困った人物のことは「煩悩に囚われた可哀そうな人だ」と考える

 これは、他人に対して上から目線で、あんまり感心できないところもある方法なので、「自分自身の心の健康を守るために仕方なくやる」という意識でやった方がいいと思います。

 人に対して意地悪をする人、人を虐待する人はほとんど、自分が意地悪されたり、虐待されたりした過去を持っています。「困った人は困っている人」という言葉がありますが、それにあてはまります。

 そういう人の行動は、その人自身が変わろうと思って主体的に取り組んで初めて変わる可能性があります。

 親や配偶者などでなければ、一生つき合わなければならないわけではないので、なるべくうまくかわすようにして、「あの人も煩悩に囚われた可哀そうな人なんだなあ」と思っておくのが得策です。

 以前、都立高校に勤めていた頃、やたら教員をよその学校に異動させたがる校長がいました。

 どうも「私を異動させないでください。まだこの学校に残って、今の学年を続けたいと思います」「あの人には学校に残ってもらわないと校務に支障をきたすので、異動しないですむようにお願いいたします」などとお願いされるのが好きなようでした。

 お願いされることによって、自分が権力を持っていることが実感でき、重要な人物なのだと実感できて自己愛が満たされて嬉しいのでしょう。

 そういう場合、うまく権力欲を満足させるように機嫌をとっておいて、「校長は煩悩に囚われているんだなあ。可哀そうに」なんて(もちろん校長がいないところで)みんなで話していました。

 それがいい方法だったのだと思います。

 煩悩に囚われている人を救って立派な人に変えることなんて、凡人にはなかなかできることではありません。

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