かべて、さりげなく僕に黒いビニール袋を手渡します。
「ほら、受け取れよ。新しい山口の門出を祝ってちょっとした贈り物だ」
「……ここで開けても?」
「もちろん」
期待に高鳴る鼓動を自覚しつつ、そっと中味を確認するとそこには、
「さ、さおりん……!」
眩いばかりのさゆりんの裸体があるではありませんか!
「今夜は楽しめよ。さおりんの新作AVだ」
「うん、ありがとう!」
月島君は月島くんは、月島君はなんて良い人なんだろう!
僕達はしかと固い握手を交わしました。一部の男子から惜しみない拍手が贈られます。ありがとう、ありがとう、みんな本当にありがとう!
ちなみに、その後「目を覚ませバカ」と猫山田さんに思い切り頭をはたかれました。
それはさておき、その日の夜ちゃんとさおりんを観賞しました。今日も息子は元気です。
✚
今日も無事に授業が終わりました。学校なんているだけで疲れるのですから早く帰るにこしたことはありません。
「ねこみん、そういえば――」
寺原さんが猫山田さんに話しかけているのを横目に僕はさっさと教室を出ます。寺原さんは気さくで僕ですら話しやすさを覚える女子です。転校してからすぐにクラスになじんで中心で笑顔を振りまいています。ですが猫山田さんに「ねこみん」なんてあだ名はありえないと思います。ハハハ、猫耳でもつけてろ。
さて、帰ったら何をしようか、なんて考えながら廊下を歩いていると、
「颯爽と登場、俺!」
「うん。じゃあまたね」
僕はマロに軽く手を振って別れました。よし、漫画でも読もう。
「いや待て」
「何さ」
マロが僕の肩をつかんで引きとめます。若干痛いです。
「山口よ、
「魔王とその軍勢が人間の治める土地に侵攻し暴虐の限りを尽くす中それでも諸国は相争い魔王を止めることが出来ずにおり、その
僕はつい頑張って四百字ジャストで答えてしまいます。てへぺろ。
「ヒィ――――ハァ――――――!!」
マロはやたら喜びます。狂喜します。うん、
「ブラボー流石だ山口! ザ・山口オブ山口、山口の名を
「まあね」
要するに家に帰ってだらだらしたいってだけですが。
「という訳で一緒に遊ぼうぜ!」
「イ・ヤ♪」
「どうしてだ!? …………ふう、さっきの山口っぷりから一転、お前などただの池口以下だな。この駄目池口め」
「全国の池口さんに謝れ」
あと他にも濱口さんとか関口さんとか坂口さんとか色々な方へ謝るべきです。
「じゃあ一緒に勉強しようぜ!」
「えー」
僕は家で休みたいのです。マロは相変わらず人の話を聞きません。
「まあまあ。お前が家でダラリーでグダダーな一時を過ごしたいのは俺も理解している」
……なんということでしょう。マロが僕の気持ちを理解していたと衝撃的発言をします。僕は驚きのあまり立ち眩みを起こしそうになりました。冗談です。
「だがしかし池口、その前に塾の課題を済ませてしまえば後顧の憂いなくのんびり出来ると思わないか? しかも今だったら難しいところは俺が解説してやれるぜ」
「たし、かに……」
塾の課題は難易度が高いため解を求めるのに苦労するのでマロが手伝ってくれるならだいぶはかどります。そして今日の僕はちゃんと課題を学校に持ってきていました。マロの提案はもうびっくりするほど正論です。明日は嵐ですね。忘れずに丈夫な傘を持っていきましょう。
「じゃあ、教室でちょっと勉強しようかな。難しいのあったら教えてよ」
「よしきた――――――――――!! 任せとけ山口、宇宙船地球号に乗ったつもりでいてくれ!」
「はいはい。期待してるよー。そしてもう乗ってるよー」
そして僕はマロと下校時刻まで一緒に勉強しました。意外と真面目に勉強しました。
たまには勉強も悪くないです。
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