第六話

 暖かい温もりの中で、トクトクと心臓の音がする。四肢まで行き渡る暖かさと、生命を知らせるその音に何故か違和感を覚えて、目を覚ました。


 ーー白い、布。


 ぼんやりと微睡む意識の中で薄らと目を開ければ、飛び込んできたのはやたらと柔らかそうな布で作られた天井。見た事のない不思議な天井をふわふわと眺めながら、息を吸って、吐いて。呼吸が出来ることに再度、違和感。


 ーーへんなの。


 生きていれば、心臓は動く。

 生きていれば、呼吸をする。


 何故、そんなにも当たり前の事ばかりを不思議に思うのだろうか。脈絡のない思考の中で、それがあまりにも大切な事のように思えて答えを探す。けれど、わからなかった。


 ーーまあ、いいや。


 訳のわからない違和感はとてもけれど、そんなことよりも、酷く喉が渇いていた。何か、渇きを癒してくれるものが欲しかった。


 むくり、と身を起こして周囲を見回すと布団の横には丁度よく水差しとコップを乗せた盆があった。


 ーーおみず。


 起こした身体も、動かした腕も、自分のものではないように感じるほど重たかったけれど、早く早くと急かす渇きに身を委ね、水差しに手を伸ばす。そして、ぴたり、と動きを止めた。


 「あ…………?」


 細く掠れた、間抜けな声が溢れた。それはもはや無視することも出来ないほどに。どこからどう見たって。動かそうと持ち上げた白い腕に、蔦が巻きつくようにして


 いっそ美しいまでに肌に馴染んでいるその鱗。慌てて掛けられていた布団を跳ね上げ身体を確認すると、それらは持ち上げた右腕だけではなく、左腕と両足にも存在していた。


 強烈な変化に今まで見ない振りをしてきた違和感が首をもたげて、頭の中を混乱が満たしてゆく。


 見たことのない天井、見たことのない布団、見たことのない水差しやコップ、何故か重たい身体、何故か引き攣れるように痛む背中、何故か生えている鱗。


 たくさんの知らないことに埋め尽くされて、溺れてしまいそうに感じる程呼吸が苦しい。そして再び両腕に視線を落とした時に、気づいてしまったのだ。


ーーそもそも、


 自分の姿形が本来どういうものだったか、元々の自分自身を、覚えていない事に気づいてしまったのだ。


 指先の形を覚えていない。どんな顔だったか覚えていない。髪の色を覚えていない。目の色を覚えていない。年齢を覚えていない。どうやって生きていたのか覚えていない。どんな人間だったのか覚えていない。


 「ぉ、え…………」


 吐き気が胸に渦巻いてせり上がってくる。自分の事を覚えていない。何もかもがわからない。その全ての事実が悍ましく、恐ろしく。しかし何よりも気持ちが悪かったのは、


 覚えていないはずの元の腕と、現在の鱗の生えた腕が、ことだった。


 ーーきもちわるい。


 覚えていないのならば、違うかどうかなんて分かるはずもないのに、それだけが分かってしまうという矛盾。


 それはあまりにも気持ちも気色も悪いもので、胸に渦巻く全ての気持ち悪さを消し去ろうともがくように、が悲鳴を帯びた嗚咽となり溢れ出て、知らない部屋に響き渡った。

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