二学期③「新しい出会いとか言うけれど転校ってやっぱり不安になるんですよね」

 僕が青空を飛べたら、空を飛べたら、僕は、僕は、今ここで馬車馬のように走らなくて済むはずなのに!


 そうです、僕は走っていました。全力疾走です。歩く分にはあまり気にならないのですが、走ると鞄が重い上、揺れに揺れるので走りにくくて仕方ありません。

 そしてなんということでしょう。これだけ全力で走っているのに駅はなかなか見えてこないのです。ぱらぱっぱぱぱ~。ち・こ・く!


 嗚呼、言い訳を、言い訳をさせてください。というか聞け。拝聴しろ。

 昨夜僕は真面目に勉学に励んでいたのです。科目は数学。しかしふと時計を見ると、短針も長針も頂上にありました。そこで僕は最後に一問だけ解いて終わりにしようと決意したのでした。


 ですがこれが大いなる過ちでした。

 その問いの難度はまさに魔王級。僕は果敢に解を求めましたが、やがて力尽き、力尽き、力尽き……漫画に手を伸ばしたのでした。

 するとこれがまた面白い。思わず次の巻、次の巻と手を伸ばし、気づけば夜も随分と更けてしまったのです。だから僕はちっとも悪くない、むしろ被害者とさえ言えるでしょう。悪いのは数学の問題です。

 だいたい数学なんてやってられないというか、なんというか、いや、面白いことは面白いけど、実にドルネケバブというか、僕はブロッコリーが嫌いだし、ついでに漢文とか頭痛いし、昨日(正確にいえば今日)読んだ漫画の新刊がそろそろ発売されるらしいとか、要するに、僕はどうやら必死で走っているので、その分思考はぐちゃぐちゃでわけがわからない!


 頭の中で有名なランナーソングがガンガン鳴り響きます。周りの人が奇異の目で僕を見ているような気がしますが気のせいです、そういうことにしましょう。デッドラインは刻々と近づきつつあり、もし次の電車を逃すと僕は確実に遅刻することになります。まあ普段なら遅刻も一興とか内心焦りながらも余裕ぶれるのですが、いかんせん今日は日直だったのでその罪悪感が焦りに拍車をかけて僕を急かしているのでした。


 というわけで、さあ山口選手、トップで第三コーナーを通過!

 僕は勢い良く十字路に入りました。


「ぎゃべっ!」←僕

「きゃあっ」←障害物A


 そして勢い良く障害物Aと衝突しました。


「いたたたた」


 障害物Aは僕よりも軽量級で地べた倒れてしまっています。とりあえず怪我はなかったので、僕は意識を障害物Aに移し、




 ――純白のパンティ




 真っ先に僕の目に飛び込んできたのは、世の男性陣の下半身を直撃する麗しの布切れでした。カンカンカンッ! 目が釘づけ釘づけ釘づけ!


 障害物A、いえ、彼女は随分と綺麗な子です、美少女と言っても差支さしつかえないでしょう。紺色のスカートからのびる脚は折れそうなほど細く、かといって決して貧相ではなく、それどころか健康的な美しさまで兼ね備えています。そしてその奥にあるまばゆい純白!

 まるで黒曜石のような艶と輝きを持つ黒髪は、背まで伸ばされおり見る者に清楚な印象を与えます。その一方で彼女の豊満な乳房は服越しからでも充分すぎる自己主張をしていました。


 先程は綺麗と評しましたが、どちらかというと彼女は綺麗というより可愛いと評するに相応しい容貌をしていました。整った眉の下にある瞳は今でこそ涙に潤んでいますが、笑顔にあれば弾けんばかりの輝きを帯びることが容易に想像でき、蕾が花開くように桜色の唇もほころぶのでしょう。


「あ、あの、大丈夫ですか?」


 我に返った僕は、慌てて彼女に手を差し伸べました。ここでとっさに手を差し伸べることが出来た自分を一生涯誇りにしたいです。グッジョブ山口卓、グッジョブ僕!


「ごめんなさい、急いでたもので」

「いえ、こちらこそ」


 彼女は僕の手を取り立ち上がりました。その手は驚くくらい柔らかく、僕の脳内をいっそう白く染め上げます。


「怪我とかないですか?」

「はい。それよりも高岡駅はどっちかわかりますか?」


 彼女はまなじりを下げ尋ねます。


「高岡駅?」


 オウム返しに答える僕。わかるも何も高岡駅は僕が向かっている駅です。


「ええ、まあ、はい。わかりますけど」

「その、どっちですか? 最近引っ越してきたばかりなので、道がよくわからなくて……」

「ああ、じゃあ自分も高岡駅に行くんで案内しますよ」


 とまたしても奇跡的なセリフが口から飛び出てきます。どうした僕? もしかして今日は天才?


