夏休み④「夏の夜の夢のごとし」

「骨折、君はいつまで骨折してるつもりなんだい? いいかんげんもう飽きたよ」


 猫山田さんは言います。あくびをしながら言います。何故あくびをしているかというと、さっきまで眠りの国へ留学していたからです。あなたは果たして夏季講習に通う意味があるのですか? 特に英語の時間は必ず短期留学をしているようですが。


「いつまでと言われても……。夏休みの間は松葉確定だよ」


 僕の答えに猫山田さんは露骨に溜息をつきます。


「全く……。そんなんじゃいつまで経ってもフランスに行けないぞ」

「行く気ないから」

「変態紳士のくせに。月島一族のくせに」

「やめれ」

「ふん、何を見苦しい言い訳を。ウチの男子はみんなそうなんだろう?」

「いや、違うから。それは違うから」


 僕は必死に否定します。それは違うんだ!


「あ、別に責めているわけじゃないよ? だって骨折だってしょせんは盛りのついた雄だもの。さーて、今日のおかずは何かなあ?」

「仮にも乙女がそういうことを言うのはどうなのかな」

「何を勘違いしてるんだい? あたしはただ山口家の夕食のメニューを尋ねただけだよ。別に他の意味なんて微塵もないよ。うわあ、いやらしい」

「いやらしいと言える時点で猫山田さんも同類に堕ちたよね」


 一瞬の沈黙。僕はその時の猫山田さんの表情を忘れることはないでしょう。一週間くらいは。


「……いや、それはさておき」

「おかないでよ」

「さておき」

「……はい」


 僕は猫山田スマイルという言外の圧力に屈します。

 それから猫山田さんのことを「乙女」と表現したことでねちねちといたぶられました。それは間違いなく猫がネズミを虐めるようであったと思います。



   ✚



 こうして、僕の夏休みは受験勉強のための夏季講習という、平々凡々なルーティンワークに費やされていきました。埋もれる個性なんて最初から要らないのです。目指せ、画一の上での優越。


 講義中、隣の席はマロか猫山田さん、もしくは一人きりでした。マロは時々遅刻をすることがありましたし、猫山田さんはほとんどの講義で眠りの国へ留学していました。僕は普通に出席して普通に講義を受けていました。


 きっと僕の夏休みは特筆すべき点の無い、大学受験生のステレオタイプのような、あ、いや、あった。特筆すべき点、骨折。

 ……虚しい。誇るべくもない。

 そして夏の暑さは何処どこへやら。一夏の青春を彩ったのは、身をすぼめたくなる様な、クーラー・北風の冷たさでした。

 世界はいつも退屈です。

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