息苦しい世界

サイキ ハヤト

第1話 終章

 ザアザアと降り注ぐ雨。


 昼には止むという中途半端な其奴は、普段は自転車やら徒歩やら、別の方法で通勤している人々を遍く電車へと誘う。毎日毎日、乗車率百五十パーセントだというのに、それを二百パーセントに吊り上げる。


 無理矢理乗ってくる奴等。


 人がはみ出ていて、どう見ても楽には乗れないところに無理矢理乗ってくる。隣の隣のドアは空いているのにだ。ああ、しまったと俺は気づいた。何気なく乗ったドアは、新宿駅の階段前だ。どんなに混んでいても、奴等は乗る場所を変えないのだ。


 息が詰まるような混雑と湿気。


 忌々しい其奴は、天気予報で今日は肌寒いと言っていたのを鵜呑みにしてしまった少し寒がりの俺が、ワイシャツの上にジャケットを着込んで出かけたのを嘲笑うように覆い被さる。隣の男もそうかも知れない。其奴の汗が背中から腕に染みてくる。


 我先にと降りようと押してくる奴等。


 奴等は声も掛けずに押し合いへし合いをする。出口付近でドアに押しつけられた人は、ドアが開いた刹那、ホームへと後方からの凄まじい圧力で押し出され、時に倒れてしまう。手を差し伸べる者も少なく、まるで障害物を避けるように、降りしきる雨のような冷たい人の流れが通りゆく。


 ホームに転がっている柄の折れた傘。


 それは車内での戦いの記憶。打ち捨てられた其奴は、何処にも掴まる事ができず、傘を頼りに自立しようとしていた持ち主の苦労を『一芯』に受け、敢え無く折れてしまったのだろう。主に見捨てられた悲哀を、受けた雨の滴をホームに滲ませている。


 乗り換えて束の間の休息。


 乗り換え駅での押し合いを経て、隣の始発列車に移動した俺は、乗車率三十パーセントの車内で束の間の休息を味わう。気持ちよく呼吸ができる事への幸せを、ほんの少しの間隙に味わう。


 再び襲いかかる人混み。


 乗り換えは一度ではない。巨大ターミナル駅から出て行く、地下深いあの狭い奴に再び押し込まれる。一旦押し込まれた後に走り込んでくる奴等に、もう一度押し込まれる。身体が当たった相手は俺を恨めしそうな目で見遣る。まるで俺が押していると言わんばかりだ。


 同じ所でかける急ブレーキ。


 毎日毎日、地下深い場所を縫うように走る彼奴は、今日も同じ所で急ブレーキをかける芸のなさを見せる。事故でも何でも無い。非常ボタンが押されたのでもない。いつも其奴は、同じ場所で下手くそなブレーキをかけ、俺たちを掻き回す。


 エスカレーターの並びで踵を蹴る奴等。


 一度ならず二度三度、踵を蹴っては知らぬ顔。だが奴等は自分が蹴られれば振り向いて嫌な顔。世界はお前一人ではない。お前が気分良くなる為にでもいい、他人に優しくする余裕を持て。


 漸く辿り着く目的地。


 駅を出れば降り続く雨再び。俺は再び人混みに塗れ、都会の一部へと染まりゆく。そこに俺など存在せずとも、色に変化のない街へ。そこに君が一人居て、漸く色めく都会の街へ。




 

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息苦しい世界 サイキ ハヤト @hayato-saiki

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