「本当ですか? ありがとうございます」


 彼女の笑みは想像通りとびきり素晴らしいものでした。



   ✚



 僕達は高崎駅まで行き、そして電車に乗りました。幸いなことに車両整備の遅れだかとかで電車に間に合いましたが、降りた時にはどう考えても遅刻ペースでしたので僕達は開き直ってゆっくり歩くことにしました。遅延証明書の確保はバッチリです。

 学校までの雑談によると、彼女の名前は清風院せいふういん花音かのんさん。つい先日引っ越してきたばかりだとのことです。しかもなんと彼女は僕の学校に転校するというのです。もしかしたら一緒のクラスになれるかも。僕は期待に胸を膨らませながら彼女を職員室まで送迎し、教室の前まで行ってから日直の仕事があることを思い出し、再び職員室に戻ったのでした。


 改めて教室に到着。

 一時間目の物理は始まっておらず、羽虫の喧騒が教室を満たしておりました。それはそうでしょう、来るはずの転校生が遅刻してはおちおち授業も始められません。


「やあ骨折。今日は日直なのに遅かったじゃないか」


 着席すると左斜め前に座る猫山田さんがこっちに振り向いて尋ねます。念のため言っておくと、猫山田さんが僕の隣じゃないのは二学期が始まった際に席替えがあったからです。

 ちなみに現在僕の席は窓際最後尾の二列目で、僕の左側、即ち教室の一番隅の席は空席になります。これが僕の胸が期待に膨らむ理由の一つです。もしも清風院さんがこのクラスに来たら、きっと彼女は僕の隣になるでしょう。ハレルヤ!


「寝坊したんだ。でも間に合ったよ」

「そうだね。今日の内田先生は来るのが遅い」

「きっと転校生が来るからだよ。学校まで案内したんだ」


 僕は得意気に説明しました。


「へえ」


 案の定、猫山田さんは驚きの声を上げます。


「転校生って男? 女?」

「女の子」

「可愛かった?」

「え、うん」


 僕が頷くと、猫山田さんは「あっ、そう」と簡素な呟きを漏らして前を向くのでした。きっと猫山田さんにとって男子が転校生だった方が良かったのでしょう。だけど僕は女子の方がいいに決まってます。美少女ならなお良いです。


「うーし、席に座れー」


 しばらくして担任が姿を現します。そして羽虫の喧騒が治まると予想通りの台詞を言いました。


「転校生を紹介する」


 歓声が湧きます。僕は歓声を上げずに、彼女が来るのを待ち望みます。高校三年生で、しかも二学期の半ばに転校生なんて普通では考えられません。まるで漫画か小説のよう。でも日常に刺激があるのは良いことです!


 担任が扉の向こうで待っていたのであろう転校生に「入って来なさい」と呼びかけると、僕達とは違う制服を着た女の子が、教室の扉を開けました。

 彼女はとても可愛い女の子でした。丸っこい字で自分の名前を黒板に書いてから、ぺこりとお辞儀をします。


「はじめまして、寺原楓です。短い間ですが、これからよろしくお願いします」





    ――あれ?





 歓声、歓声、大歓声。教室が歓声の大渦にのまれます。


「転校生万歳、転校生万歳!」

「楓さん、結婚(と夜の性活)を前提に僕と付き合って下さい!」

「あなたのために薔薇の花束を用意しました」

「可愛い~。超可愛い~。お持ち帰りした~い」


 一方の僕はというと開いた口が塞がりません。あれ? あれ? あっれえ? 清風院さんどこー?


 僕が困惑している間に、寺原さんはさっさと僕の隣に着席します。


「あの、よろしくお願いします」

「ああ、うん。よろひく」


 ……噛んじゃった。


「へえ、確かに骨折に言う通り、可愛いね」


 と、ここで猫山田さんがすかさず意地の悪い笑みを作ります。ですが僕は困ります。だって清風院さんはどこなの?


「えと……」


 可憐に小首を傾げる寺原さんに対し、猫山田さんは僕を指差します。


「ねえ、寺原さん。朝はこいつと一緒に学校来たんでしょ」

「あっ、ちょっと――」


 だが遅い。

 猫山田さんの発言が教室を吹き飛ばします。それはもうアトミック・ボムなんて目じゃないくらいの爆弾発言でした。


「山口が? あの山口が? 万年脇役的存在山口が?」

「生きることはI・KILLこと~♪」

「あれさ、きっと白昼夢ってやつさ。あいつも彼女のいない灰色の生活に疲れきって夢を見たのさ」

「とりあえず山口は我らの合格祈願のために人柱になってもらおう。受験って、恐ろしいね☆」

「お前なんかに、お前なんかに未来の花嫁を盗られてたまるかあああああああ!」

「それなんてエロゲ」


 クラスメイトの視線が僕に突き刺さります。

 そんな殺気の満ちたざわめきに、寺原さんは戸惑った顔で、


「あの、私今日は一人で学校まできたんですけど……」


『は?』


 そして僕も、


「いや、一緒に来たのは別の子なんだけど」


『はあ……』


 形容しがたい微妙な雰囲気のなかクラスを代表して猫山田さんが尋ねます。


「じゃあ骨折が一緒に来た子はどうしたの?」

「……さあ?」


 むしろ僕が知りたいです。

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