二学期②「やっぱ受験生なら一日十時間くらい勉強しないとやべーよな」

 それはある朝のことです。


「山口、誕生日おめでとう!」

「ありがと、気持ちだけもらっとく」


 右手で黒いビニール袋をかかげるマイクラスメイト・月島君に、僕は笑顔で言いました。色々欠点があることを除けば、彼はとっても良い人です。他のクラスメイトは生温かい諦めの視線を僕に向けて来ます。頑張れ、そして諦めろ、と。

 僕のお断りなんてちっとも気にせず月島君は笑顔のままぐいぐいと袋を押しつけます。ちょ、ちょっとやめれ。


「そんな水臭いこと言うな! ほら、プレゼントだ。受け取れ」

「気持ちだけで十分だよ」

「まさか俺のさおりんが受け取れないとでも?」

「…………沈黙は美徳」


 そんなことは口が裂けても言えません。


「ならそういうこと言うな。いいか、お前に教えてやる。何回も言ったが、また言ってやる。これは真理だ。揺るぎない真理だ」


 さて、ここで急に登場した月島君なる人物について若干詳しい説明をしておくと、彼の名前は月島光太郎。身長一六六センチ、体重五五キロの健全な男子高校生で、僕のクラスメイトです。三年間一緒です。偶然です。

 いえ、違います。真に説明すべきはそこじゃないのです。

 そう、彼は――


「月島さおりは女神である!」


 ……AV女優「月島さおり」の熱烈な信者なのです。


「で、だな――(いかに月島さおりが素晴らしいかが語られるけど、面倒なので省略)」


 僕は慌てて口をはさみました。


「うん、あのさ、でもさすがに学校に持って来られても困るというか、なんていうか、まあ、うん。ほら、先生とかに見つかったら大変だよ」


 というか既に大変です。

 そういえば、と疑問が浮かびます。月島君は誰か知り合い(女子を含む)が誕生日をむかえるたび、こうやって月島さおりのAVを持って来ています。既に何回か教師見つかっていたはずです。なのにどうして怒られないのでしょうか?


「ノープロ」


 月島君は不敵な笑みを浮かべました。やべえ、かっこいい。思わず固唾を呑んで彼の言葉を待ってしまいます。


「我らが担任はとっくの昔にさおりんの魅力にはまっているのだよ! それだけではない! 我が校の男性教師の八割は既にさおりんのファンなのだ!」


『だからか!』


 クラス一同、心の叫びが一致した偉大なる瞬間でした。

 ちなみに、その後すぐに教室に来た聖職者たる担任がみんなから白い目で見られたことを追記しておきます。聖職者? 失礼、性職者の誤植でした。



   ✚



 夏季講習も終わり予備校も平常運転です。

 僕の通う予備校は変な名前のわりに地方ではそれなりに規模の大きいところで、一クラスにだいたい三十人弱の生徒がいます。講義開始ぎりぎりに教室に入るとほぼ全員がそろっていました。みんな真面目ですね。


「山口」


 適当に真ん中の方に座るとその前に座っていた高瀬君が話しかけてきます。

 なんと高瀬君は僕と志望校のみならず志望学部まで同じなのです。そのことが判明してから高瀬君はたびたび僕に話しかけてくるようになりました。仲間意識ってやつですね。そう、彼は僕の新たな同志であり友人なのです。


「あのさ――」


 と高瀬君が何か言おうとした時、ちょうど講師が入ってきました。僕は優等生風に苦笑いを返します。高瀬君も苦笑いをして前を向きました。


「今日はまず模試の結果を返すからなー」


 講義開始前に前回の模試の結果が配られます。まあまあ良かったです。僕がそれなりな見栄っ張りだとしても成績が良いのは素直に嬉しいことです。わーい、万歳。このままのペースで行けば第一志望に合格できそうな感じがします。


「いいかー。模試の結果が悪くても次で頑張ればいいんだからな。結果が良くても油断するなよ、あっという間に成績は落ちるから。夏休みは時間もあるし夏期講習もやるからみんな当然勉強するんだ。だから成績ものびる。だけど本当に大切なのは授業が始まるこの秋からだからな。ここで毎日ちゃんと勉強できるかどうかで周りと差がつくぞ」


 講師はそんな説諭をしてから講義を始めます。そのせいか心なしかみんなの顔つきが三割増しで真面目な気がします。もちろん僕だって三割増しで真面目です。

 それにしても首尾良く大学に入ったところでいったいどんな意味があるのだろうか、なんて疑問がぼんやりと浮かんできます。いえ、もちろん意味はあるのでしょう。学歴とか就職とかなんとか。

 でも本当のところはよくわかりません。わからないけど僕は大学を受験します。みんな受験するからです。きっとそれが当然ってやつなのです。そうですよね?

 高瀬君の丸まった背中は必死で僕の思考を肯定してくれました。



   ✚



「なあ、山口。模試の結果どうだった?」


 講義が終わり弛緩した空気のなか高瀬君はとても受験生らしいことを尋ねてくれます。彼こそは受験生のかがみなのです。

「まあまあかな」


 高瀬君を見習って僕も受験生らしく答えます。嗚呼、これこそが灰色の受験ライフ。


「A? B?」

「Bランク」

「いいなあ。俺なんかCだよ」


 高瀬君はそう言ってわざわざ自分の結果を見せてくれます。嘘偽りなくCランクです。


「やばいなあ。もっと頑張んないと」

「でもちゃんと偏差値のびてるじゃないか。前はDだったんでしょ?」

「うん。でも英語は全然だ。まあでも化学は俺の方が上なんだな。駄目かなと思ってたけど。あ、国語も俺の方がいいのかー。得意って感じはしないけどなんか点数は取れるんだよね」

「へえ。それって文章力あるんじゃないの?」

「どうだろ。でもまあ結局総合的に負けてるだから大したことないよ。やっぱ山口は俺と違って頭がいいなあ」


 高瀬君は鬱屈とした溜息をつきます。僕は努めて明るい声で言いました。


「これからだよ、これから」

「これからかー。先は長いなー」

「これからだよ」


 マロはもういません。予備校を辞めたからです。ちなみに猫山田さんもいません。夏季講習だけしか受講してないからです。相変わらず予備校なんてものは虫籠で、僕はそこに閉じこめられたままなのにマロと猫山田さんは飛び出していってしまいました。


 退屈。


 退屈が僕の日常を塗り潰していきます。嫌です。そんなのは嫌です。僕は青空を飛べるはずでした。飛べるはずだったのです。

 だけど現実はどうでしょう。僕はアスファルトの上でじりじりと焼かれる芋虫のようにのたくっているだけなのです。まるで最初から羽なんかなかったみたいに。


「そういえばさ、空ってなんで青いだっけ?」

「いきなりなんだよ?」


 唐突な僕の問いに高瀬君がおかしそうに笑います。


「いや、別に。ふと思い浮かんで」

「なんだったけな。確か太陽光の中でも他の光と比べて青い光は反射しやすいからじゃなかったっけ? だから大気中には青い光がいっぱいあって青く見える、みたいな感じだったはず」

「へえ、そうなんだ」


 なるほどねー、これが現実なのですね。


「あーあ」


 あくびをするふりをして僕は退屈と闘いました。もちろん敗北しました。

 世界は今日も退屈です。

